知りたいよ、でも。
……ジャスティスは、
の過去に関する何かを知っている様子だった。
『失われた力』だと、
を見てはっきりと言った。
それはどういう意味だろう。
何故ジャスティスが知っていたのだろう。
何をジャスティスは知っていたのだろう。
何かが分かりかけて、阻まれた。
そうだ、あれはどう考えても、邪魔をした以外の何ものでもない。
「どうしてだよ……」
自分の力が周囲と比較するまでもなく強いということは自覚している。
その強さをおかしいとも感じている。
力の在り方が奇異だと分かっている。
だから知りたがった。
自分が何者か、そんな当たり前なことが不鮮明で……もし
が周りと何ら変わりなかったのなら、過去を気にはしても町を飛び出すなんてことまではしなかったはずだ。何故なら
が暮らしていたあの町で得た新しい記憶たちは幸せなものだったのだから。
育ててもらった居心地のいい町を出て世界を見て回ろうとした本当の理由は、ただ自分のことを知りたかったからなのだ。
そうだ、最初はそんな思いから始めた旅だった。
だけれどそもそも記憶という手掛かりがない状態だったから、探してやると意気込んだものの進展があるはずもなくて。
焦りが生まれるかと思いきや、旅というものが思いのほか楽しくて。
目新しい世界を次々と見て、飛び出した時の熱意みたいなものも薄くなっていって。
段々と、強く固執しなくなっていった。
最近は、見付かったらいいなという程度になっていた。
だからのらりくらりと気ままに賞金を得ながら旅をしていたし、成り行きに任せて聖騎士団に入ってみたりもした。
けれど、いざ手掛りが目の前に現れた途端、自分の奥底から何かが沸き起こったのが分かった。
薄れたのではなかった。無意識に諦めようとしていたと知った。
呼び起こされた思いの強さに自分でも驚きながら、手を伸ばそうとして、遮られた。
するりと姿を眩ました初めての手掛かりを、呆然と眺めるしかできなかった。
「……ジャスティス、か……」
はぽつりとその存在の名を口にした。
人の気配のない半壊した町で寒々とした風に当たり、頭に昇っていた血がやっと体の方へ戻ってきた気がする。
はこの戦争の最終目標と対峙した――ことになるんだよな。
思い出せば汗が滲み出てくるくらい、凄まじいプレッシャーだった。
聖戦を終わらせるためにはアレを倒さなければならない。
あのギアの統率者を倒すことが、この100年にも及ぶ聖戦の目的であり聖騎士団の使命……
……なのに。
『因果ナモノダ』
はアレを敵として以上に、手掛かりとして重要視している。
無意識に溜め息をつき、
は足を止めた。
疲れたからではなく、よく知る気配が背後に現れたからだ。
「――
さん」
「……さっきはごめん」
気遣わしげにかけられた声に
は先程の自分の態度を反省し、謝罪を小さく口にした。
当たりたくないと言いながらもう既に当たってしまっていたなと思い、溜め息が出る。
しかしこちらから突き放しておきながら、カイならきっと追って来るだろうと予想していたというのだから、
は少しどころか大いに傲慢なのかもしれない。
しょんぼりとした
の後ろ姿からは先刻感じた棘は消えていて、カイはほっとしたように瞼を伏せる。
「気にしないでください」
「……カイって人を甘やかしすぎだよ」
溜め息混じりの台詞にカイの顔は今度こそ笑みになる。
「
さんはもう少し甘えていいと思いますよ」
そう、もう少し甘えてくれていい、むしろ甘えて欲しいのに彼女は些か強情過ぎる――もちろん、そういう強いところも惹かれた理由のひとつだけれど。
一方、そんなことを思われていると知らない
はもう一つ重たい息を吐いてから、星が顔を出し始めた薄闇の空を見上げていた。
あの朱色は地平線の向こうに隠れてしまった後のようで、明るさが急速に失われ始めている。
「……甘え方なんてもう覚えてないよ」
寂しげに言われた言葉にカイは何かを思ったようで。
背を向けたままこちらを向かない
の正面にそっと回りこんだ。
「……何が、ありました?」
訊く、というよりも彼女には問い掛ける方が良いのだといつしか気付いた。
そうしないと彼女は言葉を上手く躱して本音を聞かせてくれないのだと。
言ってから下を向かれ黙られてしまうかと心配したが、予想は外れ彼女の視線は真っ直ぐとカイへ向けられていた。
カイを見返し困ったように小さく笑いながら、少しだけ伏せ目がちに言葉を綴った。
「……ジャスティスに会ったよ……怖いもんだな」
ふぅー、と
は息を吐き肩を大袈裟に下げ首を傾げてみせる。
「カイは会ったことある?」
「ええ、何度か」
「……ギアを恐れよ、って聖騎士団で散々聞かされた言葉、アレに会ってみてやっと実感した」
す、と一歩下がり、
は殊更明るい笑顔を向けてきた。
「
強いからさ」
冗談めかして言われた言葉にカイが呆れたように口を挟もうとすると。
「そう、強いんだ。みんなより。それが小さい頃から不思議だった」
は急に真摯な口調になり、カイは出しかけた言葉を飲み込んだ。
「気の力って少数だけどジャパニーズ以外も持っているじゃん?
だからまあ、どんな人種が持ってたっておかしくはないんだけどさ……最初カイも
にジャパニーズかって聞いた通り、
は見た目にはジャパニーズっぽさがあるんだよな。髪や眼は色付いてるけど。
もしかしたら消えた島国の血が混じってるかもしれない。でも、記憶がないから親のことも知らないし、ましてや人種なんか分かるわけない。
だから、さ――ちょっとしたことでもいいから知りたいと思って、旅を始めたんだ」
話す間、
はカイから少しだけ視線を外していた。
カイは黙ってそれを聞いていた。
「でもまあ、そんな漠然とした探し物だから簡単に見付かってはくれなかったしね……
それで段々『見付かりゃラッキー』くらいの気持ちになっていってさ。そんなに躍起にはなっていなかったんだ。
そんでふらふらしていたとき、カイに会ったわけだ。
焦って見付かるもんじゃないって分かったから、聖騎士団に行ってもいいかな~とか思って……――で、さっき……」
そこで
は苦しげに言葉を切った。
そしてひたりとカイを見つめる。
ぴんと張り詰める空気の中、二色の瞳が交差する。
「……アレに、何か手掛かりがあるみたいなんだよ」
困ったように笑いながら、
は一言ずつ区切るように言った。
「アレは『失われた力』って言った。確かに
に向けて……
……ふぅ……何だか話がでかくなってきちゃったなぁ……初めて見付けた手掛かりが因りにも因ってあんな大物だって言うんだからなぁ。
まったく、これも聖騎士団に入ったお陰か?んにしてもドッキリかよこんなの……ただ記憶探ししていただけなのにさ、参っちゃうね」
自嘲気味におどけた口調でしゃべる様子が余計に彼女の混乱を表しているかのようだ。
カイは彼女にかける言葉を探すが見付けられず、無意識に差し出しかけた手が所在無さげに体の前を彷徨っている。
その様子がおかしかったのか、
はくすりと笑った。
「あーうん、そりゃカイもびっくりするよね」
「……そんな風に無理しないでください」
「無理?してないしてない。ただ時間が経つにつれて実感消えてきてるだけだよ」
――もっとも、もしかしたらただの現実逃避かもしれないけれど。
話す内容の重々しさを感じさせないくらい
が余りにも軽く笑うものだから、カイは余計に心配になってしまう。
彼女は何でもひとりで抱え込むきらいがあるから、また強がってしまっているのではないか……と。
「……カイがそんな顔すんなよ。大体、
がさっき荒れていたのはあの特大馬鹿のせいだから」
カイの心配を余所に
はなおも笑う。
そして台詞中のひとつの単語をやや強調して言った。
「さっきソルに掴みかかっていましたが、あれは……」
「……あーくそ、思い出すだけで腹が立つ……」
ぶつぶつと不穏な空気を滲み出しながら呟く
にどう声を掛けたものかと、カイは先刻とは違う理由で困惑する。
「
、やっぱりソルの考えがワケワカメだ」
「ワカメ……?」
「分け分かんないってこと。昔じっちゃんに教わった」
聞き慣れない言葉に疑問符を浮かべるカイに
は肩を竦め、逸れかけた話を仕切り直す。
「そう、じっちゃんだって
を拾う以前のことは知らないって言っていた……
今までだって、他にいなかった……やっと見つけた手掛かりなのに、ソルの奴邪魔しやがって」
ぐ、と眉間に皺を寄せ、
は低く唸った。
カイは聞いた話を頭の中で反芻しながら整理し、怪訝な顔を向けた。
「邪魔、ですか?何故そんなことを」
「はん、
が知るか」
なるほど、
の激昂の理由はこれだったのかとようやくカイは得心した。
自分が駆け付けた時には会話(
のお怒り)の途中であった為事態を把握し兼ねたが……そういうことだったのか。
気に掛かっていた疑問は一応解けた。
だが、新しい謎が生まれてしまった。
――何故、ソルは邪魔するような真似をしたのか。
黙ったまま二人はそれぞれ考えを巡らせていた。
は目を据わらせたまま、虚空を睨み付ける。
あれは、単なるタイミング的な偶然だったのか?
いや、いくら話し途中だったからといってあのジャスティスにそうそう隙が生まれる筈もない。
その時に攻撃を仕掛けたのはやはり不自然だ。
なら、どうして?
ジャスティスが語る何かを止めようとしたのか?
それはつまり、アレが言おうとした何かを
に聞かせないように――?
『――ついて来るか?』
『……今のお前には関係ねえ』
『来るならば話す、来ないのなら話す道理はねえ』
あの日からどうしても耳を離れてくれない言葉たち。
考え込むカイの横で、
はソルの口から聞かされた言葉を思い起こしていた。
……ソルと行けば、その何かを知ることが出来るのかもしれない。
そう思い、ちらりとカイを見る。
成り行きで出会って、言葉を交して、共に戦うようになって、年が近いから自然に一緒にいるようになって、会話も増えて、よく食堂で居会わせてそのまま隣で食事をとるなんてことも多くて、仲が良くなってこの地で日々を重ねる内に下らない喧嘩も本気の言い合いもしたし、みっともなく泣き言をぶちまけたこともあった。けれど、その度段々とお互いのことが分かってきて結局最後は笑い合えて、そんな風に損得抜きに付き合える人間っていうものに
は初めて会って、だから、結構信頼していたりもする。過酷な戦いの最中であってもその気配が近くに感じられれば不思議に安堵した。心強いとはこういうことだと教えてくれた。
いつの間にか、あって当たり前になっていた存在。
だから、彼を置いてこの地を去るなどまるで実感が沸いてこない。
……
は本当はどうしたいのだろう。
溜め息を落とせば急に酷い倦怠感が襲ってきて、脳味噌が考えることを拒絶しているなと冷静な部分で感じていた。
髪を払うふりをして停止しかけた頭を振る。
ソルもまた、
の過去に関する何かを知っているのでは、とあの時漠然とした感覚が頭の中を横切ったことも含め、いまいち訳のわからない彼の言動を整理してみると何かが繋がりそうではある。でもそう易々とは繋がってくれそうにはない。
……だというのに、どうしてか今すぐソルを問い質してやろうという気にはなれなかった。
あの面倒臭がりの男が態々邪魔をしてきたということが否応にもことの重大性を示唆していて、だから余程のことでもない限り彼から訊き出すことは不可能に近いだろうと思えたからだ。
――……どうするかなぁ。
「なぁ、もし
が……」
そこまで言い、はっとする。2度目の失態だ。
無意識に言葉が漏れ――その先に何を言おうとしていたのか。
「何ですか?」
「いや……何でもないよ」
何でもないと言うときほど何でもあるという法則を
はすっかり忘れて返事をしてしまったのたが、幸いカイに深く追求されるということはなく、ほっと胸を一撫でする。
は心配げに見つめてくる視線を躱すように薄暗くなった空を憂鬱な気持ちで振り仰いだ。