Fortune 32


 の、望むもの。



 作戦の翌日というのは皆疲労の残る顔をしている。
 カイもまた常よりも幾分目元に険しさが浮かんでいた。
 その様子は周囲と同様に見えるが、それが疲れのせいだけではないと知るのは彼自身だけであった。
 彼の表情に影を落とす理由は昨日のの様子に他ならない。
 彼女はあの時何があったのかを自分に話してくれた。
 だが、それが全てだったとは思えない。まだ何かがある気がしている。
 のソルへのあの態度は怒り以上に困惑の色が強かったからだ。
 不可解なソルの行動には理由があるのだろうと彼女も考えているようだ。
 悶々と暗い気持ちが胸に広がり気分の悪さに余計苛々が募る。
 について自分が知らずソルが知ること……そして、が明かしてくれない部分。
『なぁ、もしもが――――』
 そう言いかけ焦った様子で誤魔化した昨日の彼女。
 その前も一度同じように何かを言おうとして止めたことがあった。
 そうだ、自分が気付かないわけない。
 両方ともどこか遠くを見ながらだった。ここではない何処か。ここにいる自分ではない誰かへの視線。
 その先に何が映るのかとっさに問い返そうとしたが、その前に何でもないと言う笑顔を向けられては黙るしかなかった。
 聞けば良かったと今更後悔の念が浮かぶ。だが、あの寂しさの垣間見える目が思い出され、もし彼女が言い繕うより早く自分の声を発せていたとしてもやはり自分は聞けなかっただろうと思った。
 カイは報告書をまとめる手を一旦止め、いつもより暗く感じる静かな室内を見回した。
 今日彼女は休養日なのだが、まったくタイミングが悪いと悔しい気持ちになる。
 会えば会ったで疑問に思っていることを切り出そうかどうしようかと迷うだろうが、姿が見えない不安に苛つき独りで考え過ぎてしまうよりは遥かにましなはずだ。
 いっそのこと呼び出してしまうか……いやそれは職権乱用だ。第一彼女が安らげる数少ない時間をわざわざ奪うなど以ての外だ。
 カイの口から何度目か分からない溜め息が漏れる。
 窓の外の空には青さが冴え渡っているが、今のカイには少しも綺麗に思えなかった。


「……ちっ」
「聞こえるように舌打ちすんじゃねえよ」
 現れるなり盛大な悪態をつくにソルの冷静な言葉が返る。
 毎度お馴染の絶好の昼寝スポットに来たわけだが、そこにいた顔にの気分は急降下した。
 こんな天気のいい日はやっぱり――と、昨日のムカつきを振り払う為にも身も心も休ませようと思ったというのに、そこにこの苛々の元凶の男が陣取っていたのだから、でなくとも舌打ちのひとつはしたくなるであろう。
 だが引き返すのも癪だったので十分に距離をとった場所には乱暴に腰を下ろした。
 言外に「お前のせいで機嫌が悪いんだっつの。邪魔だ消えろ」と訴えている態度だが、ソルは素知らぬ顔で新しい煙草に火を点けていた。
 居座る気満々である。
 その態度には更に苛々を強くした。
 こいつ分かってやってんじゃないかと血圧が高くなったが、こいつのことだ、十中八九分かっていてなお、であろうと思い直す。
 神経を逆撫でる能力に特化しそれを理解している上で平気でやるのがソルという男だとこの半年では学んでいた。
 だが、分かっていても苛つくものは苛つく。
 はもう一度舌打ちをして険悪な顔のまま木の幹に寄りかかった。
 まったく、こんな天気のいい日にどうして気分を悪くされなくちゃならないんだ、と理不尽に近い怒りが額の奥辺りで渦巻いた。
 潮の香りを吸い込み、そういえばこれにも随分慣れたなと思う。
 聖騎士団に入った当初はこの海の匂いを珍しがっていたが、半年……いやもっとか、それくらいの月日を過ごす内にはもう生活を取り巻くもののひとつになっていた。
 抱えていた足を伸ばせばその上に木漏れ日が独特の影を作り出す。
 夏の強い日差しも薄れてきたのだろうか、そよそよ揺れながら形を変えるそれを眺め、少しだけ心が落ち着きだした。
 ――だが、横から煙が流れてきては台無しである。
「……煙い」
「なら別の場所行け」
「何でが。そっちがどっか行ってよ」
「面倒くせえ」
「じゃあ煙草吸うな」
「注文の多いガキだな」
「そうさせてるのはあんただろ」
 けっとまたまた悪態をつき、消える気配のない煙草の火を睨みつける。
 煙は嫌だが今更退くのはもっと嫌だった。完璧な意地である。
 は煙とそこに居る奴の存在を全力で無視をすることにした。
 海を眺めながら閑な陽光に精神を溶け込ませようと努める。
 煙なんかない。ないったらない。
 強制的にそう思い込む様子は悟りを開こうとしているかのようだった。
 ……そういえば食堂のおばちゃんがマフィンを作ってくれるって言っていたな。おばちゃんの作るものは何でも美味しいからなぁ。どんなの作ってくれるんだろう。楽しみだな。後で厨房を覗いてみようか。そうだ、今度何かお礼しよう。いつもご飯作ってくれるしさり気なくおまけしてくれるし、たまにお菓子も用意してくれるし色々世話焼いて貰ってるし。何がいいかな……いつ見に行こうかな……
「……今晩、」
 晩?夜に行ったって酒くらいしか買うもんないだろ。おばちゃんはお酒は飲まないらしいぞ。
「ここを出る」
 そうそうここを――
 がばりっ
 一瞬遅れて言われた言葉を理解する。
 は幹から背を浮かせたその姿勢のまま、困惑の目をぎこちない動きでソルに注いだ。
「探し物は見付かった。もうここにいる必要はねぇ」
 淡々と告げるソルの口の動きを追うのがには精一杯で、飲み込んだ言葉は頭の中を通り過ぎていった。
 数瞬して動き出した頭で言葉を追いかけて拾い集め、更にたっぷり10秒経ってからやっと口を開くことができた。
「……神器、見付けたんだ」
「……ああ」
「それを持って、今夜出ていくんだね?」
「ああそうだ」
「……」
「――で、」
 ―――お前はどうする?
 その一言には睫毛を震わせ目を伏せた。
「ちょっと待……」
「十分待ったつもりだ」
 そして黙り込むにソルは言う。
「聞き方を変えるか。
 お前はどうしたいんだ?何を望む?」
 ソルの厳しい視線から逃れるように瞑られていた目が、ゆっくりと開かれる。
 目の前に広がるのはさらさらと太陽の光が反射する水面。
 その眩しさが目に染みるようだ。
 昔、このどこまでも続く海の更に向こうまで見てやろうと、肩車をしてもらって一所懸命背伸びをして目を細めた……なんてことがあった気がする。
「……は……」
 の望み、の願いは……
「……は、
        知りたい」


 その夜、聖騎士団本部にギアの襲撃とは異なる緊張感を湛えた警報音が鳴り響いた――