一章〜死に絶えた街〜

 

 12月も終わりに近い、ある日のこと。フランスは国際警察機構本部にて――。

「……また、吹雪いていますね」

 締め切られた窓を曇らせている結露を、その、細くしなやかな指先で拭い去ると、カイ・キスクは窓外の様子を窺いながら、物憂げにつぶやいた。時計の針は、夕暮れ時を指しているが、すでに深夜を回っているようにも感じられる。

「今月に入ってから、ずっとこんな調子ですね」

 長い睫毛に縁取られた碧眼を、不安げに細める。そんなカイの様子を見ながら、国際警察機構の一員であり、カイの右腕であるサクは、

「ん。この寒さで、食べ物の蓄えが、ぜーんぶ無くなっちゃったら、凄い困るよな」

 言いつつ、テーブルの上に並べられた焼き菓子を、ひょいひょいと、次々口に運んでいく。

「いくら冬を越すための蓄えがあるっつっても、資源には限りってモンがあるしなぁ」

 食べる手は休めていないし、何気ない調子でそうは言ってはいるものの、サクはサクなりに、この状況を憂えているということが、カイにはよくわかった。

「サク、各地の被害は、甚大です。先日、ついに、地方の寒村が連日吹き荒ぶこの吹雪により、壊滅した模様です。住民は、近隣の街へ避難して無事でしたが」
「……そっか。ついに、そんな被害が出ちゃったか」
「ええ」
「おかしいよな。ただの天災にしては、間断なく襲いすぎてるんだよ。しかも、全国規模で。こりゃ、どう考えたって、人為的な何かを感じるよ」
「ですから、今は各地に調査隊を派遣して、原因究明に全力であたっていますが……」
「まだ有力な情報もないってワケか。やれやれ、みんな情けないの。わたしを調査隊に組み込んでくれたら、もっと早く、原因を突き止めてやるのにさ! なんてね」

 軽口をたたきながら、サクは最後に残っていた焼き菓子をつまんで、口に放り込んだ。

「サク、私の分は……」
「あっ、悪い。全部食べちまった」

 全然悪びれないサクに、カイは少々あきれながらため息を吐いた。

「意地汚いですよ。――まあ、いいでしょう。代わりに、お茶を淹れてくださいますか?」
「へいへい。ミルクティーで良い?」
「それで結構です。お願いします」

 サクは、身軽に椅子から立ち上がると、お茶の支度をするために、カイの執務室を辞した。それと入れ替わるように、ドタバタと慌しい足音が近づいてくる。そして、やや乱暴にノックをする音。

「カイ様、失礼します!」
「どうぞ。お入りなさい」

 カイが入室を許可すると同時に、一人の騎士が飛び込んできた。

「お休みのところ、失礼いたします。先日、イタリアへ調査へ行っていたデュナンが、帰還いたしました!」
「……デュナンが? 彼は、三人でチームを組んで出かけたはずですが、他の者達は?」

 騎士は、辛そうに顔を伏せた。が、すぐに顔を上げて、話し始める。

「――デュナンのみです。そのデュナンも……ひどい手傷を負っておりまして、どうやってここまでたどり着けたものやら」

 そう言った騎士の肩は、小刻みに震えている。カイは、デュナンの容態が思わしくないということを悟った。

「彼は医務室に?」
「ハッ」
「――すぐに向かいます」

 カイは、普段の柔和な表情をかたく強張らせたまま、駆け足で医務室へと向かった。

***

 カイが医務室にたどり着くと、警察機構お抱えのドクターが、かいがいしくデュナンの手当てをしているところだった。

「彼の容態は?」

 カイが、ドクターに声をかけると、ドクターは無念そうに首を振った。

「……そうですか。話しはできますか?」
「この状態では……」

 ドクターが、チラとベッドに横たわるデュナンに視線を向けた。デュナンは、ひどくうなされており、全身を包帯で巻かれ、とても痛々しい姿だった。

「なぜ、このような重症を?」
「詳しくはわかりませんが、おそらくは、全身を鋭利な刃物のようなもので、無数に切り裂かれたのでしょう。そのほかには、全身にこれまた酷い凍傷を負っています。更には、この高熱……。カイ様、この若い騎士は、一体何と戦ってきたのでしょう?」
「ギア、という可能性は?」
「わかりません。だがしかし、破壊を目的とするギアが、これほどまでの細かな傷を、しかも、全身に、無数につけるものなのでしょうか? 或いは、氷の呪法を操る、法術使いのたぐいかもしれませんが、これほどまでの力を使うものとなると――」

 ドクターは、ブルと震えた。カイの背筋に、冷たいものがはしった。

「なんにせよ、私にできるのはこうして僅かばかりの手当を施し、すぐそこまで迫っている死神に、死期をほんの少しばかり伸ばしてもらうことだけです。カイ様、非常に申し上げづらいが、デュナンはもう助かりますまい。この状態では、治癒の法力はまったく役に立ちませぬ。今のうちに、家族を呼んだ方がよろしいでしょう」

 その言葉の意味を、カイは沈痛な面持ちで受け止めていた。すぐそこに控えていた騎士に、デュナンの家族へと伝達するよう、口を開きかけた。その時。

「医者のくせに、諦めるのか!」
「サク……」

 いつの間にそこへ来ていたのか、サクが、憮然とした表情で立っていた。

「治してやるのが医者の務めなのに、諦めるのか? デュナンだって、今頑張ってる。それなのに、諦めるって? そんなの駄目だろ。諦めるなんて……」

 悲しそうに言いながら、サクは、ベッドに横たわっているデュナンの手を握ると、その手から、治癒の法力を送り込み始める。

「サク、無駄だ。彼の身体は、すでに限界なんですよ。残された命のともし火を、微かな生命の維持に費やしている今の彼に、法力で治癒力を促進することはできない……。それは、貴女が一番よくわかっているはずではありませんか」
「そんな事はわかってる! けど、何もしないで、デュナンが逝っちゃうまで黙って見てるなんて、そんなのできっこない! ほら、デュナン、起きろ。元気出せ! お前、年明けたら結婚するって言ってたじゃん」

 その気持ちは、その場の誰もの気持ちを代弁したものだった。だから、サクのやりたいようにやらせてやることにする。あるいは、彼女の力で、今にも消えかかっている炎を、もう一度燃え上がらせる事ができるかもしれないと、淡い期待を抱いていたのかもしれない。

「とにかく、デュナンの家族をこちらへ呼んで下さい」

 カイは、涙ぐんでいる騎士へと命じた。騎士は、やるべき事ができて、少し落ち着いたのか、「ハイ!」と元気よくこたえ、一礼をすると、医務室を後にした。

「デュナン……なんとか、持ち直してくれ」

 誰ともなしに呟くと、カイは小さく十字を切った。それからしばらくの間、サクは治癒の法力を送り続け、カイは傍らでそれを眺めていた。この調子だと、サクは、デュナンが事切れるまで、ずっとそうやっているつもりかもしれない。

「カイ」

 ふと、サクがカイの名前を呼んだ。

「どうしました?」
「今、デュナンがわたしの手を握り返してきた」
「えっ? 本当ですか?」

 サクの肩越しにデュナンを覗き見ると、相変わらずうなされてはいるものの、先ほどよりも呼気が安定している気がする。希望の光が見えたような気がして、カイも、サクの手の上から、デュナンの手を握り締めた。

「デュナン……」

 祈るように、名前を呼ぶ。すると、それにこたえるかのように、デュナンが目を開けた。思わず、サクと顔を見合わせる。

「カイ、デュナンが」
「ええ! ――デュナン、デュナンッ!」

 握る手に力を込めて、カイはデュナンの名前を呼んだ。だが、デュナンはそれに答えず、ただ虚ろな目を、中空に漂わせている。――どうも、カイ達が見えていないらしい。

「……ゆ……き」

 ぼつりと、聞き取りにくい声で、デュナンが何かを呟いた。

「何だって?」

 サクが、聞き返す。

「ゆゅ……き、美……し」
「……? あ、ああ、そうだね。雪は綺麗だ。元気になったら、いくらだって……それこそ、雪合戦でも、雪だるま作りでも、何でも付き合ってやるぞ!」

 サクの言葉が聞こえたのか、デュナンは、心底幸せそうに微笑んだ。

「雪の……女王」

 幸せを通り越して、恍惚の笑みを浮かべていた。その笑みに、カイと、サクは、背筋が凍りつくような思いがした。

「美……し、い……雪の……女王」

 それが、騎士デュナンの、最期の言葉だった。うっとりと、これ以上無いと言うくらいの幸せそうな笑みを浮かべ、デュナンは、死出の旅路へと踏み出してしまったのだった。

「カイ様! デュナンの家族が到着いたしました!」

 一足遅く、デュナンの家族と、その婚約者とが到着した。カイとサクは、硬く握り締めていたデュナンの手を胸の上で組ませてやると、どこか遠く――甘美な記憶を呼び覚ますもの――を見詰めたままでいるその瞳を、そうっと閉じてやった。その死に顔は、とても安らかなものに見えた。その死に顔と対面した家族は、救われる想いがしたのだろうか?

 デュナンの遺体と対面し、取り縋り泣き咽ぶ彼の家族と、その婚約者とをいたたまれぬ面持ちで見ながら、カイと、サクは、そっとその場を辞したのだった。

 その時、カイは心に誓った。必ず、この青年騎士を死に至らしめた元凶を、自らの手で掴んでやると。そして、その元凶は、この異常天候と関連があるような気がしていた。

「イタリア……か」

 デュナン達の調査隊は、隣国イタリアを調査していた。おそらく、そこになにがしかの恐るべき者が待ち構えているのだろう。そして、それは恐ろしく強い力を持っている。これ以上、騎士達を向かわせて、犠牲者を出すわけにはいかない。

 カイは、デュナンの葬儀を済ませた後、単身イタリアへと赴き、この事件の真相を探る事を決意した。一部の人間以外には、内密に。自分が出立した後、それとなく皆には告げてもらおうと考えていた。

「……」

 何か言いたげな目をして、サクがこちらを見ている。この計画を感づかれれば、彼女は必ず自分も行くと言い出すに違いない。とにかく、サクにだけは感づかれないようにしなくては……。

「……」

 チラリと釘をさすようにカイに視線を送った後、サクはそれとわかるように大袈裟にため息をついた。

「全部バレてるからね」
「えっ」
「カイは、独りでデュナンたちが調査していたイタリアへ行く気だろ」

 ギョッとして、カイはサクの顔をまじまじと見てしまった。

「フフン、やっぱりな。どうせそんな事だろうと思ったよ」
「あ……う、えっと、他の皆には黙っていて下さいね」
「あたりき。そんな事言うわけないジャン。安心しなよ」

 思ったより物分かりの良いサクに、カイは一抹の不安を覚える。

「ありがとう、サク。それではあなたはもう休んで下さい。先ほど法力を使いつづけてお疲れでしょう?」
「……これからの事を考えると、疲れてばかりもいられないよ。だって、イタリアへ飛ばなきゃならないんだからさー」

 そう言って、サクはにやりと笑った。驚いたカイにたたみかけるように、サクは言った。

「独りで行こうったって、そうは問屋が卸さないんだよ。大方危険な目に合わせたくないとかなんとか、御大層な考えを持ってるんだろうけどさ、そんなのカイの自己満足&エゴにすぎないね。それって、他の団員の事、自分より下だって馬鹿にしてるじゃん。足手まといって?」
「な、ち、違います!」
「違わないって。言い方は違えど、裏を返せばそういう事になるって事!」

 ズビシとカイの鼻先に、指先をつきつける。

「……」
「……」

 しばしの沈黙。お互いに、無言の争いが続く。

「……なぜそういう意地の悪い言い方をするのですか? 付いてきたいのなら、最初から素直にそう言って下さい」

 最初に折れたのは、カイの方だった。サクは、指をパチンと鳴らした。

「そうこなくっちゃ! ほら、わたしがついてく〜って言ったら、カイ、絶対反対するじゃん? だから、カイから言ってもらわなかったら……ねえ?」

 ニヤリと笑うサクを見て、思わずカイも笑ってしまった。

「貴女という人は……」
「おっ、やっと笑った!」

 心底嬉しそうなサクは、どうやら――あんな事があった後だし――元気のない自分を励ましてくれたのだろう。

「へへっ、あんまり自分一人で責任感じるなって。人の物は俺の物、俺の物も俺の物。だから、お前の辛さも俺の物だって、ある有名なガキ大将が言ってるんだぞ。だから、カイの重たい物も、全部おまえ独りの物じゃないって事」
「サク……」
「おっと、ありがとうっていうのは勘弁ね。お礼言う暇があったら、デュナンの仇を取る事を考えよう。それに、まだ戻ってきてないデュナンのチーム員の事も気になるしね」
「ええ、そうですね。彼の葬儀が終わったら、すぐにイタリアへ発ちましょう」
「……だね」

 ふと、カイが窓の外を見ると、あれほど激しく吹雪いていた天候も、わずかばかり回復しており、一面白銀の世界に、一層の明るさが見て取れた。それを見て、カイは、夜が明けたのだという事に気が付いた――。

***

 それから数日の後。青年騎士デュナンの葬儀が、しめやかに執り行われた。葬儀の後、いざイタリアへ向けて出立しようとしたカイと、サクのもとへ、デュナンの婚約者が尋ねてきた。

「お忙しい中、突然お尋ねしてしまい、申し訳ございません」

 喪服に身を包んだデュナンの婚約者は、気丈にも涙を見せず、しっかりとした口調でそう言うと、カイ達にぺこりと一礼をした。悲しみを押し隠し、強く振舞っていることがとても痛々しく思えて、サクはふいと顔を逸らす。

「いえ、かまいません。さあ、どうぞお掛け下さい」

 カイが、デュナンの婚約者に椅子を引いてやる。彼女は、小さく頭を下げると、すすめられるまま、椅子に腰を下ろした。そして、小さなバッグの中から、一枚の絵葉書を取り出すと、それをカイに差し出した。

「……これは?」

 絵葉書を受け取り、それに目を落とす。

「デュナンが、あのような深手を負う前に……イタリアでの調査をしているとき、わたくしに宛てた手紙ですわ」
「目を通しても?」
「そのつもりで持ってまいりました」

 カイは頷くと、「では」と言って、手紙の文面を目でたどり始めた。

『愛する君へ。

 僕は今から、この葉書に描かれている街へと調査に赴く。この街は、“死に絶えた街”と呼ばれていて、見ての通り崖の上に建っているのさ。今は誰も住んでいない廃墟となった街らしいが、今この手紙を書いている町の人たちに話を聞いてみると、どうも、この死に絶えた街の中心部から、物凄く大きな竜巻のようなものが、空へと上っていくのを見たという人がいるんだ。それから、吹雪きはじめたとも……。僕達は、この街が、今度の異常な天候の原因じゃないかと、ほぼ確信している。どうやら、一番に手柄を立てるのは、僕達になりそうだぞ。全て片付いたら君と一緒にこの街へ観光にくるのも良いかもしれないな。もしかして、この手紙が着くころには、すでに解決しているかもしれないね。ああ、早く帰って、君の手料理が食べたいよ。

 デュナンより、愛を込めて――』

 カイは、続いて葉書を裏返した。そこには、崖の上にへばりつくように築かれている、城壁に囲まれた、小さな街が描かれていた。街の家々は、黄褐色の煉瓦で造られており、その中心部には、教会と思しき建物が見て取れる。

「……死に絶えた街」

 思わず、カイの口から、その言葉がもれた。

「デュナンは、その街へ行く前に、この葉書をわたくしに送ったのでしょう。そして……そして」

 デュナンの婚約者の言葉尻が震えた。

「カイ様、彼は、デュナンは、ここフランスで生まれ、フランスで生き、そしてフランスで誇り高き騎士となりました。だから、彼は初めてフランスの外に行くことができ、不謹慎ながらも、楽しんでいた節がありました。彼は、非常に純粋で、無邪気な人でした。そんな彼がどうして、どうして――命を落とさなければならなかったのです?」

 堪え切れなくなったのか、ついに彼女はボロボロと涙を流し始めた。

「……申し訳ありません。組織の長である私が不甲斐ないばかりに」
「いえ、カイ様のせいではございませんわ! 申し訳ございませんでした。わたくし、そろそろ失礼いたします。あの人の遺したこの葉書が、これからの調査にきっと役立つことを、わたくし、信じております。それでは、ごきげんよう、カイ様」

 溢れた涙をぬぐおうともせず、一気にそれだけ喋ると、デュナンの婚約者は席を立った。そして、深々とカイに頭を下げると、足早にカイの執務室を出て行った。その後姿を見送りながら、カイは言った。

「サク、デュナンは最期に大切な情報を残していってくれました」
「うん、そうだな」
「この葉書に描かれている“死に絶えた街”とやらが、どうやら我々が向かうべき場所のようですね」
「うん。そうと決まれば、ぼやぼやしているワケにはいかないよね」

 カイは、力強く頷いた。

「行きましょう。“死に絶えた街”へ」

 

<第一章・>