Fortune 40


 自分で制御できない自分に、もやもやする。



 閑静な庭園に似つかわしくない元気なやり取りがその後も続き、結局夕刻を過ぎてからでないと空き時間が出来ないことに気付き、ならば外で食事をとろうということになった。
 今日の夕食は聖騎士団の支部で世話になる予定だったが、街の視察を兼ねて外で食事をするということを伝えたところ気持ち良く了承してくれた。
 それを伝えたのは多忙なカイではなくであったのだが、その対応に、食堂のおばちゃんという人種は何処でもいい人なのだと感動するように再確認していた。
 そのことを素直に伝えると、本部の料理長(曰くおばちゃん)よりも幾らか穏やかそうなその女性は嬉しそうに笑った。
 そしてここでもの『年長者に好かれる』というスキルは発揮された様子で、最早恒例とも言える餌付をされていたと後にその場に居合わせた駐屯団員からカイの耳に入ることになる。


 空の色が赤みを帯びてきた頃。
 カイは予定より早目に仕事を切り上げてきたとかでの準備が出来ていない内に彼女に宛がわれた部屋へと着いてしまっていた。
 少し早かったか、と引き返そうとしたところ、扉越しにどうぞーと間延びした声が聞こえたので足を止めた。
 数秒迷ってから、でもカイはドアノブに手をかける。
 そろりと扉を引くと、昼間とは違う普段着姿のがいた。
「……毎度思うのですが、結構薄着ですよね」
「ん?そうかな」
「夜になると冷え込みますよ」
「だーいじょぶ。賞金稼ぎの頃も平気だったし」
「本当丈夫ですよね。小さな頃は健康優良児だったんじゃないですか?」
「おい。あんまり褒めてないだろソレ」
「あ、そうなっちゃいます?」
「――!!どこで仕入れたその返し技!?」
 カイの放ったその台詞に、は過剰とも言える反応を示した。
 詰め寄られているような心地がしてしまうカイは、気まずそうに顔を逸らす。
「……秘密です」
「おいおいー今更照れるなよ。
 お笑いは心理と時と空間の“間”を掌握することで生まれる素晴らしい芸だぞ?」
 胸を張るべきだ!と熱弁しだすに、自分のうっかり発言を恥ずかしく思っていたカイもいつの間にか感心してしまっていた。
 数年前、訓練の合間に色々と小技を伝授してくれた尊敬すべき前任者に、彼は今までとは違った感謝をした。
 (どうして彼女が100年以上も昔の『お笑い』という文化を知っていたかという謎には触れないでおくことにした)
「……ところで、その恰好で行くつもりですか?」
「へ?何で?」
「少し、ラフすぎるかと」
「おいおい。どんな店行くつもりだよ」
「どんなって……普通にレストランへ……」
「あーパスパス。それじゃあ会食と変わらないじゃん」
 ぱたぱたと手を振るに、カイが訝る。
 はごく当然というように、
「視察が必要なのは――もっと外側の方だろう?」
 ほんの一年にも満たない以前まで、自身が慣れ親しんでいたあの雰囲気。
 裕福さはないものの、活力に満ちた人間の生きる場所。
「まあ、あんまりディープな雰囲気のところには近付かなきゃいいんだし。
 カイも、興味なくもないでしょ?」
 問われ、カイは逡巡する。
 確かにの言うことにも一理ある。
 正直治安の良くない区画へ行くことには気が引けるが、見ておく必要があるとは考えていた。
「そうですね。なら、今回はさん流にお任せしましょう」
「ふふふー、今日はカイに勝てている気がする」
「珍しく的を得ている内容が多いですからね」
「一言余計!」
 ずびし、と律儀に突っ込みのジェスチャーをしてからはコートを羽織った。
 彼女の着るコートは膝丈だが、そこから伸びる脚が薄手の布一枚というのがカイには心配のようだった。
「脚、冷やしちゃ駄目ですよ」
「へいへい。こう見えて結構温いから大丈夫だよ」
 まるで母親のように心配してくるカイに呆れたのか、の返答には心がこもっていなかった。
 それを咎めるような素振りはなかったが、カイはまだ少し納得がいかないような表情でいた。
 はそんなカイをとりあえず無視しておくことに決め、ぐるりと大判のマフラーを口元まで隠れるように巻いた。
 廊下を出て、ロビーに向かう。進むにつれ寒気が濃くなってくる。
 一層頑丈な扉を抜けると視界が開け、朱と藍の境目に一番星が顔を出していた。
 何という名前が付いているのかは知らないが、あれだけ明るい星ならば聞いたことくらいあるかもしれない。
 がそれを見上げている間、カイは門番に視察に出る旨を伝えてきたようだ。
「それでは行きましょうか」
「そだね。何食べる?」
「何がいいものでしょう。特産など、あるのでしょうか」
「聞いた話だとフランスと大差なさそうだね。食品は輸入が多いって言ってたし。
 とりあえず美味しいチーズとワインでもあれば……」
「いきなりお酒ですか」
「ワインはお酒でもないだろ。カイだって飲むでしょ?」
「少しくらいなら……」
「ん?あれ?もしかしてカイと飲んだことないか」
「ええ」
「そっか、うっかりしてた。前はソ……ーダ割とか飲んだけれど、あれじゃ薄いね。あれこそお酒じゃないよ、うん」
 つい彼の名前が口から半分零れてしまい、どうにか繕ったつもりだったが成功しただろうか。
 バレたらきっと、カイの機嫌が急降下すること間違いない。
 最悪にまで被害が来る。
 今更始末書は勘弁したい一心で、は自己最高の演技力を発揮していた。
「ソーダで、何を割ったんですか?」
「ああ、ウォッカだよ」
「本当にお酒が強いんですね」
「まあね~ほとんど酔ったことないし」
「未成年なのに」
「大丈夫。の故郷じゃ15歳で成人だったから」
「また屁理屈を……まったく、どれだけ強いんですか?」
「はて……限界までいったことないしなぁ」
 他愛もない内容を話しながら、見事だ自分、と内心ガッツポーズをするくらいやり切った思いがしていた。
 カイも会話自体を楽しんでいるように笑っているので、尚更安心してしまったのかもしれない。
「一晩で瓶を空にしてしまったりとか?」
「ああ、あるある」
「店員に吃驚されたりとか」
「そうそう。一応見た目は小娘だからさー」
「貴女にお酒を奢るはめになってしまったら大変ですね」
「あははー確かに」
「ソルも?」
「そうそう、げんなりして……」
 …………
 …………誘導尋問かよ。
「いつですか?」
「……」
「何回も?」
「…………1回だけだよ」
 美しい外観の街を通り過ぎ、建物も道も様子が変化してきた場所で二人は立ち止まった。
「いつですか?」
「……あいつがいなくなるちょっと前」
「……やっぱり」
 その落とされた一言が聞き捨てならず、は勢いよくカイへ振り向いた。
 カイの顔からは笑みが消えていた。
「見ていたんです。ちょうどあの夜、貴女とあいつが戻ってくるところを」
「……」
「執務室の明かりは消していて手元のランプだけでしたから、外からは分からなかったのかもしれませんね」
 そこでやっとカイの表情が動いた。
 笑ってこそいたが、それは見ているの眉根を寄せるような代物だった。
「その後、ソルの部屋に行ったでしょう?」
 がつん、と殴られてもいないのに衝撃を感じた。
 カイの執務室からはソルの部屋の窓は死角だ。
 ということは。
「……つけたのか」
 自分の口から漏れた声質が予想以上に非難めいたものだったことに驚くも、はそれを訂正する気はなかった。
「褒められたことではないのは分かっています。ですが」
「別にそれをとやかく言うつもりはない。規則を破った罰をくれるっていうんならちゃんと受ける」
 確かに見られていたことは驚きだし、カイがそこまで知っていることには正直今も動揺している。
 でも、がそれを責められる訳もなければけじめをつける必要もあるだろう。
 勘弁願いたいとは間違いなく本心だが、きちんと享受するくらいの分別はあるつもりだ。
 そう思って反論はしなかった。
 だけれど。
 次の言葉だけはどうしても我慢できなかった。
さん、あの夜ソルと何があったんですか?」
 凍りつく、というのは違う気がする。
 血が昇る、というのも当てはまらない。
 ただただ、真っ白になった。
 気が付いたらカイが横を向いていた。
 否。
 口端に血が滲んでいる。
 それが自分の右手のせいだと気付くのにしばらく時間が掛った。
 次に意識がはっきりした時には全力で走っていた。
 街を、外側に向かって、ひたすらに。
 後ろを振り返る余裕はなかった。
 ただそこから、彼から離れたい一心だった。


 しばらくして、感覚から切り離されていた聴覚が戻ってきた。
 自分の走る足音だけが暗い道にやけに木霊する。
 街灯が少なくなり、星明りの方が多いくらいになった頃、どこかの路地でようやく足を止めた。
 は無造作に道端に打ち捨てられている木箱に腰掛ける。
 みしり、と辺りに音が響いたようでびくりとしたが、潰れる様子はなさそうなのでもう一度体重をかける。
 ……肺が痛い。息を吸うのも吐くのも痛い。止めていても痛い。
 どうしろっちゅーねん、とノリの良いセルフ突っ込みを心の中だけで展開するが、どこか虚しかった。
 ややあって痛みが引いてきた後は、空っぽになった気がした。
 酸素が足りないのかな、と思いながらゆっくりと息を吸い込む。でも、気分は晴れそうになかった。
「ああ~何やってんだ……」
 腹をぶん殴った、とかそうじゃない。
 平手で頬を叩いてしまったのだ。精神的な重さが全く違う。
 後悔するなら初めからやるな、と普段の自分から突っ込まれそうだ。
 でも、無意識だった。初めも何もなかった。
 無意識で、カイを。
 ――また肺が痛んだ気がした。
 どうしてだ?
 あの質問だけは、耐えられなかった。
 勘繰られたことに腹を立てたのか?
 違うな、そうじゃない。
 カイに疑われたことが、そうか……悲しかったんだ。
「もう~……何でだよ……」
 両膝を抱え、冷えているそこへ顔を埋める。
 混乱で思考がぐちゃぐちゃになるのが酷く不快に思えてならなかった。