Fortune 50


 揺れる心。揺るがぬ決意。



「あの人は?」
「今はまだ眠っています。解毒処置はしましたが後遺症の可能性もあります」
「そう、か……」
 顎に指を当て考え込むに、救護班の団員は小さく微笑む。
「そう心配しないでください。可能性、とは言いましたが確率的にはほんの僅かですし、経過は良好ですよ」
「――ああ、そうだな。ありがとう」
 その言葉にも笑顔を返し、救護室の扉をちらりと見てから歩き出した。
 今は既に飛空艇の中、このまま本部に帰還するべく上空を航行中だ。
 彼の言葉に単純に安堵したわけではなかった。
 ただ、勘としか表現できないのだが、あの女性には気を配っておくべきだと自分の何かがざわついている。
 それこそ勘違いならいいが、と思いつつも楽に考えることはできずにいる。
「何だかねぇ……」
 ポツリと呟いてから、は司令官室の扉をくぐった。
「――補佐官も、どうぞ」
「え?ああ、ありがとう。いただきます」
 やや後ろ手に扉を閉め顔を上げると、そのすぐ傍に立っていた騎士に紅茶の注がれたカップを渡された。
 湯気とともに香りが立ち上ぼり鼻孔をくすぐる。
 立ったまま一口、二口と紅茶をすすっていると、何故かにこりと笑顔を向けられた。
「――それでは失礼します」
 彼のその様子に疑問を抱きながら横目で見送り、司令官の席に座るカイの方へ向き直った。
 どうやら町の被害状況や出現したギアの種別、その他必要なことを後のための記録としてまとめているところらしい。
 それを見てとってから目を逸らし、壁に背をあずけ寄り掛かる。
 あの騎士が立ち去ったことで、今この司令室には彼としかいなくなってしまった。
 沈黙が流れる。
 は気まずさを無視するように紅茶を口に含んだ。
「……今回の襲撃、貴女は何かを気にしていましたよね?」
 やや低められた声で問い掛けられ、は壁から背中を浮かしカップをソ―サ―に戻す。
「――ギアの進行経路だよ。何体か戦ったけれど、あれらの型だと移動速度はそれほどないはずだし、飛行型でもなかったから、経路はかなり絞りこまれるはずだ」
「ギアがどこから来たか……わかるということですか」
「おそらくね。ギアの発生源はどこかにあるはずだし、きっとそこには強力なギアが潜んでいると思う」
「……根拠はあるのですか?」
「ま―、ないね。現状からの推理と……後は、勘」
「勘、……ですか」
 呆けたように呟くカイを尻目に、ティ―カップを備え付けのロ―ボ―ドに無造作に置く。
「そ。だからこれは記録しないでよ。一個人の無責任な独り言なんだから」
「わかりました。では、個人的に、参考にさせてもらいます」
「……お前の立場で参考にするってのはパブリックと同義だろ」
「貴女の言うことは信用できますから」
 さらりと切り返され、は苦い薬を噛み砕いてしまったような顔になる。
 それを見てカイは苦笑を浮かべた。
「そういえばあの女性の状態はいかがでしたか?」
 話が変わり、は溜め息をついてから答える。
「重症ではないそうだから、今は目が覚めるのを待っているところだね」
「……生存者がいてくれたことが、せめてもの救いでした」
「カイが気に病むことじゃない。悔しいのはみんな同じだ」
「……――」
「え?」
「――何でもありません。
 行程は順調ですのでさんも休んでくださって結構ですよ」
 にこり、と有無を言わせないような笑顔を見せ言われる。
 カイの仕事はまだまだあるだろうに、補佐官という立場にいる自分に振り分けるでもなく、一人で処理しようとしている。
 今の自分達の状態を考えれば、この場からすぐに立ち去ることが正しい選択だろう。
 長いため息を吐き出す。
 お人好し、と賞金稼ぎ時代に鼻で笑われたことを思い出しつつ、は軽いとは言えない足取りでカイの傍まで歩み寄った。
「資料まとめてないところ、やるよ」
 ぶっきらぼうに片手を差し出して早口に言えば、カイは一瞬きょとりと目を見開いてから、目元を綻ばせた。
「ありがとうございます。
 ――では、これとこれとあとこれと」
「鬼か!」
「だってこれだけあるんですから」
「少しは遠慮しろ」
「部下が有能だと大変助かります」
「聞け。人の話を」
 だん、と受け取ったばかりの書類の束の山を直ぐ様突き返すように机の上に勢いよく置く。
 だがカイはさして気にする様子もなく既に書きかけの書類に目線を落としていた。
 やると言った手前本気で突き返すこともできず、は渋々腰掛け、作戦立案用の大きなテ―ブルに書類を広げはじめた。
 そしてふと、今の短時間だけ、以前のように自然体で会話していたことに後から気が付いて、小さな息苦しさを覚えた。
 きりきりと絞られるような胸の痛み。
 そんなものを感じていいわけがないのに。
 その不快感を振り払うように、は作業に集中することにした。
 書き写しては補足を加え、必要な箇所は修正して、1枚、また1枚と仕事を進めていく。
 しばらく真剣な表情で書類に視線を落とし黙々と書き仕事をこなしていたが、ふと、視線を感じて顔を上げた。
「……何?追加?」
 嫌味のようなセリフが口をついて出てしまい自己嫌悪するが、カイは短くいいえ、と答えて言葉を続けた。
「あの女性が大型ギアに関わっていると考えていますか?」
「……報告した通り、小隊が到着した時にはギアは既に絶命していた。
 そしてその傍であの女性が見付かった。……状況は不自然かもしれないね」
「何故隠すのか、ということですか?」
「いや。隠すくらいなら何で見付かるような所にいたんだろう、ってこと」
「発見時は衰弱して意識が無かったと聞きましたが」
「そうしたいみたいだったから」
「……そうですか」
「キリのいいところでまた様子を見てくるよ。
 面会謝絶にしているようだけれど、女同士なら部屋に入る理由くらいいくらでも用意できるし」
「出発前にも言いましたが、無茶なことはしなくていいですからね」
「『無理』しなくていい、じゃなかったっけ。心配しなくても極端なことはしないよ」
 今度はが苦笑した。
 カイは何かを考えるように口元へ手をやり、やがて深く息を吐き出した。
「分かりました。ただし、何か変化が起きた際は必ず報告して下さい」
「りょ―かい」
 軽い返事をし書類を片付けるべく再び集中し出す。
 ペンを走らせる中、そういえばあの女性の名前も聞いていなかったと思い当たった。
 まずは自己紹介からやり直すか、と書類を仕分けしながら思案する。
 一体何の目的であの女性は自分達を欺くようなことをするのか。
 分からないことだらけだから、今は考えるのは止そう。
 次に行った時目覚めてくれていればいいけれど、とは残りの書類の束に手を伸ばした。


「――あら、さっきの可愛いお嬢さん」
「良かった、目を覚ましていたんですね。体調はいかがですか?」
 問いかけながらは手近のスツ―ルを引き寄せて腰掛ける。
 女性は既にベッドから上半身を起き上がらせていた。
 そしては改めて名乗る。
「自己紹介が遅れたけれど、=といいます。お姉さんのお名前は?」
「私、イノっていうの。よろしくね」
「よろしくお願いします。
 ――で、そのイノさんに早速聞きたいことがあります。
 あの大型ギアを倒したのはイノさんだね?」
「あら、いきなり突っ込んでくるのねぇ。焦らしすぎも頂けないけれど」
「小細工は必要ないでしょ。貴女はそういう駆け引きが上手そうだから」
 優然と微笑むイノと名乗った女性に対し、も含みのある笑みを返す。
 するとイノは可笑しそうに声を立てて笑い出した。
「アハハハッ、腑抜けた野郎どもが多いと思ったらこんなお嬢ちゃんの方がよっぽど楽しめそうじゃないか」
 笑い声と共に纏う空気が一変する。
 ねっとりと、侮蔑と優越感の混じった彼女の顔を見つめ、だがは表情を変えなかった。
「――そう、だと言ったらどうなのかしら?」
 声音が戻り、しかし顔には凶悪さを浮かべたまま、イノは言う。
「別にどうも?まあ、聖騎士団に潜り込んだ理由は聞きたいけれど」
「このム―ドで素直に言うと思う?」
「教えてくれないならそれでいいです」
「……若いのに無欲なのね」
 興醒め、とばかりにイノが目を細めると、それをは笑顔で見上げた。
「――ただ、もしも自分本位な振る舞いでここの人たちを追い詰めるようなことをするつもりなら、全力で阻止します」
 言い終わりすっと体を離すと、イノはもう一度あの笑みを浮かべた。
「言うねぇ、まだ逝ったこともないようなガキが」
「知らないことが劣ることだとは思わないけれど」
「気概だけは一丁前か。その強がりがどこまでもつか試してやろうか?」
「ヤダよ。乱暴なのは趣味じゃないし」
「あら、遠慮することないのよ?気持ち良くして、あ、げ、る」
「……イノさんはそっちの趣味?」
「私はどっちでもイケるクチよ?」
 色を匂わせた声で言われてもには響きません。
 コロコロと口調と性格を変える彼女と続ける会話が不毛なものに感じられはじめた、その時。
『――!!――緊急警報!至急、各隊大隊長、小隊長はブリッジ、作戦会議室へ起こし下さい』
 がた、とは素早く立ち上がり扉へ向かう。
 そこで一度イノを振り返ると、ニヤニヤとした嫌な笑いを向けられ眉を顰めるが、そのまま無言で部屋を出た。
 そして扉の外で番をしていた騎士に早口で伝える。
「……中の被災者が部屋を出る時はかカイに連絡を下さい」
「かしこまりました」
 足早に狭い通路を駆け抜け、船の先端、作戦会議室に辿り着く。
 中には既に多くの隊長が集まっていた。
 異様な緊張感が漂う空間に突然踏み入ったせいか、途端に息苦しいような気分になる。
「……メガデス級と大型が大群で現れるなんて、過去にないぞ」
 ぽつ、と抑揚なく零されたせいか、はそばに立つ隊長格の騎士が発したその言葉をすぐには理解できなかった。
 そしてその意味を飲み込めた時、無意識にカイの姿を探した。
 視線の先、彼は団長としての顔で地図を見つめていた――その表情は、いつになく堅い。
 ――現地から入ったばかりの情報では、メガデス級3体に大型ギアが200体にも及ぶ軍勢で襲撃してきたとのことだった。
 数字にしてしまえば一言だが、追随しているであろう中型、小型クラスを加えれば言葉通り街を覆い尽くしてしまう程の規模になるはずだ。
 嵐の前の束の間の静けさだったのか、と誰かが呟く。
 聖戦が始まって以来最大規模の大戦になることは今分かっている情報だけでも必至だった。
 この場にいる騎士たちの間にもじわじわと緊張と怖れが拡がっていく。
「……部隊を編成し直します。
 第一、第二の物理攻撃隊はギアの侵攻阻止を、第三の物理攻撃隊と全法支援部隊はその間に市民の避難誘導を行います。
 戦闘班も第一目標は市民の避難です。各部隊長は臨機応変に対応して下さい」
「カイ様、本部から通信です」
「何と言っていますか」
「……待機して援軍の到着を待てと、上からの指示とのことです」
「上、ですか」
 すっと温度をなくしたような目で地図を見上げる。
「やるべきことは一つだろ」
 歩み出た姿に視線が集まるが、カイはそちらを向こうとしなかった。
 大勢の屈強な騎士たちの中でも気後れすることなく堂―と顔を上げ前を見据える少女の凛とした姿に、団員の多くが女神の名を思い浮かべるのも頷ける。
 だが、こういった事態で彼女が前に出ることは、カイにとっては喜ばしくなかった。
 そっと目を伏せる。
 だが、聖騎士団の団長として、彼女を使わないわけにはいかないのだ。
 意を決し、、そしてその後ろに並ぶ騎士たちに視線を向ける。
「――我ら聖騎士団は人類最後の希望です。ここで待機するという選択肢はあり得ません」
 その言葉に、目の前の少女は満足気に笑い、次いで周りからは歓声が上がった。
 眩しいほどのその笑顔に、しかし今は応えることはできなかった。
「……割に合わない戦いかもしれませんよ」
「やり甲斐あるだろ。――止めても出るからな」
 どうして、貴女は。
 カイの表情が歪んだことに気が付いたが先手を打つ。
 そう言い切られてしまっては、カイも彼女を止められなくなってしまう。
 どうにかして彼女を艇に残せないかと思考を巡らしたがいい策はなく、そもそもこうなってしまった彼女を説得することは不可能に近いと経験が訴えてくる。
 彼女も、戦場に行かせるしかないのか。
「団長がそんな顔するなよ。皆が不安になる」
 こそり、と一歩近くなった距離で囁かれる。
 低く小さなその声に苦笑が漏れそうになる。
 こんな時でも、は手厳しい。
 知れず口角が上がってしまい、それを見た彼女はどうやらそれを自嘲の笑みととったらしく眉を寄せて見上げてくる。
 貴女こそそんな顔をしないで欲しいと、我儘な願いが胸をつく。
「……必ず貴女の笑顔を守ります」
 それが彼女の望まないことだとしても。
「――これより当艦はロ―マへ向かいます!各隊降下予定時刻までに準備を完了してください!」
 貴女の笑顔があれば、戦える。
 誓いを胸に大戦の幕が開かれた。