だから政治ってものが好きじゃないんだ
は。
「失礼。貴殿が聖騎士団長補佐官の
=
殿かな?」
国連に来て二日目の午後、異例の召集だとかで散々警戒していた割には何事も起こらず拍子抜けしていた
の元にスーツを着込んだ男が現われた。
服装は上等というよりは上質。表情も柔和。身のこなしも嫌味がない程度に上品だ。
世間一般的な見え方は、おそらく『感じのいいお役人』だろう。
天気がいいからと庭園を散策していたところに声を掛けられ、
は1秒足らずでそんな印象をもった。
「はい。何かご用でしょうか?」
出発前も到着後も某上司からしつこいくらいに釘を刺されたお陰で、普段ではまず使わない言葉遣いと笑顔だったが苦労なく作ることができた。
の前に突然その男が植え木の陰から姿を見せたような図式であったが、彼女は数秒前から気配に気付いていた。
なので正直素知らぬ振りをして避けることもできたのだが、性分だから仕方がないのか、
は逃げることはせずに応戦するかのように待ち構えていたのだった。
動じない彼女に逆に男性の方がやや驚いていた様子だが、それは
にはどうでもいいことだった。
お供も付いていないその男性としばし目を合わせる。
タイミングがいいのか悪いのか、彼女は今一人だった。
先程まで某上司ことカイと一緒にいたのだが、国連・聖騎士団本部間の指令系統やら勧告手順やらの見直しとかで現在会議中である。
その際カイも一応の用心と考えていたのだろう、同席した方がいいのでは、と促したのだが
は断っていた。
案外大丈夫そうだし、と軽く返事し見送ったのだが、本当の理由は眠そうな会議で本能に逆らえる自信がないという至極シンプルな理由だった。
本部内でなら兎も角、この場でそれをしたら洒落にならないということくらい想像できる。もちろんカイには言っていない。
そんなやりとりがあったのが、およそ30分前。
よくぞまあタイミングよく事が起こるものだと感心してしまう。
ともすれば呆れの表情が出てしまいそうになるのを堪えながら、
は気を取り直した。
男性の口が開く。
「いえ、用というほどのものでもないのですが。
――ああ、申し遅れました。私は安全保安局のアルバートという者です。
どうぞバートとお呼びください」
「ええ、よろしくお願い致しますアルバートさん」
若干の馴れ馴れしさを感じさせるその人に、
は敢えて丁寧に返した。
その意は、年長者を敬うような姿勢に見せながらのやんわりとした牽制。
それに対してアルバートは何かしら反応するだろうと思っていたのだが、特に変化はなかった。
人好きのする笑顔を浮かべたまま彼の台詞が続けられる。
「あちらを歩いていたらお姿が見えましてね。少しお話させていただいてもよろしいですかな?
もちろん長居はしませんから」
「ええ、勿論です。……
はそんなに面白いお話はできないかと思いますが」
「あはは、結構ですよ。私の方がきっとお喋りですから。
いやー、それにしても……想像と大分違う方でいらっしゃったのには正直驚きました」
「そうですか?」
想像、という言葉に反応するように
は聞き返す。
それに対して彼は愉快そうに答えた。
「ええそれはもう。私も役職柄聖騎士団の方々とはお会いする機会が多いですが、あの屈強な男性陣の中に貴女のような女性がいるところが想像できませんね。
今だって、その正装をドレスに変えてしまえば誰もあなたが聖騎士だなんて気が付きませんよ」
――げ、とドレスという単語に一瞬寒気を覚えたが、そこは寸でのところで声には出さずに済んだ。
ただ、しげしげと眺められていることには流石に眉を寄せたが。
「ああ失礼。じろじろ見過ぎてしまいましたね。御気分を害されたのでしたら謝罪します」
「……こんな小娘が戦場にいることがそんなに珍しいですか?」
一拍置いて
がそう尋ねると、アルバートが声を立てて笑った。
それの意味が分からずに(普段なら思いっきり怪訝顔をするが、ここは演技で)小首を傾げる。
のその様子に更に笑みを深くするが、彼女にしたら益々分からない。
「いや、とんだご無礼を……ふふ、私の部下の言っていた通りとても騎士には見えない可愛らしさだ」
「は?」
あまりの言われようについ素の声が出てしまったが、彼は気にしていない様子だ。
ひとしきり笑って満足したのか、軽く前かがみに折っていた腰を伸ばすように手を当て上半身を起こしうんうんと一人頷いていた。
大丈夫かこのおっさん……と30代前半ほどの容姿のおじさんという分類にはまだ少しばかり早いその人に対し、
は心の中呆れていた。
そこへ、次の台詞が飛び込んでくる。
「騎士達を鼓舞する為のシンボルとしてはいいのかもしれませんな」
庭園の池に葉が落ち、波紋が広がる。
ああ、季節は冬だがまだ葉が残っている木もあったのだなとぼんやり考える。
「神がかり的な完璧さと美貌を持つ団長、そして戦場に似つかわしくない可憐な女性騎士。
掲げられるものがこれだけ魅力的だとさぞや騎士たちの士気も上がるでしょう」
空気が急に冷たくなってきた。
煉瓦敷きの舗装の表面につむじ風のような小さな風の渦が生まれる。
「貴女方は例え戦わずとも戦場にいるだけで戦果を上げられる存在だ。
運命の女神という二つ名も騎士たちの間で生まれたそうですが、何とも理に適っている。
象徴とするものに相応しい、勝利を信じさせる響きですな」
風が冬の空気を震わせている。
コートの裾が静かに波打つ。
「どうぞご自身の身を大切にしてください。貴女は不可侵の存在でなければならないのですから。
――尤も、貴女が前線に立つことなどないでしょうが」
言葉が冷気に飲み込まれる。
目を閉じる間もなく、落ち葉が渦巻き――
「
さん、お待たせしました」
ぱしり、と仄かに発光していた左手が取られる。
それと同時に大気の振動が止んだ。
はらはらと落ちてくる葉を片手で遮りながら、カイはアルバートへと向き直る。
「ご無沙汰しております事務次官殿。
急な突風があったようですが、お怪我はありませんか?」
声を掛けられたアルバートは葉が鼻先を掠めたことで我に返ったようだ。
急にわざとらしく咳払いし、呆然としていたことを誤魔化すようにタイを締め直していた。
「ああ、この土地には珍しいので吃驚してしまったが問題はないよ。
団長殿もご健在で何よりだ。アンダーソン殿の後はしっかりと引き継いでいるようで心強い」
「私などまだまだ未熟者ですが、そう仰っていただけるのは光栄です」
君は相変わらず謙虚だな、と気分良さそうに笑うアルバートに相槌を打ちながらその様子を観察するが、今起きたことが自然現象などではなかったとは全く気が付いていないようだった。
それに軽く嘆息し、カイは鎮めるように抑えていた彼女の腕を目立たないようにそっと放した。
「この時期、晴れてはいても空気は冷たいものですね」
「ああ、土地柄周りの山から冷気が流れ込んでくるからね。
確かに今日も日差しの割に気温が低いようだ。私は先に失礼することにしよう。
君達も大事な体なんだから早い内に暖かい場所に移動したまえよ」
「お気遣いありがとうございます。では」
を促しさっさとその場を後にする。
アルバートも反対方向に歩き出し、足音が遠ざかっていく。
声が聞こえなくなる程度まで離れてから、カイは再び口を開いた。
「……落ち着きましたか?」
「……」
「……すみません、私が目を離したせいで」
「カイは悪くない」
「まさか正面からくるとは予想外でした」
「……は?どういうことだ?」
はそのセリフが引っ掛かり足を止めた。
周囲に誰もいないことを確認してから、カイはやや声を潜めて言った。
「実は
さんには話していない部分がありまして、というのも余計な問題の種を態々……」
「前置きはいいから。何」
「その……聖騎士団本部内では全くそんなことはないのですが、戦場に直接関与しない特に上層部では……運命の女神は聖騎士達の為のお飾りだと噂されているらしくて」
「ああ、そうだろうね。
今だってさも
は戦えないんだろうから危険はないでしょうけどーみたいなことを言われて頭に来てたとこだよ。ついでにカイのことも見くびってやがるし。
あー腹立つ。やっぱりあのままカマイタチのせいにでもしとけばよかったか?」
「……まあ、それもあるんですが」
「あ?まだ何かあんの?」
言い辛そうに言葉を濁すカイに
は今度こそ不機嫌になった。
その様が妙に怖かったのか、カイの肩がびくりと震えた。
他にもあるのならさっさと言え、とばかりに
が睨みを利かせていると、口元を引き結んでいたカイの表情が歪み斜め下に視線が逸らされた。
そして次第に朱が差していったのを見て、
は何かに思い当ったように目を見開いた。
先程のカイのセリフを反芻し、別の意味に気が付く。
次いで彼以上に顔を真っ赤にさせ拳を握り締めた。
「ちょ……っ、何でそうなる!?」
「私じゃないです!上が勝手に!」
「おま……お前も顔赤くしてんじゃねえよ!想像すんな!」
「そ、想像なんて……!」
「言ってる傍からうろたえるなー!!」
ごすっ、と決して軽くない衝撃音がカイの体に吸い込まれ、耐え切れなかったのか2・3歩不規則なステップを踏むように後ずさる。
その後よろよろと上げられた彼の顔は今度は青褪めていた。
「……こんなに重い拳を持っているというのにどうして上層部は……」
「言い残すことはそれだけか?」
「申し訳ございませんでした」
「素直でよろしい。ったく……」
カイは言った、運命の女神はお飾りだと。それも、『聖騎士達の為の』と。
それはつまり女である自分に聖騎士として以外の別の役割があるのではないかと、そう見られているということで。
……侮辱もいいところだ。
「さっきのおっさんもそういう目で見てきたってことか……気持ちワル……」
「……おそらく、今回貴女を呼び出した一番の理由は事の真偽を探ろうと……」
「あああ~言わんでいい!
……なあカイ――ギアの襲撃に見せかけてこの建物ぶっ潰してもいいかなぁ?」
「その気持は痛いほど分かりますし正直その怒りを止める必要もないとは思いますが、一応やめてください。仕事が増えますんで」
「……ちっ!」
「そんな盛大な舌打ち初めて聞きました」
「ええぇい怒りがおさまらない!外行って大技ぶっっっ放してくる!!」
「それは危ないので本気で止めてください。
……でもそうですね、少し気晴らしに街に行きましょうか」
ふと、カイの提案した内容に
の癇癪がその膨張を止めた。
ぱちくり、と不意をつかれたように大きく瞬きをする様子が妙に子供っぽい。
次いでにんまりと少しばかり癖のある笑みを浮かべ、人差し指を立てた。
「いいね。カイもようやく
の思考を読めるようになったね」
「もう一年近い付き合いですから」
「結構結構。いい心掛けだよキスク君」
「何の口真似ですか」
「さあ?きっとどっかの大学教授とかだよ」
肩を竦めおどけた素振りで言う
に、カイもつられて笑った。