〜王様のお菓子〜

 

 年が明けた、1月6日。あの『雪の女王事件』から、一週間ほど経ったある日のことである。

 カイ・キスクは、執務室で事件の報告書をまとめていた。なにせ、今回の事件は、一度にいろいろな事が起きすぎた。事実関係のみを、客観的に、かつ簡潔にまとめようと努力してはみるものの、どうしても主観的な記述になってしまう。

 いい加減うんざりしながら、ああでもない、こうでもない、と一向に進まない報告書にペンを走らせるカイの耳に、パタパタと廊下を小走りに駆けてくる足音が聞こえてきた。その足音は、カイの執務室の前で止まると、

「ノックノーック」

 と、聞く者を明るい気分にさせる元気の良い声が、扉越しに発せられた。カイは、ふっと肩の力を抜き、反射的に「どちら様ですか?」と応じそうになったのだが、それをこらえて、

「留守ですよ」

 と、多少冷たく応じた。相手の反応をうかがう。すると、扉の向こうから、

「……ノックノーック!」

 やや怒ったように、再度声がかかった。カイは、少しだけ唇の端を持ち上げた。

「留守です」

 こうなったら、扉の向こうにいる“彼女”がこの遊びに飽きるまで意地悪をしてみようと、カイは思った。更に相手の反応をうかがっていると、突然扉が凄い勢いで開かれ、キリリと眉を吊り上げ、大きな四角い箱を抱えたサクが、ずかずかと執務室に入ってきた。そして、カイの机の前まで大股歩きで歩み寄ると、

「こら! そこは、“どなたですか?”って聞くのが礼儀ってモンだろ」
「そうでしたっけ? すみませんね。私はどうも、あちらの文化には疎いもので」
「嘘つけ! 知っててわざとやったんだろ。ああ、せっかくナイスなノックノック・ジョークを考えてきたのに」

 むすっと膨れてみせるサク。カイは、さも残念な風に声を上げた。

「それは失礼。ですが今は執務中。大変遺憾ですが、貴女の素晴らしいジョークを聞く事はできないのです」
「あー! 今の皮肉、すっげームカつく!」

 ついにサクはぷりぷりと怒り出した。カイは、少しやりすぎたかなと反省した。なので、話題を変えることにする。

「言葉が過ぎました。ところで、サク……」
「なに?」
「先ほどから気になっていたのですが、貴女が抱えているその大きな箱は、いったい何なのです?」

 カイがたずねると、サクは「ようやく突っ込んできたか」と嬉しそうに言った後、その大きな箱を机の上に置いた。

「じゃじゃーん!」

 口でそういいながら、大きな箱をパカッと開いて見せた。とたんに、ふわりと甘い香りがカイの鼻腔をくすぐった。箱の中には、金色に光る王冠を戴いた巨大なパイ。それを見たカイは、目を丸くしながら、

「ガレット・デ・ロワですか」
「そーだよ。見ての通りね」

 サクは、得意げにそう言ってのけた。「美味しそうでしょ?」

「……ええ、とても、美味しそうですね」
「ってわりには、なんか難しい顔してるけど?」

 カイは、ため息を吐きながら言った。

「ずいぶん大きなガレット・デ・ロワだなぁと」
「うん、街を散策中に、菓子屋の店先にデデンと構えているこれを見たら、やたらと購買欲を刺激されちゃってさ」
「何人前あるんでしょうねえ……」
「かるく、10人前くらいはありそうじゃない?」
「ですよね。それより、これ、もちろん大勢で食べるんですよね?」
「まさか! わたしとカイのおやつにしようかと思ったんだよ」
「おやつは良いですが、大きすぎやしませんか?」
「まあまあ、いいじゃん。大は小を兼ねるんだからさー」

 カイは、そのパイ・ケーキを思わずまじまじと見つめてしまった。しかし、見つめたからといって、それは恥ずかしがって小さくなるわけでもなく、相変わらず王冠を戴いたまま、デデンと箱の中に鎮座(?)ましましている。これからこれを二人で食べるのだという言葉を思い出し、にわかに胸焼けがしてきた。

「カイ、顔色がすぐれないぞ。働きすぎじゃないの?」

 にやにやと笑いながら、サクが言った。この顔を見ると、カイがうんざりするというのがわかっていて、こんなに大きなものを買ってきたのだろうか。もしそうだったら、思惑通りになるのはなんとなくしゃくだ。

「ご心配いただかなくとも、私は大丈夫ですよ」

 すました顔でそういうと、カイは、再び報告書にとりかかろうとした。そんなカイを見て、サクは大きなブルーグレーの瞳を伏せると、少し悲しそうに言った。

「嘘つけ! 事件の後、ずっと働きづめじゃないか」

 そして、

「働きすぎには、甘いものが良いって、食堂のおばちゃんも言ってたぞ」
「サク……」

 そこでカイは、自分の思い違いに気がついた。サクは、働きづめのカイのために、休憩をとらせるのを目的として、この甘いパイ・ケーキを持ってきたのだ。

 サクは、普段は飄々としていて、自分の真意を他人に悟らせまいとするような気がある。それは、彼女が心根の優しい少女だから、押し付けがましく偽善的に親切をすることを、なによりも嫌うからだろう。そういうところが、妙に意地っ張りなのだ。

 今回も、あくまでも自分が食べたいような素振りをして――いや、本当に食べたいという気持ちは大いにあったのだろうが、ともかく――、この少々巨大すぎるガレット・デ・ロワをわざわざ執務室まで運んできてくれた。

 カイは、心の中に、ぽっと暖かな光が灯ったような気がした。

「……ちょうど、報告書が進まなくて、そろそろ休憩を入れようかと思っていましたし、一切れくらいなら、それをいただくのも悪くはありませんね」

 その一言で、サクの顔にパッと明るい笑顔が広がる。

「そうこなくっちゃ! そんじゃ、わたし、お茶の支度するから!」
「いえ、ここは私がお茶の用意をしましょう」

 サクをその場にとどまらせ、カイは席をたった。ケトルを火にかけて、二人分のティーセットと、ケーキを取り分ける皿とフォークを用意し、湯が沸くのを待つ。沸騰直前でケトルを火からおろすと、ティーポットにとっておきの茶葉を入れて、湯を注いだ。

 紅茶の芳醇な香りが、あたりに漂った。

「うはー、良い香り!」

 小動物のように、鼻をヒクヒクと動かしながら、サクがそばにやってくる。

「おやおや、待ちきれなかったのですか?」
「人を食いしん坊バンザイみたいに言うなよ。一人で持ってくるのが大変だと思ったから、手伝いにきてやったんじゃないか」
「ありがとう、サク。では、このトレーを運んでいただけます?」
「おまかせあれ」

 そんな風におどけあいながら、二人はテーブルについた。サクが、上機嫌でガレット・デ・ロワを切り分けていく。

「ねえ、カイ」
「なんですか?」
「これから、ゲームしない? ゲーム」
「ゲーム?」

 一抹の不安を覚えながらカイが聞くと、サクはニヤッと笑って言った。

「ガレット・デ・ロワっていえばさ、やっぱりフェーヴが当たらないことにはお話にならないでしょ」
「はあ……まあ」

 フェーヴ――。小さな陶器製の人形で、このガレット・デ・ロワの中に、たった一つだけ忍ばせてある。この人形が当たった人は、一年間の幸福を約束されるという。また人形を引き当てた人は、その日一日、“王様”として、なんでも言う事を聞いてもらえるのである。

 カイは、なんとなく嫌な予感がした。

「あの、サク」
「話は後で聞く。それより、フェーヴが出ないことには、これを食べる意味がないじゃん? だから、どっちかにフェーヴが当たるまで、ずっと食べ続けるっていうルールでどうかな?」
「出るまで? そんなに食べきれるわけが……」
「まあまあ。やる前からあきらめたら、幸運なんて舞い込んでこないんだし、やるだけやってみようよ。ね?」

 目をキラキラ輝かせながら言うサク。さしものカイも、無下に断ることができなくなってきた。それに、考えてみれば年が明けたというのに、仕事に忙殺されて、新年を祝うというような事もできなかった。これは、ここいらで一つ、少し遅い新年祝いをすべきだろう。

「わかりました。その勝負、受けて立ちましょう」
「そうこなくっちゃ!」

 言うが早いか、サクは切り分けたガレット・デ・ロワを、皿に一つ移した。それをカイの前に置くと、今度は自分の分を取り分ける。

「負けても恨みっこなしだよー」
「それは、こちらのセリフです」

 二人は、しっかりとフォークを握ると、

「いただきます」

 同時にそう言って、たっぷりのアーモンドフィリングが詰まったパイに挑んだ。

「美味しい!」

 一口食べたサクが、感嘆の声を上げる。顔は、ほっこりとほころんでいる。それを見て、期待に胸をふくらませながら、カイはパイにフォークを刺した。

「おや?」

 フォークに、何か硬いものがあたったような感触がした。

「どうした、カイ?」

 サクが、パイ・ケーキをほじくりだしたカイを、怪訝な顔で見つめる。

「そんな食べ方、行儀が悪い……」

 そこで、何かに気が付いたような顔をすると、

「ま、まさか……あれ、出ちゃった?」
「そのまさかのようですよ」

 カイは、フォークの先で、パイ・ケーキのなかから取り出したフェーヴを突っついて見せた。つつかれてコロンと転がったそれは、小さな女の子の形をしていた。

「……一発で当てるなよ」
「切り分けたのも、取り分けたのも、サク、貴女のはず」
「そりゃ、まあそうだけどね……」

 サクは、ひょいと肩をすくめると、金色に光る王冠を、カイの頭の上に乗せてやった。

「おめでとう、王様」
「ありがとう、サク」

 なんとなく照れくさそうに、二人は、微笑みあった。

「そういえば、王様」
「なんでしょう」
「このフェーヴ……どことなく、に似てるね」

 言われて、カイは小さな女の子の形をしたフェーヴをまじまじと見つめた。確かに、サクの言うとおり、どことなくそれは、あのの面影があるように感じた。

、かあ」

 呟いて、サクは窓に目を向けた。そのまなざしは、窓の外の景色を透かして、もっと遠いところを見つめているようだった。

 サクが、小さくため息をつく。少しだけ元気のなくなってしまったサクを見て、カイは、

「さて、今日一日、私が王様です。貴女に、どれほどの無理難題を押し付ければよろしいのでしょうね」

 少しおどけて、そう言った。サクは、そんなカイをチラッとにらみつける。しかし、その目には笑いの色をたたえていたのを、カイは見逃さなかった。

「王様」
「はい、サク」
「知っていると思いますが、フェーヴが入っていた人は、好きな女の人からキスをしてもらうことができるのです。王様は、いったい誰にキスをしてもらうつもりなのでしょう?」

 王様であるカイは、見事にサクにやり返されてしまった。何も言い返せず絶句するカイを見て、サクはけらけらと楽しそうに笑う。それを見て、カイは真っ赤になりながら立ち上がり、咳払いを一つした。

「そ、そんなことよりも、王様の命令を聞いていただくほうが先です! ええと、そうですね、まずサクは、この王様のお菓子を、全て食べきること」
「一人で?」
「そうです」
「……まあ、わたしはそれでもかまわないけど」
「それから、この間寝ぼけて破壊したドア、その他もろもろの修繕費用を、地域への奉仕活動にて返済すること。それから――」
「わぁったわぁった!」

 次から次へと命令を下す王様にうんざりしながら、サクはそれを中断させた。

「そんなにいっぺんに命令されたって、全部今日中には無理だっつーの!」

 そして、舌なめずりを一つすると、

「まずはさ、この王様のお菓子を片付けるトコからはじめちゃいますから、残りはその後でね!」

 そう言って、あははと笑った。

「仕方がありませんね。では、しっかり食べてくださいね」
「はいはい……っと、王様!」
「え? どうしました?」
「お紅茶がなくなっておりますので、わたし、お茶汲みに行ってまいります!」

 あわただしくそう言うと、サクはティーセットを持って、部屋を出て行った。その後姿を見送りながら、カイは小さくため息をつくと、ふっと顔をほころばせた。

 ――ありがとう、サク。

 サクが隣にいる日々。それは、きっとカイにとって、なによりも心穏やかに過ごせる、唯一の場所だろう。

 ――この少年のような少女と、願わくば、これからも一緒にいられますように……。

 カイのささやかな祈りにこたえる様に、陽光がカイの金の髪を透かし、室内に暖かく降り注いだ……。

 

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