Fortune 59


廻り回って、辿り着く。



 その絶叫に思わず互いに動きを止めた。
 ソルは舌打ちをし、剣を下ろした。
 そしてその場にいた全員の存在を一瞬で忘れたかのように、踵を返した。
 その行動に最初に反応できたのはジョニーだった。
「ちょいと確認したいんだが」
「……あぁ?」
 ソルの行く手を遮る位置に陣取り、手に持つ白木の刀に手をかける。
「あんた彼女をどうするつもりだ?」
「ギアは殺す。それだけだ」
「なら、彼女がギアかどうか――見極めて欲しい」
 突如、ソルから殺気が滲み出る。
 それを前にしてもジョニーは静かに構えるのみだ。
 一触即発、と思われたが、数秒後、引いたのは意外にもジョニーだった。
 カイからはソルの表情は伺えない。
 何か無言のやり取りがあったのだろうか。
「……恩に着る」
「ふん」
 鼻を鳴らし、ソルは森の奥へ向かっていった。
 カイもそれを追おうと足を踏み出した。
 今先程までの戦闘のことはもう頭から消えていた。
 自分も見極めたい思いが強かったのだ。
 ソルがどのような決断をするのか――それを知りたい。
 思考したのも束の間、すぐに空気が変化した。
 聖戦を、それこそジャスティスと対峙したときを思い起こす程の力だ。
 知れず緊張感が走る。
 ソルが動いた。
 駆け出したその先に、人影が見えた。
 徐々に鮮明になるその姿に、息を呑んだ。
 美しい女性だ――ただし、その背には翼、爬虫類の尾のようなものを持つ、異形の姿だった。
 殺気を放ちながら近付くソルに驚くでもなく、彼女は無造作に力を振るった。
 足元から法力を帯びた氷塊が突き伸びる。
 ソルはそれを難なく避け、足場として利用し更に加速した。
 彼女が防御姿勢をとるより早く、ソルの炎を纏った拳が彼女に届く――
 
 ――その瞬間。
 視界に飛び込んできた色に、記憶が呼び覚まされる。
 柔らかくも力強い、陽の光。
 風を纏い、現れたのは――

「――止めろ!ソル!」
 凛とした声が響く。
 心の奥でずっと色褪せなかったその音。
 ずっと聞きたかった声。
 まさか、と視線を向けた先には。
 彼女の前に躍り出て、ソルの拳を防御方陣で防ぐ――小柄な人影があった。
 ボロボロな……それこそ記憶にあるそのままの姿で、眼前のソルを睨みつけている、のは。
「…………」
 あの日消えた、探しても探しても、見つけられなかった少女がいた。

 何故。
 こんな場所に。
 8年も経ってしまった。
 今までどこにいたのか。
 その姿はなんなんだ。
 本物なのか。
 何故貴女は、あの時のまま――

 数瞬混乱し、しかしそのの背後で膨らんだエネルギーの塊に気が付き、カイは無意識の内に地を蹴った。
 攻撃の瞬間に飛び込むなど自殺行為に等しい。
 だがそんなことはどうでもいい。
 今はただ体が突き動かされた。
 腕を伸ばす。
 また目の前で彼女を失うなど、例え幻でも御免だった。
 

 高密度のエネルギーを内包した光線がソル目掛けて放たれた――そう理解できたのは地面に体が投げ出されてからだった。
 が張ったものと同じような防御方陣をソルも咄嗟に展開したのが傾く視界の端に見えた。
 一瞬しか見えなかったが、彼は後ろに吹き飛ばされながらもダメージを減らすことに成功したようだった。
 やがて数秒で強烈な光は収まり、立ち位置を変えぬディズィーがいた。
 彼女の前方の木々が光線の通った形ですっぱりと消滅し、ぱらぱらと土埃を降らせている。
 その脇に、自分はいた。
 背後のディズィーの攻撃動作を察知し、避けられないと身構えた瞬間、感じた浮遊感。
 吹き飛ばされたにしては少ない衝撃に、目を瞬く。
 今自分が地べたに倒れているのは間違いない。
 だが違和感があった。
 視線を動かし、何かの陰に自分が隠れていることに気が付いた。
 横を向いた目に映ったのは、誰かの腕。
 上に、誰か。
 ――息を呑んだ。
……ですよね?」
 陽に透ける明るい色の金髪。
 より白い肌に、青緑の宝石のような瞳。
 嫌味なくらいに整った顔を歪ませているのは――
「カイ……?」
 ローマに置いてきてしまった、彼だった。
 生きていてよかった、と安堵する気持ちと、言い表し辛い戸惑いのようなものがない混ぜになる。
 ついさっき別れた彼と、どこか違う。
 これはカイで間違いないはずなのに、記憶との僅かなズレがある。
 幼さが薄くなっている。
 綺麗な顔のつくりはそのままなのに、顔つきが変わっている。
 その変化を見せつけられ、自分が時間を超えたという事実を強制的に再認識させられた気分だった。
「何っで……っ、どれだけ探したと……!」
 掠れた声も、やや低くなっている。
 の頭上で表情を険しくさせているカイを見上げながら、その表情を向けられる意味を考える前に頭が混乱し始める。
 え?ほんとに?
 本当に、カイ?
 というか、本当にここは未来だったわけ?
 並べられた状況証拠から現実に起こった事なのだと理解して納得したはずだったのに、は信じられてなかったのか。
 冷静になりかけた精神の根元が揺らぐ。
 時間転移したという状況以上に、目の当たりにしたカイの変化の方が余程衝撃的だった。
 訳もなく妙な焦りが込み上げてきて、咄嗟にがばりと勢い良く体を起こす。
 ごつんっ
「「い゛……っ!!」」
 お互い額に手を当て蹲る。
 勢いと距離感を誤った。
 痛みを耐えるようなカイの上半身が起こされた隙に、いそいそと彼の体の下から抜け出した。
 しかし途中ではし、と腕を掴まれる。
 額を押さえていた手を降ろしながら、カイは今度は困惑したような目を向けてきた。
「本当に……なんですか?」
「そ、そうです……」
 困るよな。
 そりゃ困るよな、カイにしてみればきっと何年も昔にいなくなった人間がその時のままの姿で突然現れたってことだろうし。
 気まずさに思わず視線を逸らしてしまう。
 あれ?そういえばってもしかしてローマで死んだことになっていたりするのかな?
 ひょっとして幽霊だと思われていたりする?
 ――とりあえず、考えたところで結論が出なさそうなことは後回しにしよう。
 今は、ディズィーのことが先決だ。
「――カイ」
 素早く呼びかける。
 その質の変わった声音に反応したのか、揺れていた彼の瞳が芯を取り戻した。
 それを見とめて、は言葉を続ける。
「彼女に攻撃意思はない。
 今は多分お前らの戦いの力に当てられて、防衛本能でああなっているだけだ。
 こちらから攻撃しない限り、彼女は危険じゃない」
「――そこのお嬢さんの言う通りだ」
 突如降ってきた声に振り向くと。
 黒い帽子とロングコートが特徴の偉丈夫が立っていた。
 はその風貌に思い当たる名を知っていた。
「……ジェリーフィッシュのジョニー」
「おや、俺の名を知ってくれているとは嬉しいね」
 賞金稼ぎ時代、何度かこの人物の手配書を目にしていた。
 直接会ったことはなかったが、不必要に外見特徴のわかる資料……写真や似姿も多くあり、一方的に知っている、というだけだったが。
「お尋ね者の快賊団が何故ここに?」
 義賊として民衆から支持され金回りもいいはずの彼らが資金繰りに困っているとは考えられず、わざわざ賞金狙いでリスキーなギアの討伐に乗り出してきたとも思えない。
 狙いは何なのか。
 そこまで思考し、この快賊の、というよりジョニーという男の特徴的な情報をひとつ追加で思い出した。
 まさかという思いでいると。
「彼女をスカウトしに来たのさ。
 ちなみに一次面接は先日既に終わっている」
 後は彼女の決断だけだ、と続けた。
 なるほど――とある程度予想通りだった内容に呆れながら、しかし悪くない案なのでは、とも思った。
 お尋ね者の彼らだが、だからこそ悪意の手が及びにくく安全なのではないか。
 そしてこの男は義に厚く、仲間という家族に優しく、乗組員は楽しそうに生活しているらしいと聞いたこともある。(多少やんちゃが過ぎるとの付帯情報もあったが)
 更に身のこなしを見る限り彼も達人級だ。
 彼女のギアとしての力に全く対抗できないわけではないだろう。
 がそう逡巡していると。
「しかし彼女は力を制御できていない。
 少しでも危険がある存在を野放しにすることなど」
「危ないっていうなら、その時止められればいいんでしょ」
 硬い声で言うカイ。
 それにはすぐさま反論する。
 カイはその言葉に眉を寄せた。
「そうかもしれませんが、現に今、彼女は暴走している」
が止める。さっきも一回止めることができた。
 これからはジョニーさんだっている。それでも不安か?」
「……何故、貴女がそこまでするんですか」
 納得がいかない様子のカイが低く言葉を紡ぐ。
 それには真顔で返した。
「友達だから」
 は?とカイの眉間のシワが深くなる。
 やや怒気を含ませたそれに常人ならば身を縮こまらせるだろうが、は怯むことなく、きっぱりと言い切った。
「友達だから助ける。彼女は悪くない。ギアかもしれないけれど、は彼女をギアだなんて呼べないよ」
 そんな言葉の応酬をしている内に、ソルが再びディズィーの前へ歩み出た。
 今度はゆっくりと、間合いを詰めていく。
 それを見て、止めなければとが動こうとすると、掴まれたままだった腕に力が篭もる。
 ――いくらカイでも邪魔するなら、と動きかけた時、カイが口を開いた。
「……分かりました。
 いえ、正直私も彼女の扱いについては何が正しいのか判断できずにいました――が、ソルならば、何か答えを見せてくれるかもしれない」
 だから、ここはソルに任せましょう、とカイは言う。
 予想外の対応だった。
 その彼の物言いをつい珍しげに眺めてしまう。
 カイがソルに対して何かを期待するような、信用するような言葉を発するなんて、考えられなかったからだろうか。
「……成長したねぇ……」
 知れずポツリと零せば、怒りとも呆れとも言えぬ半眼を向けられた。
 8年経ってもその表情の作り方は変わっていないんだな、とは見当違いな感想を抱く。
 そしてカイは諦めたような溜め息をついてから、
「色々と、本っ当に色々と、今すぐ問い質したいところですが、……後で、必ず、話してもらいますからね」
 いやに重たい念押しをしてくる。
 彼の言った色々の部分に込められたそれこそ色々諸々の意味が否応にも分かってしまい、は居たたまれなさにあははと乾いた笑いを漏らすしかなかった。
 そのやり取りを一歩離れた場所から面白げに見ていたのはジョニーで。
「お前さんをやり込めるなんて大したお嬢さんだ」
 くつくつと笑いながらを眺めていた。
 居合の達人であるジョニーから見ても規格外の強さを持つソルの一撃を防いでみせ、自分がディズィーを止めると豪語していたが、近くで見ればディズィーよりも更に小柄な少女でしかない。
 改めて見れば軽くない怪我をしているが、その満身創痍の状態で先程の動きをしたとなれば、なるほど、この少女がある時期噂となった例の――と考えていると、その視線を遮るようにカイが一歩進み出た。
 おやおや、と更に面白く思ったが、それを表情に出すほどジョニーも野暮ではない。
 ディズィーに視線を戻すと、ソルの拳を、剣を、背の翼や防御障壁を駆使して凌いでいる場面だった。
 ジョニーの視線の先を自然とカイとも追う。
 あの凄まじい光線を放った後、ディズィーの動きが変わったと気付いたのはだけではないだろう。
 おそらく、高出力のあの攻撃を撃ち、正気を取り戻したのだ。
 剣戟の合間に、やめて、戦いたくない、という細い声が聞こえてくるのがその証拠だ。
 戦いたくない、でも相手が攻撃してくるから、迎え撃つ。
 大怪我をさせないように、相手を退けるに止めるように。
 それは手加減なんて上等なものではない、力に振り回されそうになりながら必死に手綱を握りしめているような危なっかしい戦い方だった。
 彼女は戦っているのだ。自分自身と。
 それが分かって、は大きく息を吸った。
「――ディズィー!!負けるなー!!」
 声が届いたのだろう。
 揺れる青い髪の合間に覗く赤茶の瞳が大きく見開かれた。
 ソルの下段からの切り上げを眼前に生じた防御方陣が弾き返す。
 そして、彼女は胸の前で両腕をクロスさせ瞬時に力を錬成した。
 ソルが何かを察知して飛び退くのと同時、彼を追うように複数の火柱が立ち走る。
 それがソルに接触した瞬間、轟音と爆風が吹き荒れた。
 その余波が達にも降りかかる。
 目の当たりにしたその威力に、は冷や汗が出た気がした。
 強大な力の持ち主だとは思っていたが、正直ここまでとは予想していなかった。
 この莫大なエネルギー量の攻撃をほぼノーモーションで、しかも連発可能であろう余力を持って放つとは。
 ……が止めるなどと啖呵を切った手前だが、結構厳しいなこれ、と口元を引き攣らせてしまう。
 煙の向こうにゆらりと人影が浮かぶ。
 服に付いた煤と土埃を乱暴に払いながら、ソルが姿を現す。
 そうだった、このソルという男も大概規格外れなのだった、と思い出す。
 戦場でギアを屠るその戦闘能力は、が知る中でもトップクラスのものだ――だから、彼がまだ全力でないことが分かった。
 彼がその気になれば、いくらディズィーが強いとはいえ短時間で無力化できるはずだ。
 敢えてそうしないのであれば、きっと、あの仏頂面の奥に何かしらの意図があるのだろうと、は何かがストンと落ち着いた思いがした。
 ソルが再び剣を握る。
 ディズィーはそれを真正面から見据え、ぎゅ、と胸の前で手を握りしめた。
 彼女の瞳に浮かんでいたのは怯えの色ではなく、自分を奮い立たせようとする意志のある光だった。
 ソルがたっぷり十歩分程の間合いを残す位置まで進み、足を止める。
 ディズィーは動かない。
 そうして数秒お互いの視線が交錯し、徐にソルが口を開いた。
「……見当違いだな」
「……え……?」
 熱気とともに立ち昇っていた闘気が、波が引くようにおさまっていく。
 突然のソルの行動にディズィーは小さく声を漏らした。
「大して危険でもねぇ」
 はあ、ともったいぶった溜め息を吐き出し、いつの間にか取り出した煙草に火を点けだす。
 ディズィーはどうしたらいいのか分からない様子でオロオロと目を瞬いている。
 その様子でソルの言おうとしていることを何となく察し、はふっと自分の顔が緩むのを感じた。
 途端にじろりとした視線がソルから向けられる。
「で、何でお前がここにいる」
「……それがにもさっぱり?」
 茶化したわけではなくありのままの心情を述べたのだが、それが気に障ったようでソルの表情が険しくなる。
 相変わらず凄むとより凶悪さの増す顔だな。
 しかしそんな目で見ないで欲しい。
 が一番自分の状況がわかっていないのだから。
 その視線から逃げようと、こそこそとカイの影に隠れるように移動する。
 その際ふとカイの肩の位置がだいぶ高くなっていることに気が付いて、何故か更に居心地が悪くなる。
 ……何でだろう、知った顔ばかりなのにアウェー感が半端ない。
 がまごついている脇で、すい、とジョニーがソルに近付いた。
「――ここに危険なギアはいなかった、ってことだな」
「……チッ……こんなに人間と仲良しこよしなギアはいねぇよ」
 そのソルの返答に満足とばかりに、ジョニーは小さなウイスキーのボトルをソルに投げて寄越す。礼代わりなのだろうか。
 それを無言で受け取り、ソルはやや離れていたところにいた長髪の青年に向け、
「とんだ無駄足だ――この後一杯付き合え」
「はいはーい――っと、ダンナも素直じゃないねぇ」
「燃やすぞ」
「それはご勘弁ー!」
 ひょっこりとどこかコミカルな様子で姿を表した青年を見て、は小首を傾げた。
 初めて見る顔だった。
 戦場に似つかわしくない、一般人のような雰囲気の人物がこの場にいることも不思議だったが、そんな人物がソルと親しげに会話しているのを物珍しく思っていると。
「はあ~この時代に着いてようやく飯にありつけるよ」
 腹を擦りつつ呟かれた言葉が耳に届き、うんうんと同意した。
 考えないようにしていたけれど実はもそろそろお腹が空いてきてたんだよね、等と思い立ち。
 ふと止まる。
 何でもない風に言われた台詞の中に、聞き逃せない言葉があったような。
 反芻する。
 ――この時代、と言わなかったか。
 どういうことだ、と勢い良くその青年の方を振り向くと、タイミングよく目が合った。
 きょとりとした悪意のない青い目と視線が交わる。
「あの子ダンナの知り合い?」
 青年はそばにいるソルへちらりと視線を向け、彼が無言なことと先程までのやり取りを合わせて肯定だと判断したようだった。
 ふーん、と何かを考える仕草をして、ぽそりと独り言のように呟いた。
「前に会ったことある気がするなぁ」
 そう言われてもは無いのだが。
 ……いや待て、が知らなくて、相手が知っているってことは。
 が忘れている昔に会っているかもしれないという可能性もある。
 もしそうだとしたらがだいぶ子供の頃の筈だが、それでもだと判断したのだろうか。
 それも気になるが、その前に言っていた、この時代、という言葉。
 それはどういう――
 「……!」
 カイの声が少し遠くに聞こえて、あれ、と思うと同時。
 耳の奥が冷たく感じ視界がぐらりと揺れた。
 ぐるぐると目が回る。
 白い光がチカチカ光る。
 ぼやける視界の向こうでディズィーが走り寄って来るのが見えた。
 体を支えてくれているのはカイだろうか。
 言葉を発しようとするが、自分の声も聞こえない。
 あ、限界みたいだ、と残った意識でそれだけ考え。
 はいつか感じた暗闇の中にまた沈んでいった。