Fortune 37


 その静けさが、不安でもあって。



 満ちていた月が欠け、また満ち――ソルが消えたあの夜から、気付けば1ヵ月がとうに経っていた。
 その間、大きな討伐隊が編成されることはなかった。
 否、聖騎士団自体の出動がなかったのだ。
 ソルの脱走事件の前日、聖騎士団は遠征先でジャスティスに遭遇し、あれきりギア達は表立った行動を起こしていない。
 それが意味するところは何なのか、には分からない。
 だが、単純にギア側の戦力が衰退し始めたとは思えなかった。
 楽観主義を自他共に認める彼女だが、急激な戦線状況の変化には違和感を持たざるをえなかった。
 ギアは世界中に息を潜め、今この瞬間もきっとどこかで力を蓄えている。
 人類を滅ぼす為に。
 はぞっとしたような感覚を覚え、反射的に目を堅く瞑った。
 遠くに聞こえる潮騒が嫌な耳鳴りを消してくれるように念じながら柱に寄り掛かる。
 吐く息が重たく、自分のらしくなさにふと笑いが漏れる。
 どこが楽観主義だというのだろう、と自嘲し天を仰ぐ。
 強い月明かりは人を狂わすともいうが、波立った心を鎮めさせる効果もあると旅をしていた頃は思っていた。
 でもどうしても、もやが晴れない。
 それ程に、今のこの状態はにとって気持ちの悪いものでしかなかった。


「突然ですが、明日から数日国連に召集されることになりました」
「……ふうん?」
「興味なさ気ですね」
「いや、よく分からないだけ」
 ずぞぞ、と決して上品とは言えない音を立ててお茶をすする様子に、僅かだが非難するような視線がカイからへと送られた。
「……国連は聖騎士団を設立した機関です。平和と安全の確立を基本理念に人権の尊重をはじめ諸国間の友好、援助、調停その他諸々の問題を平和的手段によって且つ国際法の原則に従って実――」
「…………」
「……と他に国際協力もそうですし、その観点から我が聖騎士団が発足されたというわけです」
「うん分かった」
「返事の早さから言ってあまり分かっていませんね」
「うんその通り」
「……ある意味期待通りです」
「いやあどうもどうも」
「――というわけで、今回呼び出されたわけですが」
 二人が話しているのは昼食をとり終わった後、少しの休憩時間を利用してのことだった。
 埒が明かないと悟ったのだろう、カイは無理矢理話を戻した。
 それにが突っ込みを入れなかった理由は、彼女自身もその方向に持っていきたかったからに他ならない。
 (要するに難しい話を聞くつもりはない)
「おそらく内容は最近のギアの動向の件でしょう。
 そのことで国連内部で動きが起こるとは、上層部も大きな発表はできなくとも期待をしている、ということでしょうね」
「……能天気な感じでヤだなー」
「そう嫌な顔をしないでください。この長い戦争の終止符が見えてきたのかも、という内容なんですから」
「……は一時のことにしか思えないけれど」
 言ってしまってから、ははっと口元を押さえた。
 普通に考えれば喜ばしいことなのに、終わりを望む者として不適切な発言ではなかったか。
 カイだって期待を抱いているかもしれない。
 そんな状況をさも否定するかのような自分の発言にしまったと後悔した。
 そっとカイを見やる。
 しかし、予想に反してカイの表情に大きな変化はなかった。
「それは尤もです。楽観視しているのは戦場に降り立つことのない上層部だけです」
「……お?」
 しれっと言い放たれた内容に、は知らず竦めていた肩を戻した。
「誰もはっきりとは口に出しませんが、最近のギアの様子は異常です。この100年、1ヵ月以上も世界的にギアの襲撃がないことなど記録にありません。
 数字上で見れば人類側に分が傾いているようにも思えますが、敵はそんなに生温くはありませんよ。
 今回私達が出向くのは、そのあたりのことも報告する必要があるからです。
 只でさえ、戦力としてギアに劣る我々には油断できる隙などありません。
 たった一つ選択を誤ったが為に冷静な判断ができなくなったら、その時点で人類の勝利は絶望的になってしまいますから」
「……なるほどねぇ」
 戦いは、勝ったと思った一瞬が命取りになる。
 そんなこと、積み重ねられた歴史なり自分で経験することなりで理解できるはずなのに、油断したくはなくても甘い希望を抱いてしまう。
 その感情こそが人を前に進ませる原動力であると同時に進む方向を惑わせかねないものだからだ。
 今の状況でが懸念していることがまさにそれだった。
 だからこそ、カイの緊張感のある声にほっとした。
 少し頭を働かせていれば簡単に解っただろうに、自分よりも100倍は頭の良さそうな人間を心配する必要などなかったということだ。
 ひとりうんうんと納得するを横目に、しかし、カイは隠れて表情を暗くしていた。
 ……そうだ、ギアが姿を潜めたのはちょうどあの遠征の後。
 ジャスティスが現れた、あの。
 記録から見れば、そこが今の状況の引き金になったと誰もが疑わないだろう。
 だが現実にはその奥がある。
 ジャスティスの出現がターニングポイントであることは正しい。
 問題は、そこで何が起きたかということ。
 言い換えれば、何と出会ったか――である。
 その作戦記録に残されているのは、ジャスティスが聖騎士団の前に姿を現し、その直後からギアの活動が著しく沈静化している、という内容のみ。
 だが、実際遭遇したのは、たった二人の聖騎士のみだった。
 即ち、彼らの存在故に、ギアの王は退いたのだ。
 ――しかし誰もそれを重要視していない。意味を見出していない。
 カイを除いては。
「何故、か……」
「はい?」
 不意に漏れた言葉をきょとんとした顔で聞き返され、カイは咄嗟に笑顔で誤魔化した。
 少し、考え過ぎだろうか。
「いえ、何も。
 少し話は逸れましたが、そういうことですので準備をお願いしますね」
「んー?何か用意しておくものあるの?」
「まあ、一応公の場なので正装用の騎士服が必要にはなります」
「そうなんだ。で、何かデータとかは?情報通信部に貰ってこようか?」
「それはもう手配してあります。今日中には仕上がるでしょう」
「そっか流石だね。(あいつらいきなり仕事増えて大変だなぁ……)
 じゃあ後は……何かある?手土産にお茶菓子でもいるかい?」
「特に必要なものはありませんよ。ただ数日宿泊にはなると思いますので、その用意だけあれば」
「へ~、大変だな。何日くらい?」
「困ったことですが詳しく決まっていないようです。そう話すこともないとは思うのですが」
「御偉方の無計画は性質悪いね~。
 ま、こっちもその間問題起きないように気を付けるから安心して行ってきなよ」
 数日だけでもカイのお小言から解放されることを想像し、とは心の中でにやついた。
 表面上はにこやかにひらひらと片手を振る彼女を、カイは数秒じっと見てから深く溜め息を吐いた。
 その反応がまるで留守を任せるのが不安だ、と言っているようにでも感じたのか、はむっと眉を寄せる。
 続けて文句を言おうと口を開くが、カイの一言の方が一呼吸分早かった。
「……やっぱり、普通そうは思いませんよね」
「おいこら。そんなに信用ないのかは」
「え?」
「心外だ。カイがいなくたってサボったりしないし本部はきちんと守りますよ」
「いや、そういうことではないんです」
「……は?じゃあ、そんなに行くのが嫌なのか?」
 やや煮え切らないといった様子のは、カイの溜め息の意味が分からずにさらに首を傾げた。
 腕を組み怪訝そうにこちらを見てくる彼女に、カイは言い辛そうにこう告げた。
「実は今回の召集の対象、正しくは私ではなくさんなのです」
「ふうん……――はい??」
「名目上、団長並びに補佐官、とはなっていますが、明らかに向こうの関心の対象は貴女です」
 それを他人事のように聞き流しながら、はぽけっとした表情でカイを眺めていた。
「……そんなお偉いさんに怒られるようなことはしていないはずなんだけれど」
「どうしてそっちの方向に考えるんですか。
 ……いえ、そんな徒かも身に覚えでもあるのかと疑いたくなるような反応には今回に限り目を瞑るとして、――あちら曰く、戦況が佳境に入った昨今、その類い希なる統率力にて連なる騎士達の士気を高め勝利へと導くフォルトゥナと誉れ高い女性騎士を是非激励したい……とのことですが」
「お前の言い方が棒読みなのにも目を瞑ってやるよこんちくしょう。
 ……けれど、なぁ、何だよそれ」
さんが訝るのも尤もです」
「そうだよな。を褒めたいってんならそっちから来いっての」
「……」
「ん?」
「いえあの、私は『さんが呼ばれた』ことについて言っているのですが」
「……あー……っと?」
「そもそも、歴代において団長以外が召集されるなど異例もいいところです。元老院は聖騎士団をひとつの集団、個としてしか見ていませんから」
「……仮にも上司に酷い言い方だな」
「あちらもこちらを扱いにくく思っていますから。彼らが望むのは従順にて強固な沈黙の駒なんです」
「ふーん。で、そんな腐ったような奴らが個の中のひと欠片でしかないを呼んだのがおかしい、と」
「ええ。表向きの理由は激励となっていますが、実際は……」
「……あ、なるほど」
「……察してしまいましたか?」
 苦笑の表情を見せるカイに、も同じように笑った。
 要するに、女神だなんだと持て囃される人物が如何程のものか、知りたいのだろう。
 良くも悪くも、名前が通ってしまったことで彼らの興味を引いたのだと予想をつけた。
 おそらく向こうに伝わっている情報にも、尾ひれが付きまくっていることだろう。
 お役人の興味本位と暇潰しに付き合っている余裕も義理もははっきり言って無いし、あったとしても個人的に120%御免被りたいところだ。
「まったく面倒臭いね~」
「……私も断ろうとしたのですが」
「カイが気にすることじゃないよ。
 正直言うとも嫌だけれどさ、一応組織的にスポンサーでもあるんだから言うこと聞かないわけにはいかないっしょ。
 まあ、当日……何日かかかるかもしれないけれど兎に角、品定め的な扱いに耐えればいいんだろ?」
「……本来はさんが負うべき役回りではないのですが……」
「まあどうにかなるっしょ。異名が付いた時からある程度は想像していたし、舐められて喧嘩買っちゃった入団当時よりは丸くなったつもりだし。
 でも万が一あんまりうざったかったら柱の一本でも砕いて黙らせるけれどね」
「丸くなったんじゃないんですか」
 ふふん、と笑いながら拳を握りこむにカイが呆れたような疑問の目を向ける。
 それをものともしない様子では指を解いてぱたぱたと手を振った。
「直にそいつらを殴るって言わないだけ成長したと思わんかね?」
「出来ることならもう一声お願いしたいところですが」
「甘いな。一声じゃ柱から石像に変わるだけだよ」
「……たった?」
「ふん、建築強度、ひいては人的安全を脅かすところからそいつらの財産を砕くだけに昇格したんだぞ。
 大きな進歩じゃん」
「……できることなら穏便に」
「あっはっは。まさか本気ではやんないよ。そうマジになんなって」
「……はぁ」
「おいこら溜め息ついてんなよ」
 毎度のことながらの極端さに疲労感を覚えつつ、カイはもう一つ吐き出したかった溜め息をどうにかして飲み込んだ。
「……話は変わりますが、貴女の言ったとおり一応ながら上司です。出来るだけ口調も穏やかに頼みますよ」
「うえー色々注文が多いなー」
「常識さえ守っていただけたら十分ですから」
「……多分(カイの言う常識とのとじゃ違いがあるだろうけれど)大丈夫だよ」
「その長い間には敢えて突っ込みませんが、頼みますよ」
「んな2回も言わなくたって大丈夫さ」
「信用しますからね」
「くどいー」
「ちなみに準備もあるでしょうから午後以降の予定は全てカットしていいですよ」
「お、ラッキー。じゃあ荷造りするわ」
「夕食後に打ち合わせをしておきたいので適当な時間に団長室へ来てくださいね」
「了解~」
 訓練の予定が消えたのが嬉しいのかうきうきとした様子で自室に向かうの背中を見送ってから、カイもその場を後にした。
 留守にする間の引き継ぎで午後一杯が潰れてしまうな、と歩きながらこの後の仕事の段取りを考えやや憂鬱な気分になってしまう。
 だが、そう何日もあちらに留まっているわけではないのだから必要最低限でいい。
 あちらには不測の事態に即時対応できるように装備も整えていくつもりであるし、もし長引きそうになるならば適当な理由をこじつけて早々に引き揚げればいいのだ。
 難しいことはないはずだ。
 ただ、自分が彼女の傍を離れなければ問題はない。
 ゆるゆると頭を振り、カイは書類を抱え直した。