Fortune 44


 広がりはじめたそれは、追いやれないほどに。



「サーモンと新鮮野菜のマリネと海老とトマトのポタージュ、オリエンタルドレッシングのラディッシュサラダ、BLTサンドと卵サラダサンドは二皿ずつね。玉ねぎ抜きで。
 あと、 フレンチトーストのアイスクリーム添えと豆乳プリンパフェ、食前に生絞りオレンジジュースと食後にコロンビア下さい」
 訝りながら注文を確認するウェイトレスに疑問を感じつつ、はメニューをテーブルの上に伏せた。
 ひとりの朝食、しかも聖騎士団の食堂以外というシチュエーションは久し振りだなと店内を見渡す。
 今いる場所は国連本部に併設されている職員用のカフェテラス(という名の食堂)。
 年の瀬も近いというのに春のような陽気で天候も良い日だった為か、オープンカフェ形式になっている。
 白い、神殿の遺跡を思わせる外壁には長い年月の跡が見られ、庭園に植えられた常緑樹とのコントラストが遠くに望む青い山々を背景に美しい景観を作っている。
 は先に運ばれてきた潰れた果肉の浮かぶオレンジジュースを太めのストローで喉へ流し込んだ。
 うん、美味しい。
 そこでようやく今日初めて人心地ついた思いだった。
 遠くに山に向かって鳥の群れが飛んで行くのを眺めつつ、通信用のメダルを取り出す。
 不在着信なし。
 上司への状況報告を吹き込み、メッセージを飛ばす。
 パチリと蓋を閉じるとそれをテーブルの脇に置き、とん、と背もたれに上体を預けた。
 青空に薄く伸びる雲を見上げる。
 今は、一人の時間がありがたいように思えた。


「やあ、ミス 。ご機嫌麗しゅう」
 げ、と盛大に顔に出そうだったが全精力をもって表情筋を引き伸ばすことに成功した。
 現れたのはアルバート……事務次官、と呼ばれていたはず……だった。
 先日の歯に衣着せない失礼な物言いを、はもちろん忘れるはずもなかった。
 今日もまたくだらない噂の真偽も構わず喋り出すのだろうか、と先日とは違い事前に応戦準備をするにアルバートは突然、頭を下げた。
「まずは、先日のご無礼をお詫びさせて下さい。
 貴女を侮辱する言葉を発してしまったことは取り消せないが、どうか訂正させて欲しいのです」
 そして上体を起こし、居ずまいを正すと。
は大きな思い違いをしていたことに気付いたのです。
 貴女のことを知りもしない人間達の噂を真実と履き違えて認識していた。か弱い女性がギアなどという怪物のようなものたちと戦うなんて冗談だとしか考えられなかったのです。
 ところが、今回の事件での貴女の活躍を聞いて変わりました」
「はぁ……は?え?活躍?」
 自身の心情の変化をつらつらと語り出したので面倒臭げにそれを聞き流していたが、最後の一言のところで引っ掛かるものを感じ、はおうむ返しに言った。
 その様子に何故か気を良くしたようで、アルバートはにこりと微笑む。
「はは、ご謙遜を。
 お恥ずかしながら、この街にも黒い噂はごまんとあります。
 それに対し視察に出向かれた勤勉さ、すぐに異変を見付ける洞察力、それには時の運もありましょうが実力のうちと言われますからね。そして潜入する為に自らを囮とする勇気と潔さ。更には法力の深い知識を活用し、現場の様子から犯行グループの特定にまで協力できる知力と行動力。
 様々な面について、貴女は素晴らしい人材だと認めざるを得ない!」
 喋りながらヒートアップし続けついには声を張り上げ出す目の前の男性に対し、は先日とは別の意味で心が冷めていくのを感じていた。
 ああ、この人馬鹿かもしれない。
 言い換えれば、変わり身の早さと思い込みの激しさこそが政治家の必須スキルということなのかもしれない。
 率直過ぎる感想が結論に近い意味での脳内にこだました。
「ぜひ、今後ともその能力をいかんなく発揮し人類の為に我々と共に死力を尽くして下さい。
 ――はは、そう畏まらずに。
 ジェンダー問題も聖戦よりも長い歴史を持っていますが、貴女のような先駆者が現れてくれたことで社会も変わっていくでしょう。
 色々なことが期待されるかとは思いますが、より一層、邁進してくださいよ」
 はっはっは、と上機嫌に笑い、結局何をしにきたのか、アルバートはの肩をぽんとひとつ叩いてから庭に出て行った。
「……何だったんだ」
「誤解が解けた、ということにしておけばいいんじゃないですか?」
 !?
「そんなに驚かなくても……さっきから少し離れたところにいましたよ」
 勢いよく振り向けば、少し呆れた様子の顔。
 が吃驚しているのは彼が突然現れたからだけではないのだが、その理由は悟られたくなかったので、単純に突然の登場を驚いた風を装う。
「……はあ、見てたのか?」
「そうですね、あの方が頭を下げているところからなら」
「それほぼ全部だよ」
 最早恒例とも言えるやり取りを終え、改めて、は動悸を落ち着けるように深い溜め息を吐いた。
 何だ、案外いつも通りにできるじゃないか。
 そう思い、安堵しながら大きく息を吸う。
 すると、
「……体調はいかがですか?」
 聞くことをためらうようにカイが問い掛けてくる。
 それにはふっと笑みをこぼし、「問題ないよ」と返した。
 普段のおどけるような仕草を見てカイも安心したようだった。
「それと、事情聴取お疲れ様でした。早朝から補佐官を借りるとの一方的な連絡があって心配していたのですが、早めに終わってよかったです」
「まあね~、起きていたから良かったけれど、ご飯を食べる時間すらもらえないってどうよ?」
「ああ、それは大変でしたね……それで、この量……」
 テーブルに残されていた積み重なった皿を見てカイは苦笑いを浮かべる。
「一応、ここにきて訓練らしい訓練をしていないし、自主的に食事の量を控えてるからさ、それだけで我慢したんだ」
「………………そうですか」
 何か言いたげな間を含んだ彼の相槌には素で小首を傾げつつ、
「ところでメダルに伝言も入れておいたけれど、今後の予定はどうなりそう?」
「ああ、ちょうどそれを伝える為にさんを探していたんですよ」
 わざわざ?メダルに返信してくれればいいのに、と再度首を捻ると。
「明日の正午にここを発つことになりました」
「本当?やった!」
「そんなに喜ばないでください。一応人目があります」
 そう言われ、流石に気まずく感じたのか首をすぼめる。
 カイはくすりと笑うとテーブルにあった伝票を取り、会計へ向かおうとする、が。
「あ、ちょい待ち。これ使っていいって言われたんだ」
「これ?――職員用の清算カードですね」
「そ。最初に案内してくれた執事のおじさん覚えているだろ?
 あの人が貸してくれた。
 ー―一応、すごく食べますよ、って断ったんだけれどね。構わないって。
 寡黙で無愛想だけれどいい人だよ」
「そうですか……(自覚はあるのか……そして食べ物につられている……) 彼が卒倒しないか心配です」
「そう?最初に宣言したんだから大丈夫でしょ」
 ぴっとカイの手から伝票を抜き取ると、はカードと一緒にそれをレジの女性に差し出した。
 彼女はレジに落としていた視線を上げると、と、次に背後のカイを見て微かに目を見開き、頬に赤みをのせた。
 そのあとも、会計をしながらチラチラとこちらを見ていた。
 いや、正確にはの後ろを。
「ありがとうございました!」
 殊更明るい声音に少し気圧されるが、どうも、と明細とカードを受け取りその場を後にしようと踵を返す――が、「あの、」という呼びかけに立ち止まり、肩越しに振り返る。
 けれどそれは自分に向けられたものではなかった。
「またいらしてくださいね!」
「ええ、機会がありましたらまた」
 にこりと笑顔付きの返答をもらえたことが余程嬉しかったのか、よく見れば自分とさほど変わらない少女と呼べるくらいの年齢であろう彼女は、興奮を抑えるように指を胸の前で組み、はにかんでいた。
 は小さな溜め息一つ、背を向ける。
 背後からの、二度目のありがとうございましたという声を聞きながら、その場を後にした。
 カイと並んで歩き出して数秒、もやもやとしたものが食道のあたりをウロウロしているのを感じ、気持ち悪さを覚えた。
「……で、明日帰るとして、今日のこれからの予定は?」
 自分でも予想外に不機嫌さを含んだ声になってしまい、何でだよ、と余計にイライラとした。
「夜にまた会食がありますが、それまでは実質空き時間となります」
「へー、そうなの」
「実際は、準備の為の猶予時間ですね、貴女の場合は特に」
「……は?どういう意味だよ?」
 カイの言い回しに、今の機嫌も合間って嫌な予感しかせず、立ち止まる。
 そして本能的に一歩引く。
「こんな時勢に不謹慎な気がするのも甚だ否めませんが、ここはそれぞれの国家から代表を務める方々が集まる場でもありますので仕方のない一面もあります。
 ――いいですかさん――会食は舞踏会となるそうです。
 今回ばかりは逃げられませんよ」
 つい先刻のどこか面白くない気分などどうでも良くなった。
 兎に角、ここから脱出したい。
 は無慈悲な笑顔を向けてくる上司に無駄とは分かっていても視線で心情を訴えることしかできなかった。