四章〜Chilling Touch〜

 

「ここが、死に絶えた街か……」

 崖の上にそびえる、天然の城塞の街にたどり着くと、ソルは思わず呟いた。あたりには、人の気配はせず、雪がそこいらじゅうを覆い尽くしている事もあり、不気味な静寂に包まれている。まさに、その名前の通り、ここは『死に絶えた街』だった。

「うすら寒いところだぜ」

 こうしている今も、空は相変わらずの悪天候で、立っているだけでも、体に白い雪がどんどん積もってくる。いかにソルといえども、じっとしていると体の芯から凍えてしまいそうな気がしたので、とりあえず、この街の中を探索する事にした。

 もっとも、探索などせずとも、街の中心部に位置している――ヴォーカリストの男の話にも出てきた――鐘つきの古びた建物から、空へと向かって伸びている暗黒の瘴気が見て取れるので、ソルは迷う事なく、そちらへと向かった。

「教会……ね」

 ハッ、と吐き捨てるように、ソルは言った。神を崇める神の家から、どう考えてもそれを冒涜するような、禍禍しい物が、天へと向かって渦を巻きながら、一直線に伸びているのだ。

「まるで、バベルの塔だな」

 とすると、そろそろ神からの天罰が下る頃かもしれねえな、とソルは考え、その馬鹿馬鹿しい考えを打ち消すように、教会の扉に手をかけた。ぐいと力強く取っ手を引くと、扉は、何の抵抗も無く開かれた。中から、暖気が漏れてくる。そこは、聖堂だった。神に祈りを捧げる為の。

 聖堂内には、一面にロウソクの灯かりが、ゆらゆらと揺れている。その灯かりに照らされて、まばらに人影が見えた。

「気配はしなかったはずだが……」

 いぶかりながらも、ソルは中へと足を踏み入れた。扉に一番近いところに突っ立っている人影に、警戒しながら近づいた時、ソルは、それが人ではなく、人の形をした、氷でできた彫像である事に気がついた。

 周りを見回すと、そのどれもが、生きている人間ではなく、氷でできたヒトガタなのだ。しかも、妙に精緻な造りで、ある者は苦悶の色を浮かべ、またある者は、恍惚の表情を浮かべているではないか。

「趣味の悪い彫像だぜ」

 彫像の一つを、コンコンと叩いてみる。指先から伝わってくる、ゾッとするような冷たい感触に、ソルは思わず身震いをした。

「しかし、なんだってまたこんなモンが……」

 彫像の一つ一つを確かめながら、聖堂内をうろつくソルに、よく見慣れた衣服をまとった彫像が目についた。

「聖騎士団の制服じゃねえか」

 思わず口に出して、ソルはその彫像の前で立ち止まった。紛れもなく、以前、ある目的の為に自分が所属していた事もある、対ギア戦の為の精鋭部隊だった聖騎士団――今は名を改めて、国際警察機構となっているが――の制服だ。

 ――なぜ、こんなところに造られている彫像が、聖騎士団の制服を?

 疑問に思いながら更に細かに彫像を観察していると、その彫像のベルトのバックルには、『PEACE』と彫られているのが確認できた。それを見た時、ソルの背中に戦慄がはしった。そして、先ほどよりも多少早足になりながら、他の彫像も見て回った。

 あった。もう一体。聖騎士団の制服を着ている彫像が。――ベルトのバックルには、『LIFE』。

「命あっての物種だから」

 それが口癖だった、壮年の騎士の事が、ソルの頭をよぎった。顔を確認してみると、間違いなく、それは顔見知りのあの男と、瓜二つだった。

 ソルは、確信した。

 ここにあるすべての氷の彫像は、氷で彫刻されたものではなく、生きた人間が、氷の中に閉じ込められて作られた、人間の氷漬けだという事を!

 その刹那、ギイッと軋んだ音を立てて、教会の扉が開かれた。ソルは、反射的に人間の氷漬けの後ろに身を隠す。頭だけを氷漬けの肩越しに覗かせて、何者がやってきたのかを確認する。――それは、どうやら女のようだった。この寒さのなか、見ているこちらが寒くなってくるほどの薄着をしている。

 女は、氷の彫像群にはまったく目をくれずに、まっすぐに祭壇のまで歩み寄ると、両膝をつき、両手を組んで、神の子の御前に頭をたれて、ただひたすらに祈り始めた。ソルは、気配を殺しながら、一心に祈りを捧げている女へと距離を縮めていく。

 ――この女は、一体何者だ? なぜ、こんなところにいやがる? 氷の彫像を作った、趣味の悪い彫刻家は、この女なのか?

 様々な疑問を頭に浮かべながら、ソルは、女の背後まで忍び寄った。しかし、女は一向にこちらに気がつく様子はなく、また、邪気や、ギアの気配も感じられない。どうしたものかと思案していたところ、ふいに女が顔を上げた。そして、ソルを振り向き、

「あなた……誰?」

 たった今、夢から覚めたばかりのような、少しばかり虚ろな瞳をソルに向けながら、そう言った。

「お前こそ、なんだ?」

 警戒を解かずに、ソルがやや厳しい口調で女に問い返した。

「え……」

 女が、きょとんとした顔を向けた。虚ろに見えた瞳に、光が宿る。そして――そして、女は微笑んだ。その瞳には、邪気や、悪意といったものが、微塵も感じられない。

「私は――

 よろしくね、とでも言わんばかりに、はもう一度微笑んだ。その笑みにほだされたというわけでもないが、ソルはの質問に、答えてやる事にした。

「俺は、ソル。ソル・バッドガイだ……」

***

 ソルがと言葉を交わしてから、しばらく後。二人は、『死に絶えた街』の一軒の家の中にいた。が、ソルを自宅へと招いたのである。

「狭いところでごめんなさい」

 が、ソルの前にティーカップをおきながら、申し訳なさそうに言った。ソルは、木製の簡素な椅子に腰掛けながら、これまた簡素なテーブルの上に出されたティーカップに口をつけた。湯気が出ていないことから、暖かい飲み物ではないと思っていたが……。

「このクソ寒ぃのに」

 と、思わず文句を言ってしまいたくなるほど、その飲み物は冷たく、冷え切っていた。

「遠慮せずにどうぞ」

 知ってか知らずか――は、悠然と微笑んで、ソルにお茶を勧めてきたが、ソルはそれを断ると、様々な疑問をにぶつけてみることにした。

「ようテメエ……ここには、一人で住んでいやがるのか?」
「いいえ。私は、おばあちゃんと一緒に住んでいるの」
「ババア? 他に人間の気配なんざしねえがな」
「おばあちゃんは、病気で街を出られない私に代わって、食べる物や、お薬の調達をしに、ふもとの街まで出かけているから」
「テメエは病気なのか?」
「ええ」

 そう言われて改めてを見ると、彼女は薄い透き通った氷のような、命の息吹が感じられない程の――白さを通り越した、青白い肌をしていた。イタリアの女は、全員が全員というわけではないが、眩しい程健康的な小麦色の肌をしているし、それが好まれもするのだが。

「ふん。次の質問だ」
「なんだか、尋問されているみたいね」

 は何がおかしいのか、くすくすと笑った。ソルはそれを無視して、次の質問をする。

「この街の他の住人は、どうしていやがる?」
「……さあ。前に地震があったとき、みんな出て行ってしまったという話だけれど」
「さあ、だと? お前は、ここの生まれじゃねえのか?」
「……」

 ふいに、が口を閉ざした。

「どうした?」
「……」

 目を伏せ、困ったような顔をして、はただじっと、下唇をかみ締めている。

「フン。答えたくねえのか、答えられねえのか……。まあいい。次の質問だ。あの教会にあった氷の」

 ソルが全てを言い終わる前に、は、急に顔を上げた。

「なんだ?」
「あの氷の彫像はね、いつのまにか、あそこにあったの。それで、少しずつ増えていったの。私が知らない間に」

 瞳が、とろんと虚ろな色を浮かべている。

「知らねえ間に増えた、だと? ここに住んでて気がつかなかったってのか? おい、どうなんだ?」
「私……よく、怖い夢を見るの。夢を見た後は、決まってお祈りに行くの……。その度に、少しずつ増えているの」

 うっすらと、目の端に涙を浮かべて、が言う。その口調は、どことなくたどたどしくもあった。

「おい、! よく聞け、おい、お前は、あの氷の彫像が……人間の氷漬けだって事を、知ってやがるのか!?」

 の肩をつかんで、揺さぶった。は、悲しげに瞳を伏せると、ゆるゆると首を振った。

「わたし……こわい」

 そう呟くと、ふっと気を失ってしまった。

「おいっ」

 とっさにソルが、倒れてくるの体を抱きとめた。

「――ッ」

 その体は、驚くほど冷たかった。まるで体温を感じられないほどに。そう、氷のように。

「チッ。面倒な事になりやがったぜ……」

 ブクツサ文句を言いながら、ソルは、をベッドに横たわらせてやった。そして冷え切った体を、とにかく温めなくてはが死んでしまうと思い、厚めの掛け布団を探したのだが、なぜかのベッドには、薄手のタオルケットしかかかっていない。仕方がないので、手の中に炎を作り出して、気を失っているに飛び火しないように注意を払いながら、その炎を近づけてやる。

 ゆらりゆらりとした炎の照り返しが、の顔の陰影を作り出した。は、かたく瞳を閉じたまま、時折うなされている。睫毛が、ふるふると不安げに揺れた。ソルは、ベッドに腰掛けると、空中にいくつかの炎の球を作り出し、の体を取り囲むように、それを配置した。じんわりと、部屋の温度が上昇するのを感じる。これならば、体を温めることもできるだろう。

 ソルは、が目を覚ます前に、もう少し街の様子を見てこようと、ベッドから腰を浮かしかけた。

「あ?」

 指先に、ヒヤリとした感触。驚いて手元を見ると、シーツが水気を含んでいる。を見ると、体中から大量の汗をかいていた。しかし、この汗のかきかたは尋常ではない。とにかくを起こそうと、ソルが行動しかけたとき。部屋に浮かんでいた炎の玉が、全てかき消えた。と同時に、部屋の入り口に人の気配を感じた。

「――誰だッ!?」

 振り向いたソルの目には、一人の老女がたたずんでいるのが確認できた。

「……なんという事をしてくれました」

 老女は、厳しい顔をして、ソルを睨み付けている。

「なんだと?」

 老女は、一歩、部屋の中へと足を踏み入れた。

「その娘は、体温が上昇すると、死んでしまうのです。それを……知らずとはいえ、貴方は、貴方はその娘の命を縮めるような真似をしてくれた」

 キッ、と鋭い眼光をソルに投げかける。その瞳からは、殺気が伝わってきた。それは、とても年老いた女が発する気などではない。

「ババア。テメエ、タダモンじゃねえな……」
「貴方は、雪の女王というお話をご存知か?」

 老女は、ソルの質問には答えず、脈絡も無い話をし始めた。

「雪の女王に魅入られた、カイという少年を、ゲルダという小娘が連れ戻しに来るという他愛も無いお話です」

 淡々と語る老女は、底知れぬ不気味さをたたえている。せっかく暖めた部屋の気温が、またも下降していくのが感じられた。

「それがどうした!?」

 雰囲気に飲まれぬよう、気合を込めてソルが叫ぶと、老女はニヤリと笑った。

「うっふふふ……」
「うさんくせえババアだぜ。やいババア、テメエ、今回の事件の事……色々と知ってやがるな?」

 しかし、老女はニタニタと笑っているだけで、一向に答える気は無いらしい。

「答えたくねえなら、答えたくなるようにしてやろうか!?」

 通じないと思いつつも、ソルは不気味な老女を恫喝した。が、やはり老女はただ笑っているだけだ。

「おっほほほほ……。せっかちで野蛮な殿方だ事。そうですねえ、そんなに知りたいのなら、に聞いてみるが良いさ」
「ああ!?」

 老女にソルがつかみかかろうとした時、その手を、後ろから誰かが掴んだ。ゾッとするほど冷たい……死人の、いや、氷そのもののような手が。

!?」

 が、しっかりとソルの手を掴んでいる。その手は、先ほどよりも、更に冷たくなっていた。

「おい、テメエ、これはどういうことだ!?」

 しかし、はなにも答えなかった。下を向き、右手だけを前に突き出して、ぎゅうっとソルの手を掴んでいる。

「おい、何とか言え!」

 やはり沈黙したまま、は、ソルの手を掴んでいる手に、より一層の力を加えてきた。ぐいぐいとの爪が食い込み、ソルの皮膚が裂け、血がにじむ。その痛みに、思わずソルは顔をしかめた。

「離せ」

 いやだとでも言うように、は更に指先に力をこめる。

「ぐっ」

 鋭い痛みが、に掴まれている部位から伝わってきた。慌てて振りほどこうとするが、手がいう事を聞かない。まるで、手先の感覚が無くなっているのだ。

 それもそのはず。ソルの手は、一瞬にして、氷漬けにされてしまっていた。さしものソルも、これには驚きを隠せない。

……テメエが」

 氷の彫像を作った張本人だったのか! そう言おうとしたのだが、老女が張り上げた声に、かき消されてしまった。

「さあ、雪の女王よ! そいつはお前を殺して、カイを奪いに来たゲルダなのだよ! 他の者達同様、氷漬けにしておしまい!」

 は、ソルの手を離した。そして、ソルが抵抗する前に、しっかりと自分の腕で、ソルの体をかき抱く。おそらく、力自体はそれほどの物ではないのだろうが、の体から伝わってくる、痛いほどの冷気で、思うように力をふるう事ができなくなっている。は、ソルの瞳を、潤んだ瞳でのぞきこんだ。ゆっくりと顔を近づけてくる。

「なんの……真似だッ」

 ソルの唇に、の唇が重なった。二枚の氷の板を重ね合わせたように冷たい唇から、ソルの歯列を割って、舌と共に冷気がねじ込められる。

 そして、ソルの体から、急速に体温が下がっていった。抗いがたい眠気が襲ってくる。だが、それに抵抗しながら、の瞳を見つめると、は、氷の仮面をかぶっているかのように表情の無い顔で、ソルを見つめ返してきた。

 ――瞼が重くなる。

 すでに、体の中から、冷気がソルを蝕んでいた。体の外も、屈強な筋肉に、氷の膜が張り始めた。徐々に凍り付いていく肉体を感じながら、ソルが最後に見たものは、表情の無い瞳から、ぼろぼろと涙をこぼしているだった。

 ああ、今は、恐ろしい夢とやらと見ているのだろう。そんな事を考えながら、やがてソルの意識は、底の知れない暗闇の淵へと沈んで行ったのだった……。

 

<第四章・>