三章〜雪の女王〜

 

「――ッ!」

 自らの悲鳴で、目を覚ました。ベッドの上に、上半身だけを起こして、肩で息を吐く。

「また、あの夢……」

 夢を見すぎて、どちらが現実の世界なのか、わからなくなる。こうしている今だって、実は夢の中で……それと気づかずに、こんな事を考えているだけなのかも。

「おや、目が覚めたのかい?」

 部屋の奥から、おばあちゃんが顔をのぞかせた。

「……うん、おばあちゃん」
「少し、顔色が悪いようだけれど」
「怖い夢を見ていたから」

 私がそう言うと、おばあちゃんは悲しそうに俯いてしまった。――ああ、また心配をかけてしまったわ。私はいたたまれない気持ちになり、

「私、少し外へ行ってくる。きっと、その方が気分が晴れるから」

 そうおばあちゃんに告げると、ベッドから這い出した。

「そう。でも、あまり無理をするのではないよ。お前は、病気なんだから……」
「大丈夫。教会まで行くだけですもの」

 私は、おばあちゃんを安心させようと、微笑んでみせた。

「行ってきます」
「ああ、行っておいで」

 家を出ると、強い風が吹き込んできた。今日も、空はご機嫌斜めのようだ。目が開けられないくらいに吹き荒ぶ激しい風に混じって、白い雪が狂ったように乱舞している。嫌な夢を見た後は、これくらい吹雪いている方が、ちょうど良い。なんだか、私の鬱々とした気持ちを、覆い隠してくれるような気がするから。私は、そんな事を考えながら、まっすぐに教会へと向かった。

 教会まで辿り着くと、私はその扉を開け、中へと入った。ロウソクの灯りに照らされて、聖堂の中が、幻想的に浮かび上がる。扉からまっすぐに伸びている赤いカーペットの上に、足を乗せた。

「あら? こんなところに……」

 ついこの間までは無かった気がするけれど、赤いカーペットの途中に、いつの間にか、男の人の彫像が置いてある。以前から、この聖堂には、人の形をした精巧な彫像がいくつかあって、ふと気がつくと、その数が増えていることがあった。私は首を捻りながら、その彫像をよけ、祭壇の前まで歩を進めた。

「神様お願いします」

 祭壇の前に跪いて、私は神様にお願いをする。

「もう、あの悪夢を見なくなりますように」

 頭をたれ、一心にそれだけを願う。どれくらいそうしていたかわからないけれど、ふと、私は背後に人の気配を感じて、振り返った。そこには、優しい笑みを浮かべ、おばあちゃんが立っている。私が微笑み返すと、私の頭をゆっくりと撫でてくれた。

「ふふふ、お前は本当に良い子だね。良い子でいるご褒美に、お話を聞かせてあげようね」

 私は黙っておばあちゃんがお話を語るのを聞いていた。いつもの『雪の女王』の話……。カイと、ゲルダという仲良しの男の子と女の子がいて、カイだけが、雪の女王に魅入られて、その世界へと連れて行かれてしまう――。残されたゲルダは、カイを探しに旅に出て……。

 話がいよいよクライマックスを迎えようとしているとき、おばあちゃんが、ふと口を閉ざした。私が話の続きをせがもうとしたとき、強い調子でおばあちゃんが言った。

「カイは、雪の女王と、永遠に氷の世界で二人きりで暮らすのさ!」

 それと同時に、激しい音を立てながら、教会の扉が開かれた。そこには、見たこともない三人の男の人が、とても怖い顔をして立っていた。彼らの手には、白く光る剣が握られている。おばあちゃんは、そんな彼らを見ても、たじろぎもしない。それどころか、彼らを指差して、叫んだ。

「そら! 小賢しいゲルダが、お前のカイを奪いにやってきたよ!」

 その言葉を聞いた途端、私の頭に、ガン、と鈍く重たい衝撃が走った。

「あぁ……痛い……頭が……ッ」

 私は、あまりの苦痛に、頭を押さえて蹲った。

「その女性に何をした!?」

 男の人の声が聞こえる。

「大丈夫か!?」

 男の人が、こちらへ駆け寄ってこようとする気配。

「ほらどうしたんだい? 早くしないと、カイを連れて行かれてしまうよ!」

 苛立ったように、おばあちゃんが叫んだ。すると、嘘のように頭の痛みはどこかへ行ってしまい、妙にスッキリとした気分になった。私は、立ち上がった。そして、おばあちゃんに頷いて見せた。そう、忌々しい“ゲルダ”が、私の大切なカイを奪いにやってきたのだ……。

 私の足元から、冷気が立ち上る。小さな冷気は、やがて渦を巻く吹雪となり、私の身体を取り巻いた。それを見た三人の“ゲルダ”の内、一番年若いと思われる者が、青ざめた顔で一歩、後退りをした。私は、それに向かって微笑みかける。

 ――怖がらなくても良いのよ? 望むなら、あなたもカイにしてあげるから。

 私の意図を汲んだのか、それは惚けた様な顔をして、フラフラと私の下へ歩み寄ってきた。私は、両手を広げて、私の腕の中に、それを迎え入れる。

「駄目だ! デュナン、行くな!」

 他の二人が何かを喚いている。私は、“ゲルダ”を左手で抱きしめたまま、顔を声のした方へ向けると、軽く右手を振ってやった。氷の飛礫が、うるさく喚いた“ゲルダ”へと向かって飛んでいく。生意気にも、直撃する間際に、もう一人の“ゲルダ”が障壁を生み出したので、残念。せっかくの氷の飛礫は、掻き消えてしまった。

「油断するな!」

 障壁を生み出した“ゲルダ”が大声を上げる。

「少し大人しくしていて?」

 私は、腕の中の“ゲルダ”の額に、口付けを落とした。そして、障壁を生み出した“ゲルダ”に向き直ると、両手で空を切り、氷雪まじりの風を起こした。“ゲルダ”は、再度障壁を生み出す。ふふふ、馬鹿の一つ覚えみたいに……。まあ、それが狙いだったのだけれど。障壁と、私の力がぶつかり合う瞬間、私は、必死に私の力を相殺している“ゲルダ”の背後へと素早く回った。

「危ない!」

 仲間が叫んだけれど、もう遅い……。目の前の攻撃から身を守ることに徹してしまった愚かな“ゲルダ”の首根っこをつかまえると、私は、手の先に向けて、一気に冷気を放出する。面白いように、“ゲルダ”の体温は下がっていき、体に綺麗な霜がはって……そして、一体の美しい氷の彫像へと、生まれ変わった。

「た、隊長――ッ! こ、この、化け物め!」

 残ったもう一人の“ゲルダ”は、白く光る剣をしっかりと握りなおすと、こともあろうに、この私を……睨み付けたではないか。私に鋭い視線を投げかけてくる、その瞳の奥には、めらめらと赤い炎が燃えているのが見える気がした。怒り? 憎しみ? そんな激しい感情を、瞳の奥に宿している。――私は、この炎が好きではない。

「うおおおおおおお――!」

 裂帛の気合とともに、“ゲルダ”が私に斬りかかって来る! 私は、口をすぼめて、ヒュ、ヒュ、ヒュ、と短く、呼気を吐き出した。瞬く間に空気中に鋭く尖った氷の刃ができあがる。私は更にひゅうと息を吹きかけてやると、私に襲い掛かる“ゲルダ”の、武器を持つ方の手を、氷の刃で貫かせた。

「うがあっ!」

 “ゲルダ”は悲鳴を上げ、たまらずに武器を取り落とした。カランという乾いた音が、聖堂の中にこだまする。

「刃物なんて、危ないでしょう?」

 私はその剣を拾い上げると、刃を舌でなめてみせる。たちまち、剣は凍り付いた。凍り付いた剣を、思い切り床に叩き付けると、粉々に砕けてしまった。ロウソクの灯りに照らされて、それはキラキラと煌いた。美しかった。

「ぐっ」

 武器がなくなったというのに、未だ戦闘意欲は衰えていないらしい。瞳の中には、あの忌々しい炎が燃えている。私は小首をかしげてみせた。

「おとなしくすれば、あなたも素敵な氷の彫像になれるわよ」
「ふざけるな!」

 更に激しく瞳の奥の炎を燃え滾らせると、ゲルダ≠ヘ、その手の中に力を込め始めた。見る間にその手の中には大気が集まり、渦を巻き始めたのが、視覚的にも確認できた。

「風よ! 無数の刃となって、我が敵を切り裂け!」

 鋭い剃刀の刃のような風が、私に襲い掛かる。私は、微笑んだ。私を慕うゲルダ≠ェ、私の前に立ちはだかり、その風から、身を呈して私を守ったのだ。あっという間に、その服も、肌も、無数の鋭い風によって、ズタズタに切り裂かれる。温かな赤い飛沫が、ビチャビチャと私の体に降り注いだ。

「馬鹿な!」

 彼の目から、あの炎が消えた。もはや、戦う意欲などどこかへ行ってしまったらしい。我を忘れた様子で、自分が切り裂いたゲルダ≠フ許へと駆け寄ってくる。

「なんてことだ! おい、デュナン、しっかりしろ!」

 抱き起こし、傷の手当をしようと試みているようだけれど、

「もう手遅れなんじゃないかしら」

 耳元で、そうささやいてやった。

「うわぁっ!」

 なんだか、可哀想になるくらい、うろたえている。少しからかってあげるつもりで、耳たぶを甘噛すると、短く悲鳴を上げ、耳を押さえて、私から離れた。

「み、耳が……ッ」
「霜焼けになってしまった?」
「ば、バケモノめっ!」
「ふふ……」
「お前のせいで、デュナンと……隊長が……」

 私は首を振った。

「彼をそんな無残な姿に変えたのは、貴方でしょう?」

 その一言に、ひどくショックを受けたらしい。ポカンと口を開ける可哀想な“ゲルダ”。絶望が、顔一杯に広がっていく。

「お、俺が……デュナンを……」
「そう、貴方が……」

 私は、言いながら、一歩また一歩と距離を縮めていった。“ゲルダ”は、もはや私から逃げようとか、私を倒そうとか、そんな意思はなくなってしまったようだった。仲間を傷つけたことが、それほどにショックだったんだろう。

「俺が……」
「そう」

 私は、目の前まで歩み寄ると、優しく“ゲルダ”の手を取った。

「あ……う……」
「怖がらないで。私は貴方に危害を加えたりはしないわ。ただ、少し……眠ってもらうだけだから」

 にこりと微笑みかけると、“ゲルダ”も微笑み返してきた。

「それじゃあ、お休みなさい。ゲルダ……。静寂の世界で、素敵な夢を」

 私は、“ゲルダ”を抱きしめた。“ゲルダ”の体は急速に冷たくなっていき、やがて、一体の氷の彫像へと化した。私はそれから離れると、ズタズタに切り裂かれた“ゲルダ”へと向き直る。

「まだ生きている?」

 問いかけたけれど、返事は無し。凄い出血だけれど、苦しそうでもない。かがみ込んで、“ゲルダ”の頭を、膝の上に乗せてやる。“ゲルダ”は微笑んだ。そして、私の手をぎゅうと握り締める。私も、手をギュッと握り返してやった。その時、“ゲルダ”が薬指――左手の薬指――に、煌く金色のリングをはめていることに気がついた。それに気づいた瞬間、私の頭に激しい痛みが襲い掛かった。

「ああっ!」

 ズキン。年若い青年。ズキン。薬指のリング。ズキン。ズタズタに切り裂かれた青年。ズキン。氷漬けになった彼の仲間達。色々な出来事が、私の頭の中を駆け巡る。私は、それら全てを打ち消すように、激しく頭を振った。そして、今、命のともし火が消えかけている――確か、デュナンと呼ばれていた――青年の傷口に手をかざした。青年の体から、体温が徐々に下がっていく。こうして血液の循環を悪くすれば、出血はなんとか止める事が出来る。

「しっかりして」

 私は青年の体を支えて立ち上がらせると、ただただ必死の思いで街を出て、ふもとの街まで、彼を連れて行った。そして、民家の軒先に彼を寝かせると、ドアを激しく叩き、中の人が出てくる前に、急いでその場から離れた。

 私は、そのまま無我夢中で聖堂まで戻ってきた。神の御前に跪き、手を組んで祈りを捧げる。

「無駄だよ」

 背筋が凍りつくような、おばあちゃんの声。

「お前は、雪の女王なんだ。神が、呪われた忌まわしいお前の事なんかを、助けてくれるはずがないだろう?」

 おばあちゃんは、そう言って私の肩に手をかけた。

「お前は、雪の女王なんだよ」

 その声を聞いているうちに、私の意識が混濁しはじめた。おばあちゃんの姿も、聖堂も、ぼんやりとかすんで見える。

「お前は、雪の女王なんだ」

 ――私は……私は、雪の女王……。

「わたしは……ゆきの、じょおう」
「良い子だね。お前は、雪の女王だよ。さあ、またいつものお話を聞かせてあげようね」

 私は、こっくりと頷いた。おばあちゃんは、満足そうに微笑んで、いつものお話を語り始めた……。

 

<第三章・>