Fortune 51


 そして、揺さぶられる運命。



「――ということで、イノさんには途中の街で降りてもらうことになりました」
 この飛空艇は戦場になっているローマへ急行することになった。
 その為彼女の保護は途中立ち寄る補給地の街で解除されることが決定し、こうして今、が直接説明に訪れているのだった。
「あら、戦えって言わないのね」
「戦力は欲しいけれど無理は言えないし」
「ふーん?もらうものもらえたら、手伝ってあげてもいいけれど?」
「……イノさんの目的は本当になんなの?」
 は彼女の言葉に眉を顰める。
 力を隠そうとしてみたり、協力を提案してみたり、彼女の意図が全く読めなくなっていた。
 もしかしたら本当の善意なのかもしれないが、は現状彼女を信用することはできなかった。
 ここに来る直前のことを思い出す。
 時間の限られた作戦会議の中、彼女の力に気が付いている団員から作戦への協力を請えないかという提案が上がり、賛同する声も多かった。
 状況が状況なのだからそう考えるのも尤もだとは思ったが、その場で頷くことはできなかった。
 自分が心配し過ぎなのだろうか。
 彼女の協力により増加する戦力的なメリットよりも、その場に置くことの危険性――不測の事態に排除に割かねばならない戦力のロスの方が、戦局を左右してしまうかもしれない。
 そんな葛藤が生まれていた。
 だが、それでも良い予感がしないのだ。
 のその様子に気が付いたカイは、事前のやり取りがあったおかげかその理由をすぐに察してくれた。
 そして、彼女も被災者でありただの民間人なのだからと他の団員達に説き、その案は否決されたのだった。
 が数秒黙り込んだことで何かを思ったのか、イノはニヤと笑った。
「私の目的、報酬をくれたら教えてあげるわ」
「……どれくらいが望みなの」
 あまりにも高額を提示されたら断る理由にできるな、とある種の期待を持って聞き返す。
 すると不意にイノが身を乗り出しの喉元へと手を伸ばしてきた。
 咄嗟のことで身を引くが、それより一瞬早く彼女の細い指がの首筋に触れた。
 かり、と爪の先で肌を撫でられる。
「お金ならいらないわ。その代わり――貴女を舞台に上げて、鳴かせてみたいの」
「全力でご遠慮します」
 あ、即答してしまった――と脊椎反射並みの突っ込みよろしく拒否してしまったことに後になって気が付く。
 しかし彼女は気を悪くした風には見えず、笑みを湛えたたままだった。
 そしてまた口を開く。
「そう。残念ね――なら、私は私のしたいようにするわ」
「……それは」
「警戒しなくてもいいのよ。
 で、も……そうねぇ、貴女のこと気に入っちゃったみたいだし、助けてあげる」
「はあ、どうも……え?」
「あら、ご不満?」
「いや、……報酬を要求していたのに何でと思って」
 のもっともな疑問に対し、イノはふっと笑みを消す――その様に背筋に寒気が走った。
「――みすみす遊び甲斐のあるオモチャを壊されたんじゃ堪んねぇからな」
「……え、何て?」
 聞き取れず問い返せば、イノの顔にはまたすぐに笑みが浮かんだ。
「個人的に口説くなら問題ないでしょう?」
「……女なんだけれど……」
「あら、私はどっちでもイケるって言わなかったかしら?」
「……」
 は力なくうな垂れ、眉間を押さえるようにして頭を抱えた。
 真面目に会話をしているつもりが知らぬ内に手足を絡め取られているような気持ちの悪さを感じる。
 しかし問題は。
 これではこの人物がこのまま戦場に出てしまうということ。
 いっそ強制的に降ろしてしまうか――いや、それに素直に従うようには思えない。
 だとすれば。
「本当に艇を降りるつもりはないんですね?」
「くどいわよ。私の自由を侵す権利なんて、聖騎士団にはないんじゃなくて?」
「……わかりました。そこまで言うのなら降りなくて結構です。
 だけれどさっきも言った通り、何かが起きる前に止めるつもりなので覚えておいてください」
「そうね、そうしてもらって構わないわ」
「では約1時間後に現地に着くので待機していてください」
「わかったわ。またね、可愛いお嬢さん」
 ヒラヒラと手を振るイノヘ返事はせず、は部屋を後にした。


「……ごめん、カイが気を利かせてくれたはずなのに」
「仕方ありません。我々で気を配ればいいことです」
 カイはそう言うが、戦力的にも戦術的にもそんな余裕はないはずだ。
 が口を開きかけると。
さん、貴女は市民の誘導を行う部隊に入ってもらいます」
 会話を無視するように告げられた言葉。
 決定事項だというようにはっきりと言われたその内容に、彼女の顔色が変わる。
「ただでさえ戦力不足なのにそれはおかしいだろ」
「いいえ。最も守らなければならない場所だからこそ、貴女の力が必要です。貴女とイノさんにはそこで防衛ラインを維持してもらいます」
「作戦の概要は聞いていた。物理攻撃隊と法支援隊が戦線を押し上げている間に市民を避難誘導するってこと。
 ……その戦線がある限りギアは防衛ラインにはこないだろ」
「……貴女は理解が早くてたまに困ります。
 ――そうです。この状況では戦線が維持される保証はできません。市民を守る為の最終ラインが貴女の配置される場所です」
 淡々と、そう告げられる。
 否応にもこれから向かう先が死地であると理解させられるようだった。
 カイは団長として決断したのだろう。
 仲間を市民の為の盾にすることを。
 それは部下に死ねと命じているようなもの――だがそれを下した彼の痛みを思うと、いくら非情な作戦だとしても非難できるはずもなかった。
「……みんなは、どこに?」
「攻撃部隊の8割を前線に置きます。第一大隊は我が聖騎士団の最大戦力を持つ一個部隊です。最前線を任されることになるでしょう」
「…………カイは?」
 戦力を前線に集中させ防ぐつもりならば、おそらく。
「前線で指揮を執ります」
「大将が前に出てどうすんだ」
「おそらく開戦後間もなく指揮系統も意味を為さなくなるでしょう。
 ならば戦線が見える位置にいた方が早く判断ができますので」
「そういうことじゃない。お前が倒れたら総崩れになるって言っているんだ」
「縁起でもないことを言いますね。聖騎士団はそう易々とは壊れませんよ」
 言いながら苦笑すら漏らすカイに対し、は更に声に怒気を含ませ言う。
「死ぬ気で、なんて考えているんなら今すぐ改めろ。生きようとしなきゃ生き残れないんだ」
「死ぬつもりは毛頭ありませんよ」
「でも守る為なら死んでもいいとは思っているだろ」
「……それが我々の役目であれば」
「馬鹿か。死んだらそこで終わりだ。生きていれば掴めるチャンスも、掴めなくなるんだぞ」
「自分の命を賭すことで救われる命があるならば悔いは残りません」
「……守る側はそれで納得して死ねるかもしれないけれどな、――残された人間は守られたことを一生忘れられずに生きてくんだ。
 自己満足で完結できると思ったら大間違いだ。
 守る覚悟があるなら――自分の命ごと、守ってみせろ」
 言い切り、真正面からカイを見据える。
 彼もへ向ける視線を真っ直ぐ逸らさない。
 お互い譲る気のない無言の応酬が数秒続き、だが先に折れたのは意外にもだった。
 溜め息をつくようにゆっくりと息を吐き出す。
「……は早く帰っておばちゃん特製の新作パンケーキを食べたいんだ」
「え?」
「いいか。生きて帰るんだ。そのつもりで戦え」
「……これではどちらが指揮官かわかりませんね。――ええ、もちろんです」
 今度は苦笑ではなく微笑みを浮かべ、カイは応えた。
 それを見とめ、ようやく自身も小さく笑顔を浮かべる。
 すると、おもむろにカイが机上に置かれたメダルへと手を伸ばした。
 はその行動に特に疑問を抱くこともせず、ただ何となく目で追った。
 だが。
 パチリ。
「――ということです。
 我が聖騎士団を導く運命の女神は命を賭した犠牲を良しとはしてくれません。
 我々は人類として最後まで戦い――生き残るべきです。
 市民も、そして騎士の諸君も、死んではなりません。生きる為の戦いに、我々は臨みます」
 途端、咆哮にも似た歓声が沸き起こる。
 扉越しに、壁越しに、四方から幾重にも重なり、飛空艇ごと空気を揺さぶるように響き渡る。
 その音の中心で、ひとり呆ける
 カイはぽかんとした彼女の様子をしてやったりという表情で見ている。
 彼の顔が悪戯を成功させた時の子供ようなものだということに気が付き、何が起こったか、いや、カイが何をしたかをは数秒遅れでようやく理解した。
「お前……っ!いつからだっ!?」
「そうですね、貴女が怒りはじめる少し前からです」
「それほとんど全部だよな!?計画的犯行か!」
「士気を高めることで生存率も確実に上がります。何か不満がありますか?」
「な……っ、――無いとしか言えないだろそれじゃあ!」
「ちなみに通信は既に切れていますので」
「くあー!お前のその顔すげー腹立つ!ガッデム!」
「いくら怒り心頭だとしてもスラングはいけませんよ」
「うるせえ1tクラスの氷の塊作ってぶつけんぞゴラァ!」
「それは私の生存率が著しく低下するのでやめてください」
 それでも納得がいかないのか、は頭を抱えながらあーとかうーとか悶えるように唸り続けている。
 その様子を机越しに眺め、カイは思わず笑みをこぼしてしまう。
 すぐ先の未来に死と隣り合わせの現実が待ち構えているのだとは分かっている。
 だが、今この瞬間の言葉にできない幸福感を、もう少しの間だけ……許される僅かな時間、噛み締めていたいと思う。
 彼女が指摘したあの言葉。
 守る為なら……、実際少し前までそういう考えを持っていた。
 しかし今は違う。
 生きる為の努力はしなければいけないと思うようになった。
 そして――
「私にも、生きて帰らないといけない理由がありますから」
 はっきりと言葉にし、目の前の少女を見つめる。
 その声音で意味を察したのか、はぴたりと動きを止めカイの方を見ないまま瞳を伏せた。
「わかってる。忘れてない」
「――貴女も、必ず帰ってきてください」
 カイのその言葉を聞き、はふっと笑う。
「誰かさんの騙し打ちで盛大に啖呵をきっちゃったからね。言いだしっぺが実行できなかったら格好悪いでしょ」
「約束してください。必ず帰ると」
「……ああ、みんなで、帰ろう」
 天井を見上げ、は呟くように言った。
 ――間もなく、飛空艇はローマ市街上空に差し掛かる――……