Fortune 36


 いつか返せる日がちゃんと来ると思っているよ。



 回廊を進む、この足取りが重くぎこちない風に感じるのは……五日も閉じこもりっぱなしだったせいだろう。
 だが理由がそれだけではないことくらい、自分のことだから分かる。
 分かる、が――正直、よく分からない。
 この矛盾の原因は……ついさっきのことがそうなのだが、あれは自分の素直な言葉だったはずだ。なのに、カイへ言った「ありがとう」が、もやもやと自分の中にすっきりせずに居残ってくれている。
 あの時、咄嗟におちゃらけた態度をとって部屋から出たが、何てことはない、妙な居た堪れなさに晒されたから逃げ出しただけなのだ。
 散々ソルのせいで悩まされて、結論を出して、ここに残って、カイにその理由を話して、そうしたら、彼は力になってくれると言った。
 それに感謝を伝えて、考えたところでおかしなところはひとつもないのに、どうしてこんなに落ち着かないのだろう。
 ああ、何か自分が変だ。
 はぐるぐる回る思考の渦に疲れ、ふう、と息を短く吐き出し肩を下げた。
 こんな調子を狂わせたままではいかんいかん、と被りを振る。
 今日、第1大隊は第3大隊――法支援部隊との合同実践訓練だ。
 彼女の所属する近接戦闘部隊である第1大隊をバックアップすることが役割であるこの部隊とは特に息の合った連係が必要となる為、こういった合同訓練は多い。中でも実戦形式の演習では、射程距離と効果範囲、号令のタイミングと散開・発動の綿密な打ち合わせが行われる。
 もちろん、目標であるギアがこちらの予測通り動くわけもないので机上の討論は不要であり、必要なのはお互いの癖やポテンシャルを知り尽くすことである。そして一瞬の意思疎通で仕掛けられるよう、味方の動向に気を配ることのできる一種の空間把握能力のようなものも重要視される。
 要は、大事なのはマニュアルではなく応用力・適応力ということだ。
 これが、組織で、集団で戦うということ。
 個人が好き勝手に動いていいわけではない……と、改めて学び、数ヵ月前までの自分がいかに周囲を振り回していたかを理解して、頭を抱えたくなる思いだった。(実際解った時は頭を抱えてその場で蹲りひとり凹んでいた)
 こういうことを考えるようになれたのは、きっと聖騎士団に入ったおかげだな、とは思う。
 ひとりで旅をしていたあの頃の自分ままでは、きっと知らずじまいだったろう。
 道すがら思い出すように思考を繋げていると、ふとポケットの中身のものが指先に触れた。
 ジャラリ、と音を立てるそれを取り出し、眼の前にぶら下げるようにして掲げる。
 重量感のある厳つい造りだが、細部には繊細な彫刻が施されており、変な派手さのない細身の鎖の先端には、中心に薄藍の水晶が嵌めこまれた3cm四方程度のおそらく金属で出来ているキューブが頑丈に取り付けられていた。
 造りからいってアクセサリーのようでもあるが、それにしては何所につけたらいいものなのか見当がつかない。はて。
「何なんだろ、これ」
 あの日、背中越しに投げ渡されたそれを、は小さな窓から差し込む日の光に透かして見せたり、ゆらゆら揺らしたりといろんな方法でいじってみた。
 だが、未だに何なのかが分らない。
 寄越した彼自身、使用方法については何も触れなかった。
「『貸す』って、それだけだったしなぁ……」


 彼の片手が気だるげに肩口まで挙がる。
 そして、煌く何かがこちらに放り投げられた。
 『……そいつを貸してやる』
 『え?ソル――?』
 『あばよ』
 言うことは言ったとばかりに彼の後ろ姿はきれいさっぱりと宵闇へ溶け消えた。
 ぽつりと一人佇むの両手の中には――


「……まあ、返せってことだろうけれど……」
 だったらこれが何なのかくらい教えて行けっての、とは不満げに口を尖らせる。
 大体あいつは口数が少ないどころか言葉が足りないんだよ……とか何とか愚痴を呟いていると。
「よお、不良娘」
 それを遮断するかのように横手から無遠慮にかけられた言葉に、は半眼になって振り向く。
 そこにはやたらと楽しそうに笑顔を浮かべているレックスの姿があった。
 彼のその表情を見てどうしてか殴りたいような衝動が生まれたが、そこはこちらが大人になって我慢する。
 その代わり。
「やあ、天然悪人顔」
 こちらも寸分の遠慮もなく言い放つ。
 すると少しは自分でも気にしているのだろうか、彼の口元が軽くひくついた。
「お前なぁ……ちょっぴり泣きそうになったぞ」
「そうか、泣きたいときは我慢せず泣いた方がいいよ?」
「……感動的な言葉のはずなのに滅茶苦茶イラつくのはどうしてだろうな……」
「で、何の用?」
「最近俺へのツッコミっつーか態度自体があからさまに冷たいよな……?」
 やや疲れた様子のレックスをお構いなしと言わんばかりに無視し、はつっけんどんに聞いた。
 それにレックスは深い溜め息をつくが、もちろんそれもさっぱりと流される。
 無反応を決め込むに観念したのか、彼はしょげていた姿勢を元に戻す。
「謹慎解消おめでとさん」
「どうも」
「で?何やらかしたんだよお前」
 そう逆に問われ、はじっと彼を見た。
 彼女のその視線を居心地悪く感じたのか、レックスが半歩下がる。
 そして、
「聞いてないの?……噂」
 がいつもよりやや低い抑揚のない声で言えば、レックスは首に手を当て頭を傾けた。
「まあ耳には入ってきてるわな。けどよ、そんなわけないだろ」
 何でもないように言われた言葉に、無意識にの眉が動いた。
 それを数秒瞬きせずに見返してから、彼は窓の外に視線をずらし、続けた。
「お前は奴には懐いていたみてえだが、そういうわけじゃないだろうし。少なくとも俺にはそういう風には見えなかった。
 大体よ、神器強奪者の片棒担いだ奴がたった五日の謹慎だけで済むはずがねえだろ」
 呆れさえ含む言い方に、そりゃあ尤もだ、とは苦笑する。
 冷静に考えれば、国宝級のあの武器を勝手に持ち逃げした奴の共犯者がいた場合、査問にかけられ相応の罰が下されるということは想像できるはずだ。それもその罰が、かなり重度だということも、予想がつく。
 それを踏まえると、レックスの見解は冷静且つ正しいものだと言える。
 そのことに軽い感動を覚えたは、ほう……と感嘆の息を漏らした。
「……意外に頭良かったんだね……」
「感動するところ違えし。
 そこは『そんな……のこと理解してくれていたんだ……』って返してくれよ」
「裏声出すなよ気持ち悪いなぁ」
「お前な……」
 言ってレックスはぺちんとの額を小突き、その拍子にキューブが彼女の手から転げ落ちそうになった。
 それを一瞬焦ったようにが拾い上げれば、彼女の掌に納まるそれを眺めていたレックスの眼に興味の色が映った。
「ふーん、お前どんなの聴くんだ?」
「は?」
「結構いいものみたいだな。
 どっちかっつーとアンティーク寄りだが……よく手入れされてるみたいだし」
「何の話だよ」
「何のって、そのプレイヤーのことだろ」
 プレイヤー……?
 その意味するところが分らず、は瞬きを数回繰り返し、手の中のそれをひっくり返したり振ってみたりした。
 その様子にレックスが呆れたのは言うまでもない。
「お前、それが何か知らないで持っていたのかよ」
「知らんけど……」
 まるで知らないのはおかしいというような言い方をされ、反射的にむっとする。
 だが良くも悪くも大らかなレックスは、それに対して悪びれた様子もなく、また気にする素振りも見せない。
「確かこの手のタイプだと……ああ、これだ」
 の手からそれを受け取り、レックスはキューブに嵌め込まれた水晶に触れて何やら操作し始めた。
 その一連の動作を、は数秒前の不機嫌も忘れて食い入るように見つめる。
 水晶部に微弱な法力を流し込んでいるようだ、と観察していて気付いた。
 この場に法力に詳しい人間がいれば、それがどういった属性のどんな波長のものなのかこと細かく説明してくれそうだが、自身はそんな能書きよりもフィーリング的な扱い方が知りたかった。
 するとレックスは何やら満足げに笑みを浮かべ、へとそれを手渡した。
 その数秒後。
「う、わ……!?」
「おーおー驚いてるな」
「何だこれ!?音が聞こえる!」
「こうやって法力を充填してやれば何度でも聴けるぜ」
「凄い!こんなの知らなかった!」
「まあ、今だと情報検索から通信、音声記録まで詰まった複合機が主流だからな。
 言っただろ?アンティーク寄りだって」
 素直に感動し喜ぶをやや遠巻きに眺めつつ、レックスは苦笑した。
 そしてふと笑みを引っ込める。
「それ、お前のじゃなかったのか?どうしたんだそれ?」
 それまでの流れから見て至極単純な問いかけであったが、は見えない場所で冷や汗をかいてしまった。
「うん、えーと、貰い物なんだけれど見た目が綺麗だったからアクセサリーかと思ってて、さ」
 よく聞くと問いの答えが半分しか含まれておらず、決して誤魔化し上手とは言えない内容であったが、レックスは別段気に留めた様子もないようだった。
 は彼が深く聞いてこないことに安堵しつつ、掌に乗るキューブがこれ以上詮索されないようにと大事に扱うふりをしてもう片方の手で覆い隠した。
「使い方は単純だから色々いじればわかるだろ。分からなかったら周りの奴に聞けばいいし」
「うん、そうする。ありがとな」
 短く礼を述べると、レックスはうんうんと満足気に頷いていた。
 そうやって素直でいりゃ可愛いのに……とか何とか聞こえた気もするが、突っ込むのも面倒だったのでそのまま放置してその場を後にした。
 手の中の小さな重みを握りしめ、少しだけ気持ちが軽くなったのを感じながら。


 太陽が今日一番高い位置まで昇る。
 流石というか何というか、人の噂の力というのは結構馬鹿にならない代物であると再認識させられた。
 自身、こうやって大人数の前に顔を出すのは謹慎後初めてであったのだが、その場に一歩踏み入れた瞬間の居心地の悪さは何とも言い難いものだった。
 一斉に注意が注がれたかと思えば、一秒も経たない間に不自然に皆視線を逸らしてくれる。
 気にしなければ気が付かない程度だが、多少過敏になっているせいか、今の状況をこの一瞬で正確に感じ取ってしまった。
 でも、気が付かないふりをして訓練場の脇でウォームアップを兼ねて法力を練成する。
 こうやって集中するのはいい。
 余計な雑念を振り払うことができるから。
 は自身の周りに立ち昇る気流を可視化するように細かな氷粒を生成し、風に舞わせるように操り、頭上まで持ち上げたところで制御を外す。
 自由落下を始めたそれらがきらきらと日の光に煌く様は我ながら綺麗なものだと、割合と気に入っている鍛錬法である。
 やや冷えた空気が降り注ぐ中、精神を研ぎ澄ますように静止状態で佇み精神の水面上の波を消す。
 構えは取らず、自然体で。
 空気の流れや周囲の人の動く気配に地面を踏みしめる音、武器が空気を切る音、呼吸のリズム、ざわざわとした雑音から情報だけを拾い集める。
 しばらくして気が済んだのか、彼女の周りから法力の磁場が消えた。
 それでもまだ、周囲からの視線というものは神経に障る。
 集中しきれていないということか、と自分の修行不足を感じてしまった。 
 ……まあ、自身の信用なんて元々そんなにあったわけじゃないかもしれないけれど。
 団長であるカイに申し訳ない状態になってしまっているのではないかと思うと……
「うーわー……やらかしちゃったかな、こりゃ」
「何がです?」
「……びっくりなんかしてないぞ」
「そう言いつつ1フィート程飛退いた気がしますが。
 で、何か失敗でも?」
 こいつ最近本当に突っ込みのレパートリーが増えたよな……とズレた感心をしつつ、は無意識にもう一歩下がった。
 先程のことがまだ頭の隅にちらついていることなど、カイには悟られたくなかった。
 気を取り直して一呼吸、聖騎士団団長へと敬礼をとった。
、謹慎令の解除を頂きました。これより部隊訓練への復帰を希望致します」
 普段とは全く違う態度を取ったことでカイは数瞬面喰った様子であったが、すぐに笑みを浮かべた。
「……いいでしょう、復帰を許可します。
 ですが今回の謹慎の理由は忘れてはいけませんよ。夜間の無断外出及び命令無視による単独行動……脱走者を一人で追ったせいで貴女自身が被害を受ける形になってしまったんですから」
 穏やかながらはっきりと、皆の集まる前でそう彼女に告げる。
 ――なるほど、そういうことか。
 先程カイの口から直接、無断外出と点呼不応答、そしてそれによる要らない噂のことは聞いた。
 だからこそ、一度ここでしっかり締めなければ、と考えての行動だったのだが、(自分のもやもや隠しの為だけではない、と弁明しておく)……カイはどうやら違う思惑がある様子だ。
 は真剣に拝聴する表情を作る裏側で、カイの計らいに感謝した。
 彼も諭す素振りを見せつつ、にだけ分かるように眼で合図する。
 ――要するに、カイは態と皆の前で再度の処罰対象を言い上げ、が加担者ではないこと、噂が虚偽であることを公然としてくれたわけだ。しかも、ひとつの嘘もなく。
 夜間の無断外出……は確かであるし、命令無視というのは点呼不応答。単独行動もしていたし、それはソルを追ったからだった。被害というのも、ある意味今の状態が被害である。ちなみにこの点についても嘘はない。何故なら、今、カイは一言も「事件当時がソルに被害を受けた」などとは言っていないからである。
 これならば、聞いた人間のほとんどが、「彼女は脱走者を追う為命令を待たずに単独行動し、被害を受けた」と受け取るだろう。
 ちなみにソルが全面的に悪者扱いとなっていることには目を瞑ることにする。
 そんなことを考えながら、はほとほと彼の頭の回転の速さに驚かされる思いだった。
 そしてその気遣いにも。もう何度助けられたことか。
「ご配慮に感謝致します」
 そう、素直な気持ちで言った言葉だった。
 が。
「今後の活躍も期待しますよ
 ――貴女の場合、無理無茶無謀が過ぎますが」
 ……ん?
「ご期待に添えるよう、より一層精進致します。
 ――戦場で危険を顧みず陣頭指揮をとる団長様に言われたくないけどな」
 そうだよ、無茶する上司に無茶するなだなんて言われたくないよ。
「数日のブランクがありますが、その心掛けがあればすぐに取り戻せるでしょう。
 ――だったら貴女も考えなしの特攻を控えるようにしてください」
「はい。ありがとうございます。
 ――ふーん、自分で否定しないってことは認めるんだね。認めるんだな?」
「認めていますよ。ですが私は引き際を弁えています」
「ほほーう。なら何か?が考えなしだと?」
「だからさっきもそう言ったじゃないですか」
 ………………
「しまった……っ!!」
 がくり、と絵に描いたように地べたに両手をつく。
 カイとの掛け合いで未だかつてない敗北感を味わい、は地面にそのまま沈んでしまいそうな勢いで落ち込んでいた。
 何てことだ……挑発に乗せられた挙句カイに突っ込みで負けるだなんて……!
 両の眼を見開いたまま地面を凝視しており、どうやら本気でショックを受けているようだ。
 まさに、照明効果とともに効果音がつかんばかりである。
 そんな情けないような間抜けな姿を遠巻きに眺めていた団員らは、「ああ、こいつ今までと何も変わらねえな……」と事件以来流れていた噂が本当なわけないと納得せざるを得なかった。
 まさかこんな馬鹿な子(失礼)が加担者なわけがない、と。
 ――実はここにもカイの誘導がもう一つ存在していたという事実を後日この時の団員らの心情と共に知ったは、少々どころか大いに苦い顔をしたとか何とか。