紡がれた糸は宙を舞う。
その日その森に足を踏み入れた者は多くいた。
ある者は訳も分からぬ内に突然。
ある者は迷いの答えを探す為に。
ある者は自身の探求心の為に。
ある者は自分の信念に従い他者を救う為に。
彼ら以外にも多くの者が、それぞれの思惑でこの地に赴いていた。
――そして今また、新たな演者が現れる――。
「よっ!ダンナ、久しぶり~」
「……またてめぇか」
「毎度つれないねぇ」
なはは、と困り顔で笑う腐れ縁とも言える顔見知りにソルは露骨に顔を顰めた。
20代半ばくらいの人懐っこい顔立ちの青年の名はアクセル=ロウ。赤いバンダナで長い金髪をまとめた姿は、街中を歩く普通の青年とそう変わらない。
しかしこの青年には驚くべき体質がある。
能力、であるかもしれないが、自分でコントロールできない以上不意に起こる発作……故に体質であると彼自身は考えている。
「用がねえなら失せろ」
「うわ機嫌悪いとこきちゃった?」
声に出さなければ穏便に済みそうなところを、アクセルは素直な性質なのかするりと言葉を発してしまう。
しまったと口を押さえるが、ソルは面倒臭げに溜め息をついただけだった。
アクセルがそれを見てほっと肩の力を抜いた瞬間。
ドゴオォンッ!!
殴り飛ばされた。
咄嗟に防御できたアクセルは流石知り合いというところか。
「ちょ…っ!不意打ちはひどくない!?」
「退場の手助けをしてやっただけだ。さっさと行け」
あんまりな言い分に言い返そうとした彼の鼻先を、音もなく何かが掠めた。
鎌だ。自分の持つ鎖鎌の刃とはまるで違う。
真っ赤な血のような怪しい艶を持つ巨大な刃物だ。
何故こんなにデカい鎌が。
つう、と背中に冷たい汗が流れたと思った瞬間、アクセルは自信の獲物を構え、振り切られた大鎌をいなすように躱し距離を取った。
ソルのそばへじりじりと近寄る。
「……あれダンナのお客さん?」
「たぶんな」
「もおおう!また!巻き込まれた!」
「黙って騒げ」
にべもなく言い捨てられ、アクセルは本当に泣きたい気持ちになった。
毎度毎度、突然、違う時代違う場所にタイムスリップしては辿り着いた先に大抵ソルがいて、大抵彼は厄介ごとの最中で、大抵自分も巻き込まれるのだ。
「今回だって飛ばされてきたばっかりなのにぃ~!」
「難儀なこった」
「――貴様ら」
機械的な声音をアクセルの耳が拾った。
突然振り下ろされたその大鎌を携え、森の陰に溶け入るような暗い色彩の人物がゆらりと姿を現した。
「ここから先へは行かせない!」
そう告げるなり問答無用で切りかかってきた。
ソルとアクセルはそれぞれ別方向に飛びすさび、それを避ける。
二手、三手の追撃はソルに向かった。
それを鬱陶しげに逆手で握る封炎剣で弾きながら、反対の手に法力を集中させる。
「うざってぇ!」
炎を纏わせた拳で乱暴に殴りつけるが、その拳は空を切った。
一瞬の間に大鎌を持つ男は数メートル離れた場所に移動していた。
アクセルはその攻防を見やりながら、あの炎の拳で殴られなくてよかった、等といささか場違いなことを考えていた。
「――やはり来たか。皮肉なものだ、やっと貴様を殺すのを諦めたというのに」
「相変わらず陰気な野郎だ」
マジでダンナってば色んなところで恨み買いすぎでしょ、と目の前の会話にアクセルは顔を引き攣らせた。
ソルがそんなだから、毎度自分は関係ない危険ごとに巻き込まれるのだ。改善を願いたい。
「あの人の元へは行かせぬぞ」
「それはてめぇが決めることじゃねぇ」
ソルが言い終わるより早く、ドガンッ!!と武器が打ち合わされ、衝撃波がアクセルにまで届く。
繰り返される打ち合いは時に炎が鎌を弾き飛ばし、鎌の男の足元に生じた何かが剣を防いだ。
アクセルもソルの正体を知っている――だから、相手の男もそうであると自然に気が付いた。
目の前の人外同士のハイレベルな戦いを遠い目で見る。
まったくツイてない。そもそも今回は特にツイてない。
飛ばされる前に、怪しい雰囲気の男に会った。
その男からソルへの伝言だというものを預かったと思ったら、すぐにワープが始まった。
しかもワープ中、いつもより強い力で横手から引っ張られるようにこの時代に落とされた。
その最中は過去に体験した船酔いの比ではないくらい気持ちが悪かった。
ついその感覚を思い起こしてしまい、うぷ、と込み上げてきたものを無理やり押し止める。
そしてそこで伝言の存在を思い出した。
決して忘れていたわけではない。
いきなり殴りつけてきたダンナが悪いのだ。
これが終わったら伝えよう。
伝えられる雰囲気であればだが。
そうアクセルが自己完結している内に、どうやらソルが優勢に立ったようだ。
男はがくりと膝を付き、ソルを睨みつけていた。
「……私は負けぬ……負けられぬのだ……」
「チッ……どいつもこいつも負け犬面しやがって」
ソルが封炎剣を振りかぶる。
「……すべてのギアを破壊し、最後に貴様はどうするつもりだ」
男が静かに問いかける。
怒るでもなく、嘆くでもなく、虚しさが込められた言葉だった。
ソルは答えない。
答えずに――剣を振り下ろした。
「だーかーらー!
はジャパニーズじゃないっての!」
「はんっ!隠しても無駄だ!
そっちの男同様、あんたからは気の力を感じるぜ!」
と闇慈は忍を名乗る物体から追撃を受けていた。
森の中を駆ける。
しつこく追ってくる物体から逃げるように疾走し続けていたが、
はついに堪忍袋の緒を切らした。
「人の話を聞かない奴ばっかかあぁーっ!!」
振り向きざま、カウンターの拳を叩き込む。
「ぐええぇぇっ!!」
あ、マジで入っちゃった。
結構なスピードで突っ込んでこられた為、迎撃した
の方にも結構重たい衝撃がきた。
気絶させちゃったかなと心配になるが、いや、気絶したならその隙に逃げることにしようと頭をすっぱりと切り替える。
「あんたエグイことするねぇ……」
少し先まで勢いで走っていった闇慈がいそいそと小走りで戻ってくる。
その顔は軽く引き攣っていた。
「……よし息はある。先を急ごう」
「いやはや、華奢な見た目によらず逞しいねぇ」
セクハラか、と返そうとした時、眼下の物体がぴくりと動いた。
「……あんた中々やるな……もう一度、俺と勝負だ!」
がばり、と上体を起こした忍を名乗る彼の勢いに自然と体を引いた。
ドン引きである。
丈夫さにではない。その何故か輝く目にだ。
……カイに勝負を迫られていたソルもこんなウザさを感じていたのだろうか。
興奮した様子の忍から視線を逸らすと、その先に同じく困った様子の闇慈がいた。
それを見て
の脳内に妙案が閃いた。
徐に闇慈をく、と指差し。
「……ふっ、
と戦いたければまずはそこの男を倒して見せることだな」
「はぁ!?なんだよ急に!」
「(無視)この男に勝てたら、次に
が相手をしてやる」
「本当だな!?」
「ちょい待てぇ!俺の意見は無視かい!?」
喜色を浮かべる自称忍と困惑して絶叫する闇慈の間からさり気なく移動し、数歩離れたところで改めて口を開く。
「――まあ、また会ったらの話だけれどな」
言い終わるなり、一目散に駆け出した。
呆気に取られたらしく、男二人が追いかけてくる様子はない。
数秒後、遠くうしろで。
「俺が勝ったら俺と仕合いしてもらうかんなコンチクショー!!」
という闇慈の叫びが聞こえた。
ありがとう闇慈。そしてありがとう忍の人。おかげで余計なもの(闇慈)を押し付けることが出来ました。
二人ともまともに相手をしていたら相当消耗しそうなほどの実力を持っていた。
うまいこと引き剥がせてラッキーだったな、と
は内心で肩をすくめた。
――ここまでくればいいか、と十分な距離を取ってから速度を緩める。
思ったよりも早く撒けてよかった。
それにしてもこの森、人に会いすぎじゃないか。しかも物騒な類の輩に。
は何となく不穏な空気を感じ始めた。
メダルを開ける。シグナルの位置は――先程よりは近くなっている。
方角を確認し、進行方向を変える。
そこでふと、反応が、いやその先の誰かが
が元いた場所の付近……ディズィーと会った方へ向かっていることに気付く。
何故だ?
闇慈は賞金がかかったギアがいると言っていた。
聖騎士はほぼ皆戦闘技術が高い。
そんな人間の一人が今警察機構に所属していてもおかしくはない。
ギアの討伐――の為にこの森に派遣されてきたのだろうか。
不穏な空気の正体と中心はそれなのか。
そうなるとこの森が戦場になるのも時間の問題だろう。
ディズィーが気掛かりだ。
こんなことであれば彼女を家まで送り届けるべきだった。
自分の置かれた状態にいっぱいいっぱいになっていて気を配れなかったことを悔やむ。
――よし、とメダルを閉じる。
今は、まず彼女の安全を優先しよう。
自分のことは後でいい。
2173年から2181年まで飛んでしまったわけだし、一日二日程度の違いなど些細な誤差範囲だろう。
うわ、自分で言っていて意味が分からない。
兎に角、それが現実として、既に盛大な年単位の遅刻をやらかしているわけだから今更急いでみんなのもとに帰らずとも、きっと怒られない。はず。
それよりも、見ず知らずの自分に優しくしてくれた彼女を助けなくてどうする。
周囲に耳を澄ませ、小川のせせらぎの音を探す。
それをまた逆に戻るように辿れば、彼女の居場所に近付けるだろう。
そして
はすぐに行動に移した。
――ざんっ!!
地面に剣が突き立てられる。
目の前でしゅうううと高熱を発し蒸気を立ち上らせるそれを見て、男はぎろりとソルを睨み付けた。
「……どういうつもりだっ」
「死にたがりにトドメを刺してやるほど俺はお人好しじゃねえ」
「何だと!?」
わなわなと肩を震わす男をソルは面白くもなさそうな顔で見下ろしていた。
男はそのまま俯き、長い黒髪がサラリと流れ落ちて顔に影を作った。
この場面だけを見れば完全にソルが弱い者いじめをしているようにしか見えない。
アクセルは恐々とその戦いを見守っていたが、ようやく終わったのだと判断しソルのそばへ近寄った。
「ダンナ?よく分からないけれどもうその辺でいいんじゃない?
ほら、その人も何か戦意喪失しちゃってるっぽいし」
「……あぁ?」
ひいいぃ、と竦み上がりそうになる己を叱咤し、アクセルは言葉を続ける。
「自分でトドメは刺さないって言ったんだから、ハイ、この喧嘩はもうお終い!あんたも顔上げなよ!あんま状況分かんないけど!」
勢いに任せてまくし立てる。
とにかくこの重い沈黙をどうにかしたかった。
さっさとバイバイしてお互い心の平穏を取り戻すべきだ、と考えた上での行動だった。
これで後はソルがクールダウンした後にタイミングを見計らって頼まれた内容を伝えればミッションクリアである。
その為に頑張れ、俺、と勇気を振り絞ったのだったが。
「……やはり私はもう不要ということだな……」
なんか独白始まっちゃった!?と予期せぬ男の行動にぎょっとする。
しかしアクセルのそんな焦りにも気付かず、男は言葉を続ける。
「……彼女を守りたいというのも所詮私の独り善がりに過ぎなかったようだ。この森を出て、あの男に託すべきなのかもしれん」
ふ、と自嘲の笑みを浮かべながら語る。
彼女って?あの男って?そもそもここって何処なの?と置いてけぼりをくらい疑問符を浮かべるアクセルのことは無視することにしたのか、ソルはじっと男を見下ろしていた。
「――おいテスタメント、何の話をしている」
と思ったらダンナも意味分かってないんじゃああぁんっ!
俯いていた顔を上げた男――テスタメントは眉を顰めた。
「……ディズィーが狙いなのではないのか」
「それが賞金が掛かったギアの名前か?
居場所を知っているなら吐け」
見事に会話も意思疎通も成り立っていない。
アクセルはテスタメントと呼ばれた男に少しばかり同情した。
離れた場所で法力同士のぶつかり合いを感じた。
自分が向かう先と近い。
もう戦闘が始まってしまったのだろうか。
ディズィーは巻き込まれていないだろうか。
走りながら両手の感覚を確かめる。
すっからかんだった法力も3割方回復したようだ。
傷口ももう血は止まっている。
痛みはあるが動けないほどではない。
昔から怪我の治りは早かったが、今回は特に早くないか?と妙に思う。思うが、今は回復してくれるに越したことはないのでどうせならさっさと治れと念じる。
もう一度大きなぶつかりを感じた。
先程よりも近い。
かすかに剣戟が聞こえた。
重く響く強い力――覚えがある。
荒々しく燃えるような、力の波動。
どくりと心臓が脈打つ。
いる。
無意識に足がそちらへ向かう。
そこが――騒ぎの中心だという確信を持って。