第二章〜寒冷のギグ〜
安酒場の一角で、賞金稼ぎのソル・バッドガイは、エール酒を呷り、この地方特産のウインナーソーセージに舌鼓を打ちながら、店内に熱く激しく鳴り響く、脳天を直撃するような、ソウルフルなサウンドに、耳を傾けていた。
「ヘヴィなサウンドだぜ……」
ぐびりと一口エール酒を呷ると、ソルは呟いた。この安酒場は、ロックの生演奏を聴かせる事をウリにしているようで、情報を得ようと、たまたまフラリと立ち寄ったソルには、思いがけない楽しみができた。
全身全霊でギターをかき鳴らす若いギタリストと、魂の叫びをホール全体へと響かせる派手なヴォーカリストのシャウト。そして、激しくリズミカルに打ち鳴らされるドラムスに、規則正しく低音を刻み、バンド全体の縁の下を努めているベース。
「悪くねぇ」
そう、彼らの演奏は、悪くなかった。それは、決して上手いと誉められるような歌ではないし、演奏自体も、技巧に優れているだとかは言い難いが、こんな陰うつな吹雪ばかり続いている、全ての憂さをうちはらしてくれるかのような、そんな力のある演奏だった。
「バーテンダー」
ソルは、バーテンダーを呼び付けると、この酒場では割と良い品種に入るビールを注文した。その壜の口へと、心づけをねじ込み、バンドマン達へと差し入れるように言付けた。言われた通り、バーテンダーは、彼らの演奏が一段落すると、心づけのねじ込まれたビールを、彼らへと差し出した。驚いた顔をするメンバーに、「あちらの方から」とソルを指している。すると、ヴォーカリストが、他のメンバーに何事か告げると、ソルの元へとやってきた。
「ここ、良いかい?」
一応、ソルに確認をとったが、返事を待たずに、ソルの隣に腰かけると、
「俺にも、この旦那と同じモンを」
と、熱々の茹でたウインナーソーセージを注文する。男は、ソルから差し入れられたビールの壜に、直に口をつけると、ぐびぐびと豪快にそれを飲んだ。ソルは、さして興味もないと言った風に、ぐびりと自分のエール酒を呷っている。
「馳走になっちまったな」
並びの悪いスカスカの歯を、ニカッとむき出しにして、ヴォーカリストは笑った。どこかのジャンキー忍者もどきのように、クスリをやっていた事があるのだろう。今はどうだかわからないが。だが、その笑みは、どことなく悪戯小僧を思わせる。
「……クサッた気分をブッ放すみてえなギグだったからな」
ソルは、あまり興味がなさそうに、ヴォーカリストに答えた。
「それだけだ」
「ヘッ。お褒めに預かり光栄ってモンだぜ。まあ、この悪天候――クソみたいな吹雪ともなりゃあ、誰だってクサりたくなるもんだ。ところで、アンタ……見たところ、賞金稼ぎみてえだけどよ」
ヴォーカリストは、一旦言葉を切ると、ビールを呷った。
「大方、この吹雪で仕事もねぇ上に、足止めまで食らっちまって、クサッてやがるって寸法だろ?」
違うか? とでも言いたげに、男は笑った。ソルは、それには応えずに、
「このあたりは、古城が多いな」
ぽつりと呟いた。
「え? ああ、城か?」
「ああ。山の上に建てられたのやら、平原に建てられたのやら、湖のほとりに建てられたのやら……このあたりは、城だらけだな」
「……ああ、まあな。古びた化け物でも出そうな城と、だだっぴろい豊かな自然とが、この国の名物だからな」
男は、しみじみとそう言った。
「つまんねー国だが、まあ、老後に暮らすにゃ、良い国だぜぇ。ここはよ」
「みてえだな」
ソルはぶっきらぼうに言った。
「ところで、てめえ……」
「なんだい?」
「この辺りの城で、近頃バケモノが出たとかいう話は、聞いた事がねえか?」
ソルの問いに、男はキョトンとして問いかえしてきた。
「バケモン? ゴーストの類だったら、そんなのいくらでも――」
「そっちのバケモンじゃねえ」
「……っていうと、モンスターとかそういうのか? ああ、あんた、賞金稼ぎだもんなぁ。モンスター退治の依頼でも受けたって訳か?」
「そんなところだな」
それで合点がいったのか、男は大きく頷いた。
「そりゃ、この辺りの古城には、よくそういったバケモンが住み着いて、時折討伐依頼が出されたりするがよ。だがな、あんたは、俺の見た限りだと、その辺の雑魚を相手にしてる、ケチな賞金稼ぎとは、ちっとばかし違うようだ。だから、言わせてもらうけどな、あんたが探しているような、そんな御大層なバケモンが出たって話は、俺の耳には入ってこねえな」
ソルは、それだけ聞くと、カウンターテーブルの上に、少しばかり多めの対価――男の分の支払も含めた――を無造作に置くと、ガタンと音を立てて、立ち上がった。
「おいおい、そこまでゴチッてもらう義理はねえぜ」
男が、身支度をはじめたソルを、引き止めた。
「だが、出されたモンを引っ込めさせるほど、俺は無粋モンじゃねえ。だから、あんたには、こんな話をしてやろう」
ソルは、身支度をする手を止めず、顎で話の続きを促した。男はニヤリと笑った。
「へへっ、そうこなくっちゃな」
そう言って、ビールで舌を潤すと、舌なめずりをしてから、語り出した。
「実はな、これは少しばかり前にここを訪れた、賞金稼ぎの話なんだがよ……」
男の話は、こんな話だった。
その賞金稼ぎは、賞金首を追って、イタリアはローマ近くまで行った。首尾よく、賞金を頂戴し、どこかで娼婦でも買って、しばらくは遊んで暮らそうかと考えていた時、とてつもなく大きな地震が襲ってきたという。――それは、立つのもやっとというくらいの、大きな地震だった。
地震が収まった時、突然、北の空に、渦を巻きながら、暗雲が立ち込めた。あれは何かとローマの人間に問えば、信心深いローマの人間は、神の怒りだといって、異常に脅え震えていたという。
このままでは埒があかないと考えた賞金稼ぎは、あの空の方には何があるかと問えば、『死に絶えた街』と呼ばれる、今では無人になった城塞の街があるのだと言った。キナ臭いものと、もしかすると新しい儲け話になるかもしれないと感じた賞金稼ぎは、すぐさま数人の仕事仲間を引き連れ、『死に絶えた街』へと足を伸ばした。
そこは、とてつもなく辺ぴな断崖の上に建っている、うすら寂しい街だったという。その街へ行く為には、まっすぐに伸びた長く細い道が、たった一本だけしか通っておらず、非常に難儀したが、無事に街の中に潜入する事ができた。名前通り、人の気配がまったく感じられず、無人の住居だけが、残っていた。
賞金稼ぎは仲間達とともに、辺りの様子を注意深くさぐりながら、街の中心にある教会へとたどり着いた。中へ入ると、そこだけは、暖かい光に包まれていて――。
「……そこまで話すと、その賞金稼ぎの男は、笑ったんだ。何とも言えない、いやぁな笑みだったよ」
ヴォーカリストは、その時の賞金稼ぎの嫌な笑みとやらを思い出したのか、ブルッと身震いをした。
「で、話ってのはそれだけじゃないだろ?」
ソルが苛ついたように話の続きを促すと、ヴォーカリストは「ああ」と頷いた。
「もちろん、これだけで終わりじゃないぜ。その嫌ぁな笑みを浮かべた後な、そいつ、なんて言ったと思う? 『雪の女王が、氷の世界へと俺の仲間達を連れていってしまった。俺はその時は恐ろしくて逃げてしまったが、今ならハッキリとわかる。俺は、雪の女王の元へと行かなくてはならない。雪の女王が、俺の事を毎晩夢のなかで呼んでいるから』――そう言って、そいつはフラフラと酒場から出ていったよ。そして、そのまま……雪山をさまよって、野垂れ死にしたのさ」
そう言った男の顔は、少し寂しげにも見えた。
「どうだい? くだらない話だろ? 死ぬ前の狂人が語った、本当にくだらねえ話さ。……だけどよ、俺は、この話を、嘘だとは思えねえんだ。あいつのあの、どこか遠い所にある恐怖に脅え、同時にそれにとり憑かれ、焦がれちまってる、あの目。あれは――あれは、嘘なんかじゃない」
すっかり支度を整え終わったソルは、小さく頷いた。
「死に絶えた街とやら、興味が湧いたぜ」
男に背中を向けたまま、それだけを言うと、ソルは、酒場の入口へと足を向けた。
男は、なにも言わず、すぐにバンドのメンバー達の元へと戻っていった。そして、去り行くソルの背に向けて、ギグを開始した。「やっつけてこいよ!」という気持ちを声に乗せて。その気持ちが伝わったのか、背に熱い魂の叫びを感じ取ったソルは、口の端をキュッと持ち上げると、「やっつけてきてやるさ」と誰にともなく呟いた。
外は、相変わらずの吹雪だったが、ソルと、その周りだけは氷も溶かすほどに熱く燃え滾っているように感じたのは、きっと気のせいではないはずだ。
ソルは、風雪にさいなまれながら、一歩、また一歩と、酒場から離れていった。少し歩いた所で足を止め、何も見えない天を仰ぎ、
「死に絶えた街。得体のしれねえ雪の女王、か。おもしれえ」
次の目的地――イタリアは『死に絶えた街』――へと、思いを馳せた。
<第二章・終>