Fortune 52


 盾となり、巌となって――



 こんなにも酷い状況を見たことがなかった。
 こんなにも大勢のギアが街を覆い尽くすのを見たことなどなかった。
 ここローマは芸術が発展した土地であり歴史的にも貴重な建造物が並ぶ美しい街並みだった――だが今や無残な瓦礫の海へと変わり果ててしまっていた。
 白い石造りとテラコッタの屋根、そして青い空が調和する美しい色彩が、無惨にもどす黒く数メートル先も見えない煙と荒れ狂う炎の色に塗り替えられていた。
 絶望を具現化したような世界で、だが生き残っている市民がいるという事実が止まりそうになる聖騎士団員らを突き動かしていた。
 嘆いている時間があるならばひとりでも多くの人命を救え。
 怯み悲嘆に崩れそうになる体を必死の思いで動かす。
 しかしながら失われた命の方が圧倒的に多く、泣き叫ぶ子供とも大人ともつかない声がそこかしこで響いている。
 混乱と恐怖でパニックに陥っている市民を救助すべく、強引にでも避難させていく。
 震えて立ち上がれない老人を担いで駆ける団員が見えた。
 亡骸から離れようとしない女性の腕を引き罵られている団員もいた。
 それらを視認しながら、は自分の役割に集中すべく、引き攣れそうな精神を無視して法力を錬成し続ける。
「――法支援隊!!煙を防ぐ風の壁を!崩れそうな瓦礫は避けて道を作って!」
 人々の声だけでなく轟音が響く戦場で、はひたすら声を張り上げた。
 向こうの戦線はまだ健在だ。
 だが小型のギアが数体、網を潜ってこちらに向かってきていた。
 市民の避難誘導と防御結界の維持を仲間に任せ、はその迎撃の為隊列から離れた。
 その足元に蹲り動けなくなっている子供の影が見えた。
 気付かれていない、間に合う。
 避難経路からもその子供からも離れた位置に竜巻を発生させギアの意識を逸らす。
 単純な思考回路しか持たないそれらは、そちらに迎撃対象がいると判断したのか進行方向を変えた。
 その隙にその子を抱きかかえ、救出する。
 あ、と小さい声が震えたことに反応すると、その子供の手からぬいぐるみが離れようとしていた。
 すんでのところでそれをキャッチして子供の腕の中に戻す。
 一旦結界の中に戻り、避難誘導中の騎士に子供を託すとすぐに戦線へ戻る。
 小型のギアたちの移動スピードはさほど速くはないようで、まだそれほどこちらに近付いてきていない。
 最前線は奮闘しているようで、戦線を徐々に押し上げつつあるとのことだった。
 だが楽観視はできなかった。
 何故ならその場に未だメガデス級のギアの姿が確認できていないからだ。
 辺りに舞う熱風の力を利用し小規模の上昇気流を生み出す。
 タイミングを見計らって風速を上げ、刃と化した風を目の前に飛び出してきたギアへ叩きつける。
 辺りは一面の炎のせいで気温がかなり上昇していた。
 この熱量ではが得意とする気をマイナスの熱エネルギー生成に使役するという力の使い方は効率が悪過ぎた。
 その為、彼女は常と違う戦法を取らざるを得なかった。
 だからその分疲労が蓄積するスピードが早いことが現状の懸念事項だった。
 だがそれも今しばらく辛抱すれば状況が変わるかもしれないと感じていた。
 もう一度、炎で熱せられた空気を煙と一緒に更に上昇気流で上へ向けて飛ばす。
 避難中の市民に迫ろうとしていた煙も大気の流れを慎重に操り、上空へと流動方向を変えさせながら視界を広げ、必要最低限の酸素を呼び込み、避難経路を作り出す。
 これ以上炎を成長させないように気を配りながら、安全地帯へ向け市民を誘導する。
 うまくいけば、上へ上へと追いやった熱気と煙が上空の雲を成長させ、じきに雨が降り出すだろう。
 そうすればこの火の海の鎮火に役立つはずだ。
「――団長補佐官!報告です!」
「どうした?」
「申し上げます。……あの女性が部隊から姿を消しました」
「……そうか。わかった。貴方は持ち場に戻って引き続き市民を避難させて」
「は?し、しかし……」
「いいんだ。が捜しに行く。
 しばらくはこの避難経路も保つはずだ。
 今迎撃した小型ギア2体でとりあえず波はおさまったから、今の内に避難を急がせて」
「承知しました!」
 予想通りのことが起きた。
 むしろ途中まで本当に協力してくれたことに驚いてしまったくらいだ。
 イノはと同じように迫るギアの迎撃を行っていた。
 エメラルドグリーンのギターを武器に可視化された音波のようなものを発生させ、圧倒的な攻撃力で敵を屠っていた。
 しかし、過剰とも思えるくらいの力をぶつけ、倒れていく残骸を見下しながら赤い唇を吊り上げるその様子に、は敵ながらギア達を憐れにすら思ってしまった。
 だが彼女の働きにより避難は順調に進んだ。
 予定より早く退却を開始できるかもしれない。
 市民さえ避難させられれば、一度体制を建て直しはじめの指示通り援軍を待って総攻撃をかけられる。そうすれば、易くはないとしても殲滅は可能だろう。
 残る不安材料は、前述のメガデス級の所在と、姿をくらましたイノの動きだ。
 は単独、彼女の捜索に向かうことにした。
 大隊長に旨を伝え、避難完了予定時刻まで20分、それまでに自分が戻らなければそのまま引き上げるように指示する。
 そしてそれに対する異論を聞く間もなく、はその場を駆け出した。


「……っ、避難は!?まだ完了しませんか!?」
「あと15分ほどです!」
 一度は押し上げた戦線も敵の増援が現れたことで再び劣勢に転じていた。
 カイは素早く状況確認をしながらも襲い掛かるギアへ電撃を飛ばし牽制を続ける。
 そうしてある程度の数のギアが固まったところへ法支援隊が限定範囲の重力呪文を展開し弱体化に成功、その機を逃さず畳み掛けた。
 その連携により数体をまとめて倒すことができたが、その屍を踏み越えるように次々と姿を表すギアの群れ。
 既に最前線に布陣した第一・第二大隊は散りじりになっており、離れた場所からも戦闘音が響いていた。
「カイ様!兵たちも限界です!撤退しましょう!」
「――いいえ!今総員が退却を始めては市民に危険が及びます!それに戻れない隊員が出てしまいます!」
 想定していたことだが、尋常ならざる物量に指揮が行き及ばない。
 だからといって陣形から外れた位置で戦闘を続ける部隊を見捨てることなどできない。
「私が切り込み救援に向かいます。その間に付近の部隊の退却を指揮してください!」
「貴方とて限界でしょう!?」
「15分――保たせてみせますよ」
 封雷剣を構える。
 力を集約させ、狙いを定め解き放つ。
「ライド・ザ・ライトニング!!」
 高圧の雷撃を纏い高速で突撃する。
 周囲の無残な廃墟を巻き込みながら薙ぎ倒し、弾き飛ばし、一瞬で多数の小型ギアを行動不能にさせる。
 敵陣に単独で進むなど褒められる戦法ではないが、今はこうする他ない。
 撤退の合図に気が付けない場所で戦っている仲間を救わねばならない。
 カイは上がる息にも構わず、再び法力の錬成に集中する。
 今までも幾度かこういった危機的な状況に陥ったことはあった。
 だが、その度に紙一重で生き抜いてきた。
 今回も運が味方してくれるか――そう考え、の顔が浮かんだ。
 運命の女神の二つ名で呼ばれる度、とても嫌そうに顔全体を顰める彼女。
 先の飛空艇では騎士たちを鼓舞する為に結果彼女を利用したが、その時も似た表情を浮かべていた。
 自分が使われたことではなく、無断で知らぬ内に事が運ばれていたことに腹を立てたらしい。
 悪いことをしたという自覚もあるので、今度彼女の機嫌を直す為にお詫びの品を用意しよう。
 彼女がお気に入りだという城下町のケーキを用意すれば許してくれるかもしれない。
 ――一閃、ギアの体を分断するように放った一撃の反動を受け、一歩退く。
 彼女は無事だろうか。
 少々強引だったが、大きな危険が及び辛い位置への配置を方便を使って承知させたのだ。おそらく被害は受けていないだろうが、例の不安要素――イノという女性のこともある。
 色々と準備不足であることに焦りが生まれるが、今は信じるしかない。
 眼前の敵を見据え切っ先に力を収束させる。
『自分の命ごと守ってみせろ』
 彼女の要求は難題だ。
 だが、それが彼女の願いなら。
「我らが女神がそう仰せならば……生きることを諦めるわけには、いきませんね……っ」
 自分を取り囲むように距離を詰めてくるギアの軍勢から視線をそらさず、カイは固い表情のまま口元に小さく笑みを浮かべた。


 市民の避難がもうすぐ完了する、との通信をどこか遠くに聞きつつ、人気のなくなった街を駆ける。
 唸る炎を避ける為手近な瓦礫の山の上に飛び乗り、次々と飛び移りながら更に進み、は力の気配を探していた。
 団員同士ならば通信用のメダルである程度の位置は把握できるが、探している例の女性――イノはそれを持っていない。
 だが、彼女ほどの能力者ならば、近くにいれば察することができるはず。
 そう思い意識を張り巡らしながら進んできたが、未だに見つからない。
 よほど上手に気配を消せるか、またはもうここから去っているか。
 気まぐれで首を突っ込んで飽きたから投げ出した……そんなところなのだろうか。
 彼女については様々なことが不確定のままでスッキリしない。
 最悪、どこかに潜んで何かを企んでいる可能性も捨てきれないのだが――
 その時。
 ギアオオオオッ!!
 中型クラスのほぼ無傷のギアが通りの向こうから現れる。
 ずん、ずん、と質量のある足音を響かせこちらに一直線に向かってくる。
「――何でここに……前線のみんなは……?」
 一瞬戸惑い、だがすぐに法錬成に入る。
 地面から巻き上がるような風を生み出す。
 もうすぐだ。
 両腕を胸の前にまっすぐ伸ばし力を巡らす。
 気圧を急速降下させ下降気流を呼び込む。
 高密度のダウンバースト。
 真上からのそれを食らったギアがその場に縫い付けられたように動かなくなった。
 はその術をコントロールしながら、暗雲が重なり始めた空に掌を向け突き上げる。
「――凍れ」
 低い一言が発せられた次の瞬間、文字通り氷の雨がギアへ降り注ぐ。
 細かな無数の白刃がギアを多い尽くすかのように轟音を響かせ、上へ下へと螺旋を描きながら舞い踊る。
 数秒後、ぴたりと止んだ風の中心に凍りついたギアの姿が残っていた。
 そしてびしびしと音を立ててひび割れ始め、やがて大きな亀裂が入り、砕けて崩れた。
 ――大気への干渉――は気の力でそれを行える。
 風を起こす、目眩ましに水蒸気を利用する、氷の雨を降らせる――それらはすべて気圧を限定的に変化させて操ることで発生する現象だった。
 今の術は過去に二つ名をもらうことになってしまった原因でもあるあの作戦で使用したもの。
 実は気象条件が揃わないと使えない難儀な技なのだが、その威力は結果の通り、一瞬でカタがつく。
 デス・イン・ジ・アフタヌーン
 ――凍らせ、砕き、相手の時間を強制停止させる技だ。
 今の放出でかなりの力を消耗してしまったが、今避けるべきは時間のロスだ。
 は白い息を吐き、空を見上げた。
 ぽつぽつと黒い雨が降り始めた。
 再び駆け出す。
 イノを探す予定だったが、進行方向を変える。
 向かう先にまだ仲間が無事でいることを祈って拳を握る。
 そしてしばらく進むと。
「――お嬢!?何でここに!?」
 煙の向こうから声が上がる。
 振り向き風炎を避けながら目を凝らす先、立ち上る炎と煙の向こうにに見えたのは、第一大隊の面子だった。
「さっき中型ギアがいたから処理した!前線は?退却指示が出たのか?」
「本隊は既に後退を始めている!
 俺たちも戦線を徐々に下げながら撤退中だ!
  後衛の仲間もこれで全員回収した!だが、まだ団長が最後尾で交戦中だ!」
「――わかった。市民の避難は予定より早く進んでいるから皆はそのままキャンプに合流して。
 は、援護に行く」
「無茶するなよ!命あっての物種なんだからな!」
「……その通りだね。だから、その無茶してる奴を助けなきゃ」
 言って、彼らが走ってきた方向へ逆走するように駆け出す。
 カイが残っていると聞いてやっぱりかと苦々しい気持ちになった。
 あいつのことだから、仲間を逃がす時間を稼ぐ為に一人で残ったのだろう。
 おそらく引き際を間違えるようなことはないだろうが、それにしても周りのことを考えていなさすぎだ。
 こっちの気も知らないで、仲間を置いてけぼりにしているようなあいつに自分勝手などと言われたくはない。
 そういう己に対する厳しさや使命感、責任感の強さが彼のいいところではあるが、行き過ぎると自己犠牲のきらいが出てくる。それは周りにとっても嬉しくない。
 は心配しながら腹を立てるという複雑な胸中のまま先を目指す。
 避難完了まで後少し。
 カイを発見し次第、こんな戦場は即刻離脱だ。
 イノのことも探さないといけないが、正直帰還途中でも見つからない場合は、やむを得ないとは考えていた。
 厳しい言い方で責められるかもしれないが、不必要に安全な場所から危険の中へ飛び込んでいった人間を救えるような余裕も払える犠牲もないのが、今の現実だ。
 雨足が強まってくる。
 雷鳴が聞こえ始めた。
 大きな雨粒がコートを打ち付け、体温を奪い、その重さを増してゆく。
 ――いや違う、今のあれは、あいつの――
 どくりと胸の奥が脈打つ。
 ふらりとその音がした方へ足が向く。
 この近くだ。
 雷が弾け拡散する音。
 空から降るものとは違う、地を這うような響きと振動が濡れた空気を震わす。
 そして、暗い雨が降る中で一際目立つ、舞うように翻る白いコートが視界に飛び込んできて――息を飲んだ。
 からだ全体から血の気が引いた気がした。
 感覚がない足に精一杯力を入れ地面を蹴る。
 先程まで考えていた色々なことが途端に頭から消えていた。
 彼の姿しか見えていなかった。
 本来真っ白なコートには赤黒いシミがいくつも広がり、所々裂かれボロボロになったところからは染みよりも鮮やかな赤が覗いていた。
 囲まれ、大型のギアが彼に向かって鋭く大きな爪を振りかぶった。
 瞬間、彼の周囲にが見たことがないほどの法力の力場が展開される。
 その中心で剣を構え、巨大な敵を一気に高圧の雷撃で囲い込むようにして迎撃する。
 つんざくような轟音と閃光にが思わず目を細め自身を防御するように身を縮こまらせると同時、もう一体、彼の背後を狙うギアがその目に映った。
 ぞっとする間もなく、声を張り上げる。
「カイ!!」
 力を疾らせる。
 届け、間に合えっ!
 止まぬ閃光に混じり、旋風が巻き起こった。