第五章〜カイとゲルダ〜
ソルから遅れる事数日――。
カイと、サクの二人は、イタリアは“死に絶えた街”へとやって来た。ふもとの町から、びゅうびゅうと間断無く吹きすさぶ吹雪の中を、長く険しい上り坂を経て、ようやく到達する事ができた。
「ここが“死に絶えた街”……かぁ!」
“死に絶えた街”の入口をくぐると、サクが感慨深げに声を上げた。その小さな体は、気の力で作り出した、風雪を和らげる為のドーム状の薄い障壁で覆われている。
「“死に絶えた”って割には、結構建物とかも綺麗に残ってるじゃんね」
「そうですね」
言われて、同じくサクが作り出した障壁で守られているカイが、改めて周囲を見回すと、老朽化してはいるものの、建物などは、しっかりと形をとどめている。名前から想像していた、すでに朽ち果て、うち捨てられたような町を想像していたカイにとっては、これは意外だった。なんというか、これではまるで、ある日突然に、この街から人々の生活だけが消えてしまったようではないか。そんな風に思い立った時、カイは急に周囲の気温が下がったような気がして、そっと防寒服の襟をあわせた。
「寒い?」
大きな瞳をくりくりと動かしながら、サクがたずねてくる。そういうサクは、寒さなどへいちゃらとでも言うのか、カイよりはいくらか薄着をしているにもかかわらず、いつもと変わりのない様子である。
「寒くないのですか?」
カイが聞くと、
「そりゃ寒いさ。けど、子どもは風の子っていうだろ?」
ニカッと笑ってそう言ってのけた。カイは、そのいつも通りのサクの笑顔を見て、疲れと、正体不明の物へ対する僅かばかりの恐怖とでもいうべき緊張が、ゆっくりとほぐれていくのを感じた。
「確かに、サクは子どもですからね」
冗談さえ言う余裕も出てきた。
「そういうカイも」
負けじとやり返すサク。
「私は子どもではありません!」
「そうやってすぐにムキムキするところが、ガキなんだよ。っとと、睨まない睨まない」
「サク……」
「ははっ、怒るなってば。それよか、さっさと街の探索でもしようよ。いつまでも入口付近でウダウダ油を売ってるわけにもいかないしさ?」
「それも……そうですね。わかりました。街の探索を開始しましょう」
「了解!」
肘を曲げてピシッと敬礼ポーズを取るサクにまたも笑わせられながら、カイ達は、街の探索を開始した。
「それにしても、本当に綺麗に残ってるなぁ……」
煉瓦造りの壁の雪を払いながら、サクが言う。
「ちゃんと手入れすれば、まだ十二分に人が住めるよ、これ。いっそのこと、警察機構の本拠地こっちに移しちゃう? ホラ、出入りできるところが一つしかないから、外敵からも十分身を守れるしさー」
「ふふ、それも良いかもしれませんね。けれど、本拠地にするには、機能的ではありません」
「まあ、街だからね。見張り台を造ったり、結構いろいろ手を加えなきゃだね」
「ええ」
「それに、出入りできる場所が限られていると、その分こっちも逃げ道が無いって事になるし。諸刃の剣ってやつだよな」
「さすがサク。お見事です」
心底感心したようにカイが言うと、サクは「よせやい」と鼻をこすりあげた。どうやら、誉められたことに、くすぐったさを感じたようだ。
「誉め言葉は素直に受け取っておけば良いんですよ?」
「……さーて、むちゃくちゃ広い街でもないから、全部の家を見て回るのもそう苦じゃないとは思うけどさ。少しは検討つけて調べた方が良いよね」
サクは、話題を変えたいようだ。カイは苦笑しながら頷いた。
「そうですね。では――」
カイがそこまで言いかけた時、突如、足元がぐらぐらと揺らぎ出した。
「わわっ、なんだなんだ!?」
驚きつつ、転倒しない様に足元のバランスを取るサク。だが、その努力もむなしく、ついにお尻から地面に着地してしまった。バランス感覚の良いサクが、立っていられなくなるほど、揺れは激しいものへと変わったからだ。カイなどは、サクよりも先に転倒してしまっていた。
「サク、大丈夫ですか!?」
「大丈夫じゃない! 一体なんなの? 吹雪に、地震に……天変地異かよ!」
ヤケクソ気味に叫びながら、サクは地面に身を伏せた。カイも、とにかく地震が収まらない事には身動きがとれないので、サクと一緒に地面に身を伏せる。積もった雪の冷たさに、心底情けない気持ちになりながらも、二人してじっと耐えた。
やがて、揺れが収まりかけてきた時、耳をつんざくような轟音とともに、あたり一面、まばゆいばかりの光に包まれた。だがそれも一瞬で、すぐに元どおりの静寂の世界へと戻ったのだが、先ほどまでと違い、激しかった吹雪もおさまり、空から静かに雪が降り注いでいる。
「なんです!?」
カイは、慌てて身を起こすと、サクへと手を差し伸べ……ようとしたが、すでにサクは自力で立ち上がっており、差し伸べかけた手を引っ込める羽目になった。
「今の音、聞いた?」
「はい! それにあの光は」
「うん。一体どこから……」
キョロキョロと光と音の発信源を探すサク。だが、すぐにそれを見つけたらしく、サクはポカンと口を開け、ある一点を見つめたままカイに言った。
「カイ、あれ……」
「え?」
つられてカイが、サクの視線の先へと自分の視線を移すと、街の中央に位置するであろう辺りから、天へとまっすぐに光の柱が伸びているのが確認できた。
「あれは……いったい」
カイも、サクと同じように、それを見つめたまま、固まってしまった。大空をすっぽりと覆い隠している分厚い雲を突き破り、まっすぐに天へと伸びているそれは、ひどく禍禍しい気を発しているように感じられた。
「なんか、えらくとんでもない物が待ち受けてるんじゃない? あそこ」
冗談交じりで言うサクだったが、冷や汗が一筋、頬を伝っていった。
「……」
カイは、サクの冗談に応じる気にはなれず、ただ黙ってその柱を見上げていたが、やがて決心したように頷いた。そして、言った。
「サク、街をすべて探索しなくてもよくなりましたね」
サクは、そんなカイをちらりと見ると、ふっと微笑を浮かべて頷いた。
「だね。じゃあ、さっさと行こうか」
二人は頷きあうと、その柱へと向けて駆け出した。それと同時に、またあたりがにわかに吹雪きはじめたので、なおいっそうペースを速める。もともと街自体がたいした広さではない為に、すぐにそこへと到達する事ができた。そこは、建物の造りから察するに、どうやら教会のようであった。
「教会からあんなモンが出てくるなんて、世も末だねぇ」
言って、サクが教会の扉に手をかけた。
「サク、気をつけて。なにが出てくるか、わかりませんから」
「そんなの、カイに言われなくってもね。カイこそ、気をつけなよ。キレーな雪の女王様とやらが、いるみたいだし?」
「……デュナン」
「ごめん。言って良い事じゃなかった」
「いえ、サクの言う通りです。彼のあの様子からして……なにか、男心を狂わせる妖婦が潜んでいるのかもしれません。用心してかかります」
「うん。じゃあ、カイはそっちの扉をよろしく。わたしは、こっちの扉を開けるから」
サクは一旦扉から手を離すと、観音開きの扉の右側を受け持ち、カイには左側を任せる。カイは、携えていた封雷剣を抜き放った。
「では、二人で一斉に扉を開けましょう」
「おっけ。じゃあ、いっせーので」
「ええ」
「よし! じゃあ、せぇーの」
「せっ」のタイミングで、二人同時に扉を開ける。そして、教会の中へと素早く身を躍らせた。だが、そこには警戒すべき対象は、どこにも見当たらない。ただ、ロウソクのほの暗い、柔らかな灯りに照らされた、神秘的で厳かな雰囲気の聖堂があるのみだった。
「拍子抜け」
サクが、警戒を解かずに、小声でカイに言う。
「しっ。誰かいます」
封雷剣を構えたまま、カイはサクをたしなめた。薄暗いロウソクのゆらゆらとした灯りに照らされて、複数の人影が確認できた。だがしかし、あれだけ派手な音を立てて扉から侵入してきたカイ達に、まるで注意を払う気配もなく、ただそこに突っ立っているだけという有り様なのだ。カイは、訝しく思いながらも、人影に声をかけた。
「おい」
しかし、返事はない。さてどうしたものかと考えあぐねているカイに、サクが言った。
「カイ、これ、彫像みたいだけど……」
「えっ?」
慌ててカイが近づいて確認してみると、確かに人の形をしている、不気味なほどによくできた彫像のようだった。しかも、驚いた事に氷でできているようだ。手で触れてみると、ゾッとするほどに冷たい。
「氷の彫像……ですか」
「……こっちにあるのもそうみたい。あれもそうかな?」
サクが、一体ずつ、人影――氷の彫像――を確認していく。
「やっぱりそうだ。これもあれも、氷の彫像だよ」
「そうですか……」
誰もいないはずの街で、ロウソクが灯っている聖堂も妙ならば、その暖かな聖堂内に無造作に作り捨てられている氷の彫像――しかもまったく溶ける気配すら見せていない――があるのも妙だとカイは考えていた。それは、サクも同じようで、しきりに首をかしげながら、彫像を一体ずつ調べている。
「あっ!」
「どうしました?」
突然サクが声を上げたので、カイは慌ててサクのもとへと駆け寄った。サクは、一体の彫像の前で、信じられないというような顔をして固まっている。カイが、その彫像を確認すると、それは――。
「この制服……この顔……」
愕然として、その場に立ち竦む。それは、間違いなく、デュナンと一緒にこの地へと調査へ送り出した、騎士の一人だった。
「カイ! こっちも!」
いつのまに移動したのか、別の彫像の前で、サクがカイを呼んでいる。カイがその彫像を確認すると、やはりデュナンと共に調査へとやった騎士だった。
「サク、これは……」
「うん……。氷漬けになった人間、なんだ、きっと。他の奴も……」
サクの唇が、わずかに震えていた。それは、恐怖の為ではなく、仲間をこんな姿にした者への怒りだろうか。
「こいつら……帰ってこないと思ったら、こんなトコで氷漬けにされてるなんて!」
言うが早いか、氷漬けにされた仲間ををグッと抱きしめる。サクの体が、ほのかな光に包まれた。どうやら、治癒の為の気を練っているらしい。氷漬けにされていても、生命の灯火が断ち切られていなければ、まだ助かる見込はあるという事だろうか。治癒の力を、両手から送り込み始める。だが、すぐに、
「くそっ、やっぱり駄目か……」
悔しそうに歯噛みすると、サクは言った。だが、すぐにもう一人の仲間に同じ事を試し、悔しそうに首を振った。
「駄目だ。もう手遅れだ」
「ありがとう、サク」
カイは、そんなサクの肩を優しくたたいて労ってやる。
「礼なんていらないよ。まだなんにもしてないんだからさ」
「それでも……」
そう言って、カイはサクの肩をもう一度叩くと、微笑んだ。
「カイ、サンキュ。ところで、この聖堂の中……パッと見た感じ、この氷漬けにされた人達以外誰もいないし、何もないみたいだね」
「そうですね。本当に、誰もいないし、何もありませんね」
「うん。あんだけ派手派手な演出つきで、いかにもなんかラスボスっぽいのが現れそうな雰囲気出してたのにさ」
「ええ」
「ここには何もないし、奥へ行ってみようか?」
「そうですね。彼らを弔うのも、まずは調査を終えてからでなくては……」
氷漬けにされた騎士二人を振り返ると、カイは言った。
「では、奥へと進みましょう」
「そうだね。あ、こんなトコにも、氷漬けにされた人がいる……」
聖堂の奥へと進み、説教壇へと到達したとき、ふとサクがそれに気がついた。
「こんなトコに居るから、聖母の像かと思ったよ」
「聖母の像にしては、随分いかつい気がしますが」
とりあえず、調査を進める方が先だと考えたカイは、すたすた奥へと進んでいく。サクは、なにやら気にかかる事があるのか、その氷像をじっと見つめている。カイは、振り返って声をかけた。
「サク、置いていきますよ」
「……カイ、これ」
心なしか、サクの声が震えているような気がした。
「どうしたのです?」
「こいつ……ソルだ」
「え!?」
サクの言っている言葉がすぐに理解できなくて、カイにしては間の抜けた返答をしてしまった。今、サクは……そこに氷漬けにされている人間を見て、“ソル”だと言ったのか。あの忌々しい“ソル”だと。そんなカイに苛立ったように、サクは言った。いや、言いきった。
「こいつ、ソルだよ!」
その刹那、聖堂内に、冷たい空気が渦巻いた。その冷気に舐められ、ロウソクの炎がいくつか消える。カイは、全身の毛が総毛立つのを感じた。自分の背後に――なにか、いる。
「後ろだ!」
鋭い響くサクの声。カイは、サクの声につられるように後ろを振り返る。そこには、氷のようにゾッとするほどの冷ややかな美貌を持った女が立っていた。カイは、思わず呟いた。
「雪の……女王」
女は、その顔に怜悧な笑みを浮かべると、カイに向かってまっすぐに手を差し伸べた。その腕に、冷気が集まっていく。カイは、すぐに法力で障壁をつくろうとしたのだが、間に合わなかった。激しい吹雪が、カイを襲う。カイは、それをまともにくらい、その勢いで聖堂の外へと放り出されてしまった。
「カイ――ッ!」
サクが、絶叫に近い声を上げる。あれほどの冷気を、至近距離で直撃して、無事でいるはずがない。目の前の敵を倒すよりは、一刻も早くカイを手当してやらねば……。サクは、今の状況を、素早く頭の中で分析した。では、どうやってこの敵の注意を逸らして、外へ放り出されたカイを助けてやればいいのだろうと、女に注意を払いながら、考える。次はどんな行動に出るのか。どんな攻撃を仕掛けてくるのか。しかし、女は、いつまで経っても、こちらに攻撃を仕掛けてくる気配はない。
「カイ?」
女は、ぼんやりとした表情で、カイの名前を反芻している。
「カイ……」
カイの名前を呟きながら、物思いにふけっているようだ。どうも様子がおかしい。だが、戦意も殺気も感じられない今。――今こそが、カイを手当してやれるチャンスなのではないだろうか。
一瞬でそう判断したサクは、ブツブツ言っている女を捨て置いて、素早く聖堂から抜け出した。聖堂の外へと出ると、激しい風雪が、容赦なくサクを苛む。あまりよくない視界の中、カイはすぐに見つかった。聖堂から少し離れたところに倒れ込んでいた。
「カイ! 生きてるか!?」
倒れているカイの耳元で、大きな声を出す。
「そ、そんなに大声を出さなくても……ちゃんと生きています」
サクは、ホッと胸をなで下ろした。起き上がれないくらい肉体的なダメージは大きいが、意識はしっかりしているようだ。
「今手当してやるから」
カイの体に手を当てて、力を送り込む。サクの掌から、暖かな物が流れ込んでくるのを、カイは感じた。
「面目ない」
「言い訳は、帰ってからいっくらでも聞いてやる。それより、あの“雪の女王”様子がおかしかったよ。カイの名前をブツブツ呟いて、ぼんやりしちゃってさ……。もしかして、昔の女?」
「ち、違います! 初めてお会いした方です」
「冗談だよ。ムキになるなって。ムキになると、いらない誤解を生んじゃうぞ」
「……そうやってまたからかって」
「悪い。ところで、立てる? 立てるなら立ってここから離れるぞ。あの“雪の女王”いつまでもあんな調子だとは思えないから、一旦離れて体勢を立て直してから、再度攻め込もうかと思うんだけど」
「その意見には賛成です」
カイは、グッと上半身に力を入れた。サクが手を貸してやると、素直にそれにつかまって、体を起こす。
「さすがサク。ちゃんと動けるようになりました」
「まあ、カイの体力にしては上出来なんじゃない? じゃ、行こう」
傷口はふさがっても、完全に体力の復帰していないカイは、まだ足元がおぼつかないようで、サクは肩を貸してやる。聖堂から離れようと足を踏み出したところで、いきなり目の前に巨大な氷柱が現れた。
「やばっ。ちょっと時間かけすぎたか……」
サクがペロッと舌を出す。
「……逃がさない」
小さく、ささやくような声だったにも関わらず、サクと、カイの耳には、その声がハッキリと聞き取れた。ぞくりと戦慄がはしった。
「サク、あちらへ!」
「わかってる!」
別方向へと足を向けるも、また巨大な氷柱にはばまれてしまう。
「ちぇっ。女王様は、わたしらを逃がしてくれる気はないみたいだぞ」
「では、腹を括って、ここで戦うしかないでしょう」
言うが早いか、カイは法力で障壁を生み出した。サクと、カイの二人の体を、青白い光が覆う。
「もとはといえば、カイさえ怪我してなきゃ、逃げるつもりなんか無かったんだ。この場で決着つけてやるよ。寒いけど」
サクは、カイから手を離すと、戦闘の構えをとった。カイも、封雷剣をかまえる。
「逃がさない……」
二人の目の前に、吹雪の中からゆっくりと“雪の女王”が姿を現した。先ほどまでの虚ろな様子とは違い、今度はハッキリとその目に殺意が宿っている。
「本気でやる気かぁ。じゃあ、こっちも本気出すぞー」
わざと冗談じみた口調で言って、サクがフットワークよく、距離を縮めていく。
「サク、気をつけて!」
「わかってるよ、カイ!」
拳に気の力を込めて、さて一発お見舞いしてやりましょうかという時、またも“雪の女王”が、
「カイ……」
と呟いたのを聞いて、サクは手を止める。
「サク、どうしたんです!?」
「いや、だって……またこの人、様子がおかしいから」
先ほどと同じように、ぼんやりとした表情で、カイの名前を呟いている。瞳に宿っていた殺意も、どこへやらである。
「カ……イ」
「呼んでるぞ、カイ」
「ええ!? でも、本当に私は……」
「カイ……カイ……カイ……」
“雪の女王”は、頭を押さえて蹲り、カイの名前を何度も何度も、苦しそうにうめきながら、呟いている。
「どうしよ……。無抵抗の相手を倒すのは、わたしの倫理に反する」
「この方は、無抵抗の私を情け容赦無く吹き飛ばしましたけどね」
「ンな事いったって、美人見てポーッとして油断してるカイが悪いんだ、それは」
「なっ! 違います。見惚れていたわけでは断じてありません」
「どっちでも良いよ、そんなん。それより、この人具合悪そうだし……。手当して話を聞いてみよう。まあ、十中八九、この人が仲間を氷漬けにしたんだとは思うけど、仇を取るなら、言い分を聞いてからでも良いよな?」
「そんな事を言っている場合ではないと思うのですが」
「うるさいなぁ。そういうカイだって、今がやっつけるチャンスなのに、さっきから全然この人に攻撃しようとしてないじゃん。お互い様だろ」
「……それは」
「ちょっと黙っとけ。それより……あの、大丈夫?」
サクが、“雪の女王”に声をかけた。
「どこか具合悪いの?」
声をかけながら、少しずつ距離を詰めていく。
「よかったら診てあげようか?」
蹲る“雪の女王”の隣に立って、そっとその肩に手をかけた。
「うぁっ、冷たッ」
サクは、思わず手を引っ込めると、「ごめん」と謝ってから、もう一度肩に手を置いた。やはり、冷たい。人間の体温というものを、まったく感じられないなとサクは思った。
「あのさ、なんていうか、体冷たいね。風邪引くから、中に入らない?」
再三の呼びかけにも、やはり“雪の女王”は応じようとはしなかった。
「……カイ、とりあえず、中に入ろう。この人連れてくの手伝って」
「わ、わかりました」
サクとカイの二人で、“雪の女王”の体を支えながら、聖堂へと戻る。とりあえず、聖堂の中に並べられている長椅子の一つに“雪の女王”を座らせると、カイは、聖堂の扉を閉めに行った。
「頭、痛い?」
サクが語り掛けると、“雪の女王”は小さく頷いた。
「あっ、応えてくれた。えっと、わたし、少しなら治癒の力があるんだけどさ、うまくいけば、その頭痛、和らげてあげることが出来るかもしれないよ」
「ありが……とう」
「あっ、こたえてくれたね」
屈託なく笑いかけるサクに心を開いたのか、“雪の女王”も、くすりと微笑んだ。
「わたし、サクってんだ」
突然名乗りを上げたサクに、きょとんとする“雪の女王”だったが、
「私は……」
ぽつり、とつぶやくようにそう名乗った。
「へえ、ね。いい名前」
そして、戻ってきたカイにくるりと顔を向けて、
「こっちは、カイっていうんだ」
「カイ・キスクです。よろしく」
はたしてよろしくと言っても良いものなのか迷ったが、カイは自己紹介をすませた。“雪の女王”もとい、は、ふとカイの顔をまじまじと見つめる。
「カイ……」
「さきほどから気になっていたのですが」
こほん、と咳払いを一つしてから、カイは切り出した。
「貴女は、私の名前に何か思うところがあるようですが、それはいったいなんなのですか?」
「雪の女王よ」
サクが、目をまん丸に見開いてを見た。
「雪の女王って? ねえ、、それなんなの?」
は言った。
「おとぎ話……。雪の女王にカイちゃんが連れて行かれてしまって、ゲルダがカイちゃんを探しに来るの」
夢見るような調子で、。その、どこか幼い子供のような口調に、カイは言いようのない不安を覚えた。
「わたしも、そのおとぎ話は聞いたことがあるよ。カイってのは、そのカイのことで、こっちの金髪野郎のことじゃないんだよね?」
「き、金髪野郎なんて、口が悪いにもほどがあります!」
「うっさい。ねえ、、そうなんだろ?」
は、首を振った。
「わかんない……。私、頭が痛い」
またが頭を押さえて苦しみだした。サクは、質問を切り上げると、そっとの肩に手を回し、空いている手をの額に当てて、法力を送り込み始めた。
「……あっ」
サクが、驚いたような声を上げる。そして、信じられないという顔で、を見た。
「サク、どうしたのですか?」
カイを瞥見すると、またサクはの顔をまじまじと見た。そして、
「ちょっとゴメン」
そう言って、の胸に手をあてた!
「な、なにを破廉恥なことを……!」
真っ赤になりながらサクの行為を非難するカイには目もくれず、サクは確信に満ちた顔でうなずいた。
「、生きた人間じゃないね」
これには、さしものカイも驚いてしまった。そして、言われた自身も、信じられないという顔でサクを見つめる。
「サク、なにを言っているんです? この人が生きている人間じゃないとは、どういう……」
「治癒の法力を体に送り込めない。心臓が動いてない」
サクは、簡潔にそれだけ述べた。さきほどの破廉恥に見えた行為は、別に変な気持ちを起こしたわけではなく――あたりまえだ!――、心臓の鼓動を確かめるためだったようだ。
「では、彼女はアンデッドなのですか?」
「いや、そんなんじゃない。そんなんじゃないけど……」
自分の顔を見て、青ざめているの顔を見て、サクはハッと口をつぐんだ。しかし、はショックを受けた様子で、ぎゅうっと自分の体を抱きしめた。そして、ガタガタと震え始める。
「私、生きた人間じゃない」
小さくつぶやくと、は頭を抱えて、慟哭した。切ない、悲鳴のような細い声が、からもれる。いたたまれなくなって、カイはから目線を逸らした。サクは、そんなの体を、グッと抱きしめてやる。
「思い出したわ。私、死んだのよ!」
は、突然顔を上げて、そう叫んだ。
「死んだんだわ! いけない、私に近づかないで!」
「うわっ」
突然、がサクを突き飛ばすと、聖堂の奥へと一目散に走っていってしまった。
「サク、大丈夫ですか?」
カイが手を差し伸べると、
「わたしはだいじょぶだけど」
言いつつ、サクはカイの手につかまって立ち上がった。そのとき、大きな揺れが聖堂を襲った。ここへ到着したときに感じた揺れと同じくらい激しい地震だ。
「わわわっ」
「うわっ」
サクとカイは、手を握り合ったまま、仲良く地面にしりもちをついた。地震はなおも続く。激しく揺さぶられながら、サクは叫んだ。
「もー! なんだっていうんだよ!」
その声を合図にしたように、ピタリと揺れが収まる。
「……いつの間に、地震を鎮める方法を習得したのです?」
しりもちをつきながら、カイが笑った。
「わたしともなると、言霊だけで森羅万象を操れるんだよっ」
投げやりにそう言うと、サクはさっさと立ち上がった。
「ほら、カイ、わたしらも奥に行くぞ!」
カイはやれやれとため息を吐くと立ち上がり、
「そうですね。には、まだ聞きたいことがありますから。それと――」
なんだよ、と言いたげな顔で、サクがカイを睨む。
「また地震が起きたときは、言霊を頼みます」
言った瞬間、サクにむこうずねを蹴っ飛ばされてしまった。それでも、してやったという心持で、カイは聖堂の奥へと続く扉に手をかけたのだった。
<第五章・終>