Fortune 58


そしてやがて交錯する



「――貴方はもう既にそのギアと対面したということですか」
 カイは数歩前を歩くジョニーの背に問いかけた。
 彼は帽子のつばをくいと上げながら軽く振り向く。
「ああ――テスタメントもいたからちぃと苦労したがな」
 にやりと笑ってみせる姿は余裕綽々の様子だが、なるほど、彼がいたのであれば言葉通り苦労したのだろうと思った。
 テスタメントとは、1年前の第二次聖騎士団選抜大会の黒幕的な存在であり、人型のギアだ。
 高い身体能力と高度な召喚術を併用した攻撃の数々には、その場にいた自分も苦戦したのを覚えている。
 その後姿をくらましたと聞いていたが、この森に潜んでいたのか。
 カイが逡巡していると。
「お前さん方が探しているギアには……いいや、俺はあの子をギアだなんて呼べねぇなぁ……彼女は優しい心を持っている。それこそそこらの悪人よりよっぽど善良な人間性だ。ただ、持っている力が強過ぎるってだけだ」
 ジョニーはぽつぽつと話した。
 彼の話ではギアは女性型なのだろう。
 人の心を持つギア……それを聞き、炎を纏う男の姿をカイは思い出した。
「俺は彼女を外に連れ出すつもりだ」
 外に。
 その言葉の意味するところを理解し、カイは知れず視線を険しくした。
「その力を人が制御できるとは限りません。危険です」
「……そこなんだよなぁ……」
 歯切れの悪い返事にやはりかという思いになる。
 いくらこのジョニーという男が達人級の腕前だとて、これほど危険視されるギアを相手にし抑え込める保証はないのだ。
 しかし彼はまた笑ってみせた。
「それは彼女の努力次第なところもある。
 まあ人間だって訓練しなくちゃ力の扱い方は覚えられないものだからな」
 少し予想と違う返答がきた。
 彼女の努力次第とは?
 カイが訝ると、ジョニーも言いたいことに気が付いたらしい。
 行く手を遮る枝をかき上げる。
「彼女は自らの力を振るうことを嫌っている。
 嫌がって、その大きな力を使ってこなかった――だから、力の制御の仕方をまず覚える必要があるってことさ」
「それは尚更危険では……」
 ――……ドゴオオォン……!!
 遠くない場所から響いた轟音に二人は瞬時に気を張り巡らせた。
 法力の余波も大きく、何か大きな力を持ったもの同士がぶつかり合ったと推測できる。
「……これは例の彼女ですか?」
「いいや分からねぇ……分からねぇが、無関係ではないだろう。
 悪いが急ぐぞ!」
 ジョニーが焦った様子で駆け出し、カイもそれに続く。
 走りながら、情報を整理する。
 人の心を持つギア。
 人を傷付けないというが、その力を制御しきれないらしい。
 それをこの男は自分の庇護下で連れ出すという。
 自身の立場では、到底容認することはできない。
 できないのだが、それが本当に正しいことなのか、今の自分は判断に迷っていた。
 ギアは人類の敵で、倒すべきものであった。
 だが、そうではないギアもいるのだと、ソルという男を通して知ってしまった、今は――。
 だから今日は肩書を置いてきたのだ。
 自分個人がどんな答えを出すのか、それを知りたくてここに来たのだ。
 目の前が開ける。
 立ち上る熱気に肌がひりつく。
 ギアが絡むのであれば、奴の出現は予想できた。
 だから。
 自分を迷わせた当人の姿を目の当たりにし、しかし心は冷静だった。
「お前は来ると思っていた」
 カイは額を押さえるジョニーの脇を通り抜け、言葉を発した。
 ソルがこちらをじろりと睨みつけてくる。
「坊やの出る幕じゃねぇぞ」
 そして次にそばに立つジョニーへと視線を移した。
 それににっと笑みを返す姿に、ソルは舌打ちをした。
「何でてめぇまで出しゃばってきやがる」
「なぁに。レディのピンチに現れるのはいい男のお約束さ」
 ニヒルな表情の裏に何を読み取ったのか、ソルは苛つきを隠そうともしない。
 相変わらず粗暴な奴だ、とカイは苦い顔になった。
 そしてソルの周りを見やる。
 武器を傍らに落とし、膝を付いているのはテスタメント。
 その向こうにいるのはアクセルだ。
 知っている顔触ればかりで、蛇の道は蛇とでもいう状態である。
「……予定より早いのではないか」
「嫌な予感がしたもんでな。
 彼女はあんたの事も心配しているんだせ?思い詰めて自棄にならないかってな」
 ジョニーの言葉が図星だったのだろう、テスタメントは無言のまま僅かに視線を落とした。
「……チッ」
 舌打ちをしたと思ったら、予備動作なしの蹴りがテスタメントの後頭部に打ち込まれた。
 テスタメントは小さく呻き、地面に体を沈めた。その行動を咎めるようにカイは、怒気を飛ばす。
「ソル、戦意を失った者にそこまでする必要はないはずだ」
 カイの言葉をどこ吹く風のように聞き流し、ソルは追い打ちとばかりに伏せたテスタメントの体を端に寄せるように蹴り飛ばした。
「ソル!」
「何を怒る必要がある。こいつはギアだ。この先にいる奴もな」
「……それは、お前も」
「ごちゃごちゃうるせぇ――邪魔するなら潰す」
 来る、と思った瞬間剣を引き抜いていた。
 声を出す間もなく始まった戦いに、カイは難なく応戦する。
 突進してきた初手を剣の腹で受け止め、バックステップで追撃を躱す。
 踏み込みの回転力を利用して振るった横薙ぎの一閃はしゃがみこんだソルの頭上を通過した。
 更に一閃、踏み込みと逆の脚を振り抜く。
 それを片腕でガードしたソルの拳に炎が錬成されたのに気が付く。
 すかさず雷撃で迎え撃つべく力を集中する。
 単純な力比べではカイの分が悪いが、ソルの動きを予測し後の先を取れば渡り合うことは難しくない――そう考えたのだったが。
 ソルの拳から法力が消失したのを感じ取り、しまったと身構える。
「読み合いなら勝てると思ったか?」
 技をかけると見せかけ、対応すべく一瞬硬直したカイの胸ぐらを捻り上げ力任せにぶん投げた。
 太い幹に体を打ちつけられ、かは、と息が漏れる。
 ――だがまだ終わらない。
 空中に浮いた姿勢からぐっと脚を引き寄せ幹を足場に飛び出し、中断された技を放つ。
 鬱陶しげに無骨な剣でそれを弾き、ソルがまた拳を繰り出そうとしたところで。
 カイの姿を一瞬見失ったのだろう。
 その僅かな隙にカイは体を滑り込ませた。
 足元を狙い剣を薙ぐ。
 それにソルはバランスを崩し、たたらを踏む。
 好機、とカイが追撃をかけようとした刹那――
 辺り一帯を震わす絶叫が木霊した。


 木々の間をすり抜け、小さな崖を越えた先に、彼女の後ろ姿を見つけた。
「ディズィー!」
……さん……」
 木の陰に隠れるように佇む彼女は、先に会ったときよりもだいぶ顔色が悪かった。
 まさか既に巻き込まれてしまったのだろうか。
 怪我はないようだが、怖い思いをしたのではないか。
 名を呼び駆け寄るの姿を認め、しかしディズィーは安堵するどころか更に体を縮こまらせた。
 その尋常じゃない様子に焦り、は彼女へ手を伸ばした。
「私に近寄らないで……!」
 触れる直前、飛び退いたディズィーの顔はくしゃくしゃに歪んでいた。
 何でそんな顔をしているのか。
 この短時間で何があったのか。
 この騒ぎに関わってしまったのか。
 ……彼女こそが、そうなのか。
 は先程は無かった彼女の背の翼を見て、悟った。
 彼女こそが、闇慈が言っていた賞金がかけられた自立型のギアなのだと。
 ギア。
 先程まで、自分が命懸けで戦っていたものだ。
 街を破壊し、市民の、仲間の命を奪った敵だ。
 恐怖も、憎しみも胸の内に確かにある。
 あるけれど。
 その感情を彼女に向けて持つことは無理だった。
 今にも泣きそうな顔で自分の体を抱きしめる彼女は、誰も傷付けたくないと全身で訴えているようにしか見えなかったからだ。
 人の心を持つ、人の姿をしたギア。
 は意を決してもう一度手を指し伸ばす。
「……ディズィーが心配だから戻ってきた。
 ディズィーが何者でも関係ない。困っているなら助けるよ」
「いいえ、駄目……!
 私に関わればあなたを傷付けてしまう……!」
 言外に、正体に気が付いていることを伝える。
 じりじりと後退するディズィーを追い詰めないように慎重に近寄る。
 一歩ごとに頭の中で鳴る警鐘が強くなる。
 肌に感じる法力の波動は先程の……ローマで対峙したメガデス級のギアに匹敵するか、それ以上。
 こんな大きな力を、彼女の体は抱えているのか。
 そしてそれが今爆発しようとしている。
 何故かは分からない。
 だが、ディズィーの様子を見るに、彼女の精神の不安定さが力の制御に直結してしまっているのだろうとは予測できる。
 ふるふると頭を振るディズィーには笑いかける。
結構頑丈なんだよ?
 ちょっとどつかれたくらいじゃ怪我しないから安心して」
 軽口で落ち着かせようとする。
 だが。
「駄目……やめてネクロ!」
 無防備なの首に何か黒いものが巻き付いた。
 驚きで目を見開き、瞬時にその元を辿る。
 ディズィーの背の片翼が変形したのか。
『……オマエ……ニ、タ……感ジルゾ!』
 ぐ、と気道を締め付ける圧迫感が増し、息が詰まる。
 反射的に風を起こそうと法力を発動させる――が、押しとどめる。
 苦しさを堪えて、もう一度口元に笑みを浮かべてみせる。
「大、丈夫……」
 それを見たディズィーは、やめて、やめなさいと自分の翼に叫んでいた。
 一方は。
 大丈夫とは言ったものの、正直ピンチだった。
 ――仕方ない、と右腕を振りかぶり翼の中に現れた姿の脳天にチョップを落とした。
『プギッ』
 おや?どこぞの村の狩猟者が飼育する子豚のような声だな、と考えていると、ずるりと体が地面に投げ出された。
 解放された気道に勢いよく空気が流れ込み、思わず咽る。
「ごめんなさい!ごめんなさい……!」
「けほっ、……言ったでしょ?大丈夫だって」
 グルルル、と唸り声を上げてこちらを睨みつけてくるネクロ?とかいうものの反対側に白い女性の姿が現れる。
 そしてネクロにゲンコツを落としていた。
 おお、中々の容赦の無さだ。好感が持てる。
「ウンディーネ……」
 ディズィーに呼ばれると、その白い女性は優しく微笑み、次いでそろりとの方へ体を伸ばしてきた。
 避ける必要はないと感じる。
 動かないでいると、彼女は手を伸ばし、の頭と頬を撫でた。
 ひんやりとして気持ちいい。
 思わずふふ、と笑みを浮かべる。
「……あ、、さん……」
「うん?」
 首を傾けたの視線の先では、眉をハの字にしたディズィーが目を潤ませていた。
 先程よりも幾分落ち着きを取り戻したようで、もう震えは止まっていた。
「来てくれて、ありがとうございました……私なんかの為に……」
 私なんか。
 その言葉はいけないな、とは彼女の手を握る。
 少し緊張で強張っているけれど、今度は逃げずにいてくれたことが嬉しかった。
を助けてくれたディズィーを、助けたいと思うのは当たり前でしょ」
 の言葉に、ディズィーは両手で顔を覆い、ついに泣き出してしまった。
「もう~こういう時は泣かないで笑って欲しいんだけどな?」
 ぽんぽん、と肩をさすれば、そろりと上げられた赤茶の瞳と目が合う。
 そして、はい、という言葉と共に花が綻んだ。
 かわいいは正義という格言が頭に浮かんだ。
 こんなにかわいくていい子に賞金を掛けて追いかけるなど、国連とギルドは何を考えているんだ。
 そんなのが正しいわけ無い。
 彼女は自分から力を振るうことはしないはずだ。
 だというのに、その忌み嫌っているはずの力を使わせたのは、追い詰めたのは人間だと同時に考えてしまい、やる瀬無い思いが生まれた。
「私……行かないと……」
 小さい声で、けれど意志の篭った声で彼女は呟いた。
 立ち上がるディズィーに合わせ、も腰を上げる。
「私はこんなだから……人間から離れて静かに暮らしていこうと思っていたんです。
 でも、すぐに追いかけられて……私を守ると言ってくれた人……その人もギアなんですけれど、その人に甘えて、自分から動かなかったから、こんなことになったんだと思います」
 その独白を聞き、ふむとは顎に手を当てる。
 彼女の言うこんなことというのは、懸賞金をかけられ、ついには国際警察機構までが動いたというこの事態のことだろうか。
 どうしようもなくて逃げ続けた結果、望む望まぬは関係無しに悪い方向へと進んでしまったのが今の状態なのだろうな、とは推測して。
 震える瞳を正面から見据える。
「ディズィーは、どうしたいの?」
「私は……私も本当は、」
 そこで言葉が詰まった。
 逸らされそうになる目をはじっと見つめることで押し止めた。
 逃げて、逃げて、こうなってしまったのなら。
「私は、人と共に生きたいです……!」
 怖くても、困難でも、立ち向かうしかないことだってある。
 その先の望みがしっかりと自分の中にあれば、きっと頑張れる。
「できるよ」
 もう一度手を握り、ぐっと顔を近付ける。
 見開かれた綺麗な瞳を覗き込む。
「ディズィーならできるよ」
「……はい……!」
 再び花が咲き、和やかな空気になったと思われた数秒後。
 遠くない場所で先程とは違う力のぶつかり合いを感じた。
 燃え盛るような激しい力と、鋭利で凝縮された力。
 それは、が探していたものだった。
 カイだ――とそれだけで直感した。
 メダルの反応は彼だったのか。だが、何故ここに。
 逡巡した僅かな隙、の意識はディズィーから逸れた。
 ぴん、と何かが途切れる音。
 膨れ上がる力に気が付いた時にはもう遅かった。

 ああああああぁぁぁ!!!!

 ディズィーとネクロの声が混じり合い、凄まじい絶叫が上がる。
 ――何で急に……!
 近くで起きた強い力のぶつかり合い――まさか防衛本能か?
 は渦巻く力の奔流と突風に耐えるように足に力を入れる。
 咄嗟に近くの木に手を伸ばす――が、届かない。
 足が浮き上がった、と思ったら簡単に吹き飛ばされた。
 細い枝葉をへし折りながら、10m近く離れたところで茂みの中に落ちた。
 その弾みで大腿の傷口が開いて血が滲む。
 油断した、と歯噛みする。
 彼女の力の発動は、まだ収まっていなかったのだ。
 近くに感じた巨大な力に呼応するように、先程の暴走が可愛らしく感じるくらいの力の渦を今自分は目の当たりにしたのだと直観的に理解する。
 がさり、と茂みの中から抜け出すと、ディズィーの姿を探す。
 戦闘モードなのだろうか、服装が変わり、翼が大きく変化していた。爬虫類のような長い尻尾も生えている。
 足元には魔法陣のようなものが展開されており、バチバチと力そのものとしか表現できない可視化された何かが彼女の周囲に張り巡らされた。
 ディズィーの視線は既にではなく、すぐそばで存在を主張するかのような強い力に向けられていた。
 その瞳からは先程までの儚く優しい光が消え、虚ろで意思が薄いものに様変わりしている。
 止めなくちゃ――助けると言ったのはだ。
 は立ち上がり、意思を込めて足を踏み出す。
 ――彼女が望まぬ力を振るうのを止める為に。