少し懐かしみながら、気乗りしない舞台へと上がる。
国連は聖戦以前から変わらずの場所にある。
聖騎士団本部の位置するフランスから程近い立地であり、最新の小型飛行艇でなら2時間もあれば到着する。
しかし100年以上の戦いの歴史の中、その様相は昔よりも堅固なものへと様変わりしており、法術による結界が聖騎士団本部以上に厳重に張り巡らされている。
それは視覚的にも判るものであり、可視化した法力が薄らとした淡い光が循環するようにその建物を包み込んでいた。
更にこの国連という組織が聖騎士団を発足したということもあり、今や設立当初の理念を肥大化したかのように、実質として世界的リーダーとなっている。
もちろん施設近辺には聖騎士団員が常駐している。
世界各国に支部は存在するが、此処ほど本部から近い場所は他にない。
そのような一線を画す厳重さが、結果として人々を集めた――それこそ世界中から。
この時勢、安全と言い切れる場所などどこにもないが、それでも少しでも危険が及びにくいこの土地に移り住むことを望む人間は多かった。
そういった理由から周囲には集った人々の手によって開拓された街が波紋のように拡がっており、世界的に人口が著しく減少した昨今では珍しいほど大きな街となっていた。
そしてその規模に見合うだけの繁栄も見られた。
だがそれも、ある一部だけ。
皆が住みたがるならば当然の如く地価も上がり、嫌な言葉ではあるが、所謂階層社会が出来上がってしまっているだろうということは、想像に難くない。
街の中心部が際立って発達し、外に、危険が近い場所へ進むにつれ、建物の高さも人々の生活水準も、波が引くように低くなっていく。
その有様は比喩ではなくピラミッドそのものだ。
そう考えるとこの綺麗な街も見え方が変わってくる。
眼下に広がる街並みを見下ろしながら、
は何とも言い難い下らなさを覚えていた。
この世に存在しない一番のものは平等という言葉だろうと思う。
例え真に慈善的で裕福な者が貧困者に財産を分け与えようとも、その行為自体が既に強者と弱者という図式を生み出してしまう発端であるし、だからといって全ての人が同じ程度の生産性でいられることなどありはしないのだ。
弱肉強食、というとまるで強者が正しいような言い方だが、望んで弱い者などいはしない。
強くなりたくてもなれない者もいるのだと、あの綺麗な部分に住む人間の何割が解っているのだろうか。
……とは考えるが、こういった問題に正面から憤るほど正義感が強くもなければ世間知らずでもない。
それに、上しか知らない人種から弱者と括られている中にも力強く生きている人は実際多い。
賞金稼ぎとして街を点々としていた頃は、訪れたどの街の中でも下層と呼ばれる区域にいることが多かったから自然と多くのものを目にしてきたし、関わってきた。
その中で、何かを根本から変えなければ現状に大きな変化は起こせないと知った。
そしてそれが容易ではないことも。ましてや一賞金稼ぎの自分に出来ることなどたかが知れている。
例えその日のパンを得られても、明日の、一週間後の、一ヶ月後の保証は誰からも与えられない。
それがスラム等と呼ばれるような場所なのだ。
一日一日を精一杯生きて、生きていく為には自分たちで為すしかないと悟っているから、彼らは強い。
中には荒んだ人もいるけれど、悪いことばかりではない。
実際そんな空気が好きだったし、自分自身、正装に身を包んだ今もそこにいた頃と何ら変わらない。
窓ガラスに額を当て、その冷たさに目を細める。
高速飛行に耐え得るよう角が丸く設計された窓越しにプロペラが雲を吸い込んでいく様を見ながらふと、義賊、という言葉が頭をよぎり、旅の間に噂で聞いた空賊のことを思い出した。
賞金首ではあるがほとんどと言っていい程悪い噂を聞いた試しがなく、むしろその賊が現れた街では喜ばれていたとさえ耳にする。
会ったことはないけれど、妙に好感があるのは確かだ。眉唾に感じる部分もあるけれど。
最近はギルドの情報を検索している余裕もなかったからここ一ヵ月程の動きは分からないが、彼らはきっと捕まりなどはしないだろう。
朝日を受けながら降下しだした船の中で、
は小さく笑った。
「
さん、準備はできていますか?」
ややあって、控えめなノックと共にカイの声がした。
降下中の為照明の落とされた薄暗い室内に重たげな扉の開く音が低く響く。
「んー、準備って言っても荷物持つくらいだし」
「あと5分程度で空港に到着です。緊張しますか?」
「別にー。その分やる気も出てないけれど」
「……正直なのは時に美徳ではありませんよ」
「偽ってまで良く思われようとは思わんね……ふわあぁ……」
言い捨て欠伸する
にカイは苦笑を落としつつ、窓の外に視線を映した。
「早朝に出発したおかげで予定より早く着けましたね」
「だったらもうちょっとゆっくりでもよかったじゃんか……眠い」
「ここの澄んだ空気に当たれば目も覚めますよ」
「……そうかねぇ」
「え?」
「皆この国にはそういうイメージを持つし場所によっては本当だけれど、この都市は山に囲まれているからね、周りから色んなものが流れ込んできてるんだ……空気も他の物もそれこそ色々ね」
「そうなのですか?」
「じっちゃんが言っていたよ」
「ああ、ここはクリフ様の母国でもありましたね」
「そそ。要は見えた通りってわけでもないってことさ」
着陸したのか、一度大きめな揺れがありエンジン音が止まった。
は立ち上がってコートを着込み、座っていた椅子の足元に無造作に立て掛けておいたトランクを拾い上げた。
「でも見た目が綺麗なことには変わりはないからね。余裕があれば少し散策してみたいな」
来たことない街だしね、と
が言うと、カイはやや難しそうな顔をした。
「スケジュールが過密というわけではありませんが、任務の一環として赴いているわけですしそれはできないかと」
「えー、せっかく戦いじゃなく違う国に来たのに?」
「今回は我慢してください」
「むぅ……」
つまらないことだと不貞腐れつつ、
はカイの後について歩き出した。
その際さり気なく自分の荷物がカイの手に移ったことにやや遅れて気付き驚くが、楽が出来るのはいいことだとそのまま任せることにした。
手狭な通路を進み扉を抜けると、冷たい風が頬を撫でた。
カン、カン、と階段を降りてゆき、後2段のところで先に降り立ったカイから片手が差し出される。
「……お手?」
「危ないですから。どうぞ」
「大丈夫だよ。普段もっと高いところから飛び降りたりしてるっしょ」
あはは、と笑われ手を押し退けられたカイの表情が少し複雑そうではあったが、
は構わずその2段を一歩で降りた。
地に足をつけた瞬間、周囲の気配や不自然さを探してしまうあたりは本当に職業病だと思う。
こっそりと小さい(安堵の)溜め息を付き、迎えの人物と言葉を交わしているカイを見やる。
すると、いいタイミングだったのかカイの向かいに立つその人と目が合ってしまった。
きょとんとしていると、ややあって彼の顔が驚いたものに変化した。
実は急な召集だった為に正装用のコートが仕立て上げられなかったので、私物のコートを羽織っていたのだが、もしかせずとも
が“そう”だとは思われなかったようだ。
……でも、それにしてもチラチラ見過ぎ。
「ではこちらへどうぞ。本部へはここから馬車で十数分ですので」
「ありがとうございます。行きますよ
さん」
「へーい」
「……
さん?」
「ハイカシコマリマシタ」
そうですか、ここから既に試練は始まっているということですか。
カイの威圧的な笑顔に気圧されて
はしぶしぶと彼らの後について行く。
一応ながら入国手続きを済ませゲートを潜ると、1台の豪奢な馬車が待ち構えていた。
「……うぇ」
「そこ。趣味が悪いとか言わないでください」
「何もそこまで言ってない言ってない」
重厚な屋根の下の扉が迎えの人物により開けられ、ひそひそ話をしていた口を閉じる。
が先に通され、次にカイが乗り込んだ。
迎えの人物は御者を兼任しているのだろう、こちらには乗らずに扉を閉めた。
程なくして馬の嘶きが聞こえ、馬車が走りだす。
馬車の中には二人だけ。
これ幸いと
は肩を落として背もたれに寄りかかる。
「……もう既に肩凝りそうだよ」
「しばらくの辛抱です」
「メンドくさ……」
「今日は昼食を兼ねた対談が予定されているとのことですので
さん、頼みますよ」
「はいはい」
軽い返事をする
に心配を感じてしまう。
普段、品が無いというわけではないがそれ程上品ではなくむしろどちらかというと粗雑な振る舞いしか見てはいないのだから尤もではあるのだが……
不規則に揺れる馬車の中、コートの袖口の毛玉を無心に取り続ける
を見やりながらカイは不安を覚えていた。
光の輪が大地と平行になるよう幾重にも重なり、中心部から波紋のように広がってはそれが規則的に弾け、舞い散る雪のように霧散していく。
遠方、飛行艇の発着場からではそこまで見えなかったのだが、薄らとしたドームの中にはそんな光景が広がっていた。
初めて聖騎士団本部を見た時も十分その荘厳さに驚いたが、これは別物だと感じた。
というより、聖騎士団本部よりも厳重な結界が張られていること自体が
には可笑しく思えた。
そんなにしてまで守るべきものなのかと、国連という組織にいい印象を持っていない為ほくそ笑まずにはいられない。
不穏な考えを巡らせている間に、不規則な揺れが止まった。
馬車から降りた後は奥まった一室に通され、あの御者も姿を消した。
少々お待ちを、とは言われたがこれでは完全に放置プレイだ。
入口でコートは預けてしまったので今は二人ともいつも通りの団服姿である。
質実剛健のような聖騎士団本部とはまるで違う装飾過多な内装に、この格好では不釣り合いにも程がある。
曲がりなりにも騎士であるからこれが正装であり、故に普段と変わらない(一応断わっておくと、戦場用とは区別はされている。返り血などが付いたままでは流石に不味い為だ)ことがこの場ではかえって目立つ気さえしてくる。
カイはソファには腰掛けずに暖炉の傍で装飾品を眺めている。
はそういったものにさほど興味もないので二人掛けのソファで寛ぐように座っていた。
薪の小さく爆ぜる音が眠気を誘うが、
はふと姿勢を正して立ち上がった。
人の気配が近付いてくる。
ゆっくり開けられた扉の向こうから人影が現れる。
「お忙しいとろようこそお越しを団長殿―――と、補佐官殿」
「お招きいただき光栄です」
先ほどとは違う、初老の男性だった。
これが元老院とやらかと一瞬考えたが、どうやら彼は執事のようなものらしい。
作り笑いを浮かべるカイに倣い、
も愛想程度に笑顔を向けた。
それを無表情に見返されたことに関しては一々文句を言うつもりはないが、多少むっとする。
「お待たせして申し訳御座いません。準備が整いましたのでご案内致します」
その後は無言だった。
向こうから話し掛けられる気配もなければこちらから振る話題も雰囲気もなかったからだ。
馬車然り先ほどの部屋の内装然りの絢爛な廊下を進み、行き着いたのは殊更豪華な扉。
食事前にこんなに吐き気がするのは初めてだ、と苦々しい表情をどうにか押し込める
を出迎えるように重々しい音を立てて扉が開かれた。
どっぷり、という表現が正しい夜に包まれた街を見下ろせる部屋に、
はいた。
場所は国連本部内に駐屯する聖騎士団支部の宿舎。
しばらくぽつぽつと灯りが消えていく様を眺め、大きな煙突のある家の光が消えたところでカーテンを引いた。
「お茶でも飲みませんか」
「ん、貰う」
「……昼間はお疲れ様です」
「おう。頑張っただろ
」
ティーソーサーごとカップを受け取り、
はソファの肘掛部分に浅く座った。
カイはテーブルを挟んでその向かいに、彼女とは違い正しい使用法で腰を落ち着ける。
体を斜めにしてこちらを向く
に、そんな不自然な体勢などせずに普通に腰掛ければいいものを……と思ったが、口には出さなかった。
「しかし意外でした」
「はん?」
「きちんとテーブルマナーもなっていましたし、どうして普段もそうしないんですか?」
「ヤだよー堅苦しい。あれは偶々昔ばっちゃんに教えられただけだもん」
事実、彼女の所作やマナーはカイから見てもしっかりとしたものであった。
付け焼刃のような迷いもなく、傍から見ても自然であるところが本物なのだろうと感じられた。
それはカイにとって危惧していた部分の一つへの嬉しい誤算だった。
言動も所作もある程度はフォローが効くが、ことテーブルマナーに関しては
自身にどうにかうまく潜り抜けてもらうしかないと考えていたからだ。
だから安堵したというのが本音である。
……彼女の言葉の“教えられた”という部分で若干顔色が青褪めたことには触れないでおくが。
「しかし、割と拍子抜けだね。嫌味とか言われるかと思った」
「貴女に破壊されずにあの石像も命拾いですね」
「んっんっんー?何なら今から壊しに行ってもいいけれど?」
「本気で止めてください」
昼食会場にあったどこぞの偉人の像を思い出し、
とカイは笑った。
あの時部屋に足を踏み入れた瞬間二人の目にその石像が飛び込んできて、“本当に石像があった”とつい顔を見合せてしまったものだから、その後しばらく笑いを堪えるのに必死だったという裏話もある。
「とりあえず第一関門突破かね」
「そうですね。このまま何事もなく終わればいいですが」
「何も起きないさ」
「油断は禁物です」
「お前も硬いよなー。少しは頭もほぐした方がいいぞ」
「性分ですから仕方ないです」
苦笑するカイをじっと見てから
は何かを考えた様子で立ち上がった。
カップをテーブルに置き、カイの後ろに立つ。
何事かとカイが不思議がって振り返ると、いきなり両手で側頭部を挟まれ前を向かされた。
「……何してるんですか?」
「頭のマッサージ」
「はあ……」
「お前頭皮を馬鹿にするなよ?頭も凝るんだからな」
彼女の行動は時に突拍子がなくて不可思議だ、と思いながらされるがままになる。
最初はむず痒かったのだが、段々と首から肩まで楽になったような気がしてきて自然と目を閉じた。
「意外と気持ちいいものですね」
「だろー?ハゲ防止にもなるしいいぞー」
「ハゲって……」
「うわー、カイがハゲたとこ想像できねー」
「しなくていいです。ハゲません」
「将来は分からないよ~」
にしし、と楽しそうに笑う
の声を耳にしながら、カイもつられるように口元に笑みを浮かべる。
その後も
が喋る度に相槌を打つことを繰り返していた。
そしてふと、返事が単調になってきたことに
が気付きそっと手を止めて顔を覗き込むと。
「……うっわ、子供みたいに寝ちゃってる」
静かな寝息を立ててソファに体を埋める様子が面白くて、まじまじと見てしまう。
普段、余りこういう隙を見せるようなことをカイは好まないので珍しいものが見られたと思う。
乱れた髪を整えるように撫でつけ、そのまま何度かそれに触れる。
何がどう違ってこいつはこんなに綺麗尽くしなのか分からないのだが、寝顔は可愛いものだ。
「これじゃ坊やって言われても仕方ないよなぁ」
「誰が坊やですか……」
ぱちり、と音を立てるように目を開いたカイに吃驚して
は飛び退く。
不意を突かれたせいか下がった拍子にテーブルに脚がぶつかり、派手な音を立ててトレイごと茶器が散乱する。
「あっちぃー!」
「何やってるんですか!」
それは咎めるというよりも心配の声で、熱湯が掛かったのではないかとすぐに
の手を取る。
「……と思ったらあんまり熱くないや」
「吃驚させないでください……」
「それ、そのままカイに返すよ」
幸い、掛かったのは団服だけで火傷の心配はないようだ。
だが。
「……紅茶ってシミになったら落ちにくいよね」
「替えの団服はありますか?」
「んなもんない。洗ってくる」
言ってそそくさと洗面所に向かう様子を見送ってから、カイは溜め息を付いた。
本当は、ずっと起きていた。ただあまりに心地良かったせいでいつも張りつめている神経が緩みぬるま湯に浸かっている気分になってしまったのだ。
そのまま夢見心地で彼女の手を引きたいくらいに。
いつになったらきちんと彼女に伝えられるのだろう。
きっとそれも、全てが終わってからなのだろうか。
壁越しに水の流れる音を聞きながら、カイは再び目を閉じた。