Fortune 47


 行き場をなくし、道に迷う。



 翌日、刺すような寒気が飛空艇の発着場周辺を静かに包んでいた。
 太陽もしっかり顔を出しもうすぐ正午だという時間帯にも関わらず、空気が暖まる様子は一向にない。
 そんな冬独特の遠く澄んだ空の下、中型の飛空艇が飛び立つ為の準備を始めていた。
 その艇を中心に強まる風でコートをはためかせつつ、数メートル離れた場所にカイとが並んで立っていた。
 そして彼らに向かい合うように集まっているのは、言わば彼らを招集した側――国連所属の人物たちだった。
 年齢や服装、そして彼らのさらに後ろに控える人物が数人いることから、目の前に並ぶ面々がそれなりの地位にいる人物だと分かる。
 ははっきりとは覚えていなかったが、おそらく昨日の催しの際に挨拶した内の数人だろう、と判断する。
 その理由は、彼女にとっては社交辞令にしか聞こえない内容の会話をカイとその国連の人物たちが緩やかに交わしていたからだ。
 ――到着時に出迎えはなかったにも関わらず、この見送り。しかも複数。
 少しは聖騎士団の看板や噂に対して考えを改めてくれたということだろうか。善意的に捉えれば、だが。
 皮肉っぽく考えながら、は自分とカイが招集された理由を思い出す。
 は出てしまいそうになるあくびを噛み殺し、それに気付きちらと意識を寄越してきたカイから顔を逸らした。
 程なくして挨拶も終わり、最後にも礼儀程度に別れの言葉ともてなしに対する礼を述べる。
 先に荷は積んでいたので身軽なまま搭乗の為の階段へ向かう。
 前にいたカイが数段上がった状態で振り返り、手を差し出してきた。
 だがはそれを見上げることもせず、手すりに手を置いた。
 カイは何も言わず前に向き直り、先に上がっていく。
 離れていく後ろ姿に日の光が反射して眩しく感じ、口元でだけ自嘲した。
 離陸のアナウンスが流れ、そして飛び立った後もずっと、二人の視線が交わることはなかった。


「ようやく帰ってきたなおてんば娘!」
「……わたくしの不在の間は大変ご迷惑をお掛け致しました」
「――キモッ!!」
「……だよなぁ。よくこのキャラで三日も猫被れてたと思うよ」
 聖騎士団本部へ帰還し、これからすぐに会議だというカイと別れたは自室へ荷物を運ぶ途中で横手から声を掛けられた。
 好意的に迎えてくれているであろう彼の言葉に態とらしく恭しい礼をするとすぐさま盛大に突っ込まれた。
 ああ、本当に戻ってきたんだな。
「団長もそんなお前の横で笑いを堪えるのに必死だったんじゃないか?」
 他意など至極シンプルな性格のレックスに限ってあるわけがない。
 はいきなり出された彼の人の名に一瞬反応を遅らせつつ、「実際そんな感じだった」と笑って言えば彼も笑った。
「まあ、お前らも難儀なこったな。まだまだ子供の範疇だってのに色々背負わされてよ」
「カイと違ってはそうでもないよ。いつでも替わりを用意できるポジションだからな」
 はん、と肩を竦めて両の手の平を返しておどけた風を装うが、レックスに苦笑いを返され首を傾けた。
「……お前なぁ、お前にそんなこと言われたら泣くに泣けない奴だっているんだぞ?」
「え?」
「お前を信じて後を託してくれた奴らに失礼だ。
 これは年長として教えてやる」
 それは……
 それは、確かにそうだ。
 は何を自棄になったようにこんな言い方をしてしまったんだろう。
 前ならば、そんな無神経なこと、言わなかったのに。
 息を飲んで黙り込むに、レックスは怒るわけでもなく静かに言葉を掛ける。
「あっちで嫌味のいくつかは言われたりしたんだろう。その辺の想像はできる。
 だけどな、ここにいるのは団長を、お前を、尊敬して敬愛して信頼している奴ばっかりだ。
 それだけは、分かっていてくれ」
 そこには願いのような祈りのような響きがあり、ほんの少しだけ哀しさが含まれていた。
 失った誰かを思い出しているのかもしれない。
 彼の豪放さや明るさに失念していたが、彼だって戦争の被害者で傷を抱えているのだ、とは自分の浅慮に顔を歪めた。
 その様子に彼は困った顔で笑った。
「だけど何もお前らだけに全部を押し付けるつもりはない。その為に俺らがいるんだ」
 の表情がいくらかほぐれたのを見て、レックスは続けた。
「助けられて救われて、今度は俺らがお前らの為に力を尽くす。
 助けてもらったら、またこっちも助ける――仲間ってのはそういうループになってるんだ」
 ――ループ。
 その言葉には衝撃を受けた気がした。
 ループとは始点と終点が同じ、終わらない円環のことだ。
 どちらかが行動して、もう一方が行動し返して終わり、ということではないと、彼はそう言っているのだろうか。
 ギブアンドテイクの社会にいたにとっては新鮮な考え方だった。
 でもそれは、信頼関係があってはじめて成り立つものだと、図式を思い浮かべればすぐ解る。
 テイクの後に見返りの約束がないギブをして、でもテイクが自然と戻ってくると、それが延々と続くのだと、そういうことだとすれば。
「……仲間って、凄いね……」
 ぽつ、と。
 心からの賛辞として、呟いた。
 それにレックスは照れたように、だが嬉しそうな笑顔を見せた。
「俺の親父の受け売りだけどな。
 ああ、俺の親父は漁師でよ、命がけの仕事だったから仲間との連携が大切だっていうのが口癖でさ――」
 本当に温かいな、この場所は。人は。
 は自分の父親の話を恥ずかしそうにする青年を眺めながら、彼の言った言葉をぼんやりと頭の中で繰り返していた。
「――と、まあ、人生の先輩からのありがたーいお言葉はこれくらいにしておくとして。
 数日離れてたからって技は鈍ってないだろうなぁ?」
 にやり、と意地悪げにレックスが笑えば、も一瞬遅れて笑みを返した。
「ふっふっふー。随分なビッグマウスじゃないですかに負けた人」
「ははん。そんなものは既に過去の話さ。」
「ほっほーう。もう一度真正面からぶん投げられてお天道様を拝みたいと?」
「ふっ。ワルツを踊りこなす女神様にしては口が悪すぎるんじゃないか?」
「…………はぁ?」
 テンポよく軽口が続くかと思いきや、聞き間違いではない一言には思い切り顔を顰めた。
 彼女の機嫌が急降下したことに気が付かないレックスはニヤニヤとしながら言葉を続ける。
「向こうの知り合いがよ、警備で会場にいたらしいんだがお前、くく……っ、お前を見るの初めてだとかで興奮して連絡寄越してきやがったんだがこれがまた……本当に女神様だ―っつってよ。どんだけ化けたんだお前?」
「……へー……」
「ついでに団長とワルツまで披露したらしいな。
 あの人はあれだから納得できるがお前は……――って、ちょっと待て!?何でマジの殺気放ってんの!?」
「――すまないな、レックス。
 君の遺志はこの胸にしっかりと刻んでおくから安心して雲の上でお天道様を拝んでくれ」
「格好いいっぽくぶっ殺す宣言すんな!!俺が悪かったー!!!」
「心配するな。あそこはいいところだって礼拝堂でも教えてくれただろう?」
「怖い!!俺今メガデス級の前に一人でいるより怖い!!」
「逃げるな。の技が鈍るどころかキレッキレなことを体感させてあげようじゃないか」
「しまったー!!この後訓練だったー!!」
 みっともなく涙ながらに逃げ出そうとするレックスの襟首を文字通り引っ掴んで引き摺りながら、は荷物を抱えたまま訓練場へ向かって歩き出した。
 ――その後、レックスがマジ泣きするまで個別指導を繰り返したはにこりと彼に笑みを向け、優しい声音で何かを語りかけたらしいが、聞きとれた者はいなかった。


「……帰ってきてそうそう疲れた……」
 訓練後部屋に戻り、荷物を片し終えて腰を落ち着ける。
 ベルナルドさん辺りが気を利かせて用意してくれたのであろう氷で冷やされた水をグラスに注ぎ、一口含む。
 思ったより喉が渇いていたのか、そのままグラスの三分の二を一気に流し込んでしまった。
 この後お礼を言っておこう。
 残りを飲み干し、空になったグラスをテーブルに置く。
 そして先程の会話を思い出す。
 ……いくら人生の先達であろうと引き際を見測れないのでは馬鹿としか言いようがない。
 レックスに対しあまりにも酷い評価を下しつつ、は大きく息を吐きだした。
 しかしこれは彼への呆れではなく、彼女自身の安堵の溜め息だった。
 帰還してすぐカイは司令部に籠りきりになっているらしい、と訓練場で聞かされた。
 らしい、というのは、がカイから直接話を聞いていないからで、何故話を聞いていないかというと、帰還直後から彼のことを避けているからに他ならない。
 だからもちろん、彼が訓練に参加するかどうかも知らなかったから、不在と分かった時にはかなりほっとしてしまったのだ。
「子供かホント……」
 ぐてん、と脱いだ上着を床に散らばしたままベッドに仰向けに倒れこむ。
 やっぱりマットレスの質はあっちの方が格上だよなぁ、まあ、当たり前か……
 寝なれたはずの寝具だが、数日で上質の寝心地に体が慣れてしまったようで、硬く感じてしまう。
 現金なもんだ、と今度は短い溜め息を落とす。
「ループ、か……」
 お粗末な発言の多いレックスだが、先程の彼の言葉に衝撃を受けたのは事実だ。
 きっと、カイは彼らのああいう考えや思いに応えるよう、頑張っているんだろうと想像がついた。
 だから彼らに対してと同じように、のことも信頼してくれて、力になろうとしてくれている。
 でも、に彼に返せるものはないのだと気付いていた。
 今は共に戦うことがカイの為にもならなくは、ない……と思うけれど、彼が望むのはきっとその先だから。
 は客観的に見て足を引っ張る存在でしかないだろう。
 それなのに、
「望むべくもない、ってね……」
 だらりと投げ出したままだった左腕を持ち上げる。
 天上に向かって真っすぐ伸ばし、掌を広げる。
 じわじわと指先から体に向けて血液が降りてきて感覚が薄くなっていく。
 その手を握ってみるが掴めるものは何もなかった。