Fortune 29


 恐怖とは、こういうものだと。



『――第二小隊、掃討完了しました』
『第三小隊も同じく完了。住民の保護も間もなく完了します』
「ご苦労でした。各員点呼の後負傷者の手当てに回ってください」
『『了解』』
 ――ぱちん
「……思ったより規模が小さくて良かったです」
「そうだな。お陰でこっちに被害は少なかったし」
 メダルを閉じ顔を上げたカイの表情は険しさが幾分和らいでいて、作戦が無事に終りかけていることがにも伝わった。
 団長となったカイは指揮官として後方で各隊に的確な指示を飛ばし――等ということはなく、以前通り、最前線で道を切り開いていた。
 前団長のクリフも指揮だけでなく先陣として参加していたが、カイのように常に最前線にいたわけではない。
 カイのやり方には当初周囲の団員も驚き焦ったが、先頭に彼がいることは心強く、彼に続き、また彼を護ろうと以前にも増して士気が上がる結果となっていた。
 そしてもう一人、小さな体で果敢にギアに立ち向かいそして撃ち破る少女――の姿もまた、彼等を勇気付けた。
 とあることがきっかけで彼女はローマ神話の運命の女神に喩えられフォルトゥナの異名で表されることが定着していたが、団員達を導くように前へと進む姿はまさにそのもので、ジャンヌ・ダルクの再来とも囁かれていた。
 しかし当の本人はその名で呼ばれることが嫌なようで、直接そう呼ぶ者はいない。
 むしろそう呼ばせないよう意図的に自分のイメージを女神という単語から遠ざけようとしている節さえある。
 は散開した各部隊からの報告を受けるカイに近付き、
「皆が無事なのが一番~ってね」
「まだ気を抜くのは早いかもしれませんよ?」
「……そうやって脅かすなよな」
さんの反応がいいので、つい」
「最近以上に歯に衣着せなくなったよなカイ」
「そうですか?」
「ソウデスヨ」
 そうやってふざけ合っている様子は普通の少年少女と何ら変わりがなく、戦場という場所でなければ誰が彼等を人類の希望とまで言わしめる者達だと思うだろう。
 張り詰めていた筈の空気に穏やかさが生まれかけたその時。
『こちら第一小隊。応答願います』
 突然入った通信にカイは表情を引き締めた。もう団長の顔だ。
 こういう公私の使い分けをしっかり行っているのを見るとやっぱりカイって凄いよな、とは思う。
「どうしました?」
『ほぼ撤収を完了したのですが……』
 言い淀んだ様子にカイの眉がしかめられる。
『その……1名、戻ってきていない者がおりまして……』
 はっきりしない言い方に、とカイは同時に顔を見合わせた。
 予想は、恐らく二人とも同じ。
「ソル……ですね」
『はい』
「またですか。まったくアイツは……」
 カイが頭を押さえたのが見えない筈の向こう側の小隊長にも分かったのだろうな、と、無言になったカイの手の中のメダルを見つめては苦笑を浮かべた。
「カイ、が探してくるよ」
「いえ、さんが行く必要はありません。同じ小隊の者に……」
「手分けした方が早いって。何かあったらメダルに通信入れて!すぐ戻るから!」
さん!」
 言うなり駆け出し、背中にカイの制止の声が小さくなっていくのを聞きながらは僅かに顔を曇らせた。
「……いる……よな?」
 ぽつりと呟き頭に浮かぶのは『脱走』の2文字。
 出撃前、飛空艇に乗り込むときにもつい探してしまい、やや離れたところに彼を見つけた時にほっとしたのは嘘じゃない。
 ソルは神器を欲していた。だから作戦中に姿を消すことはないと思うのだが――もし、既にそれを手に入れていたら?――彼の性格上、無用となった場所に止まることはしないだろう。だからもしかしたら――……
 カイが止めようとするもは建物の角を曲がって姿を消してしまった。
 一瞬自分も後を追い掛けそうになったが、今はまだ作戦中だ。指揮官である自分が勝手な行動を取ることは許されない。
 そう自分に言い聞かせ、カイは伸ばしかけた腕から苦労して力を抜いた。
 しかし意識は彼女の走っていった方向を追っていて。
 の姿が見えなくなった場所を見つめていたら、漠然とした不安が襲ってきた。
 急な胸騒ぎに再び足が動いてしまうが、背後からの指示を仰ぐ声に身動きが取れなくなり、カイは後ろ髪が引かれる思いでひたすらの無事を祈った。



「……とは言ったものの、ソルは何処にいるんだか」
 はあ、と溜め息をつきつつも駆ける足は止まらない。
 飛び出てからもう数分、ソルの姿は見付かる様子を見せない。
 規模が小さいとは言っても街は街。ちょっと動き回って見付けられるほど都合よく話は進まない。
 ……帰ろっかな。
 さっきはもしいなくなっていたらと心配したが、何かもう面倒臭くなってしまった。
「こんなとき爆発音でもすれば居場所特定できるのになぁ」
 なんて物騒なことを口にすれば。
 ――どごおぉん…っ
 距離にして約500m。
「……しちゃったよ……ったく運がいいのか悪いのか」
 不服だとしても運命の女神だとか言われる自分だ、運が悪いわけないだろうとかどこか遠くに(下らない)思いを馳せつつ、は懐中からメダルを引っこ抜いた。
「えー、もしもーし団長さん応答願いますー」
さん、爆発音がしましたが大丈夫ですか?』
 のんびりとした風に話しかければ、メダル越しにノイズがかった声が返ってきた。
「んー平気。違う方向だよ」
『とすると……』
「ま、十中八九ソルでしょ。まだギアがいたのかな?兎に角加勢しに行ってくるよ」
『我々もすぐに向かいますので無茶はしないでくださいね
「お前そればっかだな」
『……心配してるんですよ
 少し拗ねたような声にの口から笑いが漏れる。
「はは、悪い悪い。それじゃあまたな」
 ちゃり、と鎖を揺らし服の中にメダルをしまいこむ。
「……いる……よな?」
 服の上からメダルを掴むように胸を押さえ、先ほどと同じ言葉を呟く。
 爆発音がした場所までもう少し。
 は祈るような思いで先を急いだ。


「……ちっ、他愛ねえ」
 切り刻まれた残骸には所々焼け跡があって。
 ソルは無骨な大剣を肩に担ぎ、首をこきりと鳴らした。
 彼の眼は既に目の前に横たわるものからは反らされ、何かに気付いたように視線だけをそちらに向けた。
「……はぁ~……」
「何間抜けな顔してやがる」
 近付く足音にそれがのものだとはソルには分かっていたので驚くことはなかった。
「……いや、ちょっと安心した」
「俺がやられるわけねぇだろ」
 しれっ、とソルは答えたが、は不満のようだ。
 彼女の安心したという理由を見抜けぬほどソルも馬鹿ではない。
 解っていて、とぼけたのだ。
「……皆の迷惑も考えたら?」
 しかしはそれを指摘することをせず、棘々しい言葉を吐いた。
 もちろんソルが怯むわけもなかったが。
「俺は俺のやりたいようにやってるだけだ」
「勝手だな」
「……俺の目的はここじゃねえからな」
 だから他を構っている余裕なんてない。
 唯我独尊にも聞こえる言葉を吐き遠くを見据える。
 彼の赤茶の目が自分に向けられないことに苛立ちのようなものも感じるが、それ以上にどうしてかざわざわとした恐れのような感覚が徐々にの心に広がった。
 ソルに対して――じゃ、ない――っ!?

 暗い憎悪。
 深い殺意。
 畏敬すら覚える絶対零度の威圧感――

 瞬間、体の全ての感覚が奪われたようには棒立ちの状態で空を見上げた。
 夕焼けの朱すら禍々しい色にしか見えない。
 その中心にいたのは――白い脅威――
「……あ……」
 あれが人類全ての恐怖、総てのギアの統率者であるジャスティスだと一目で理解し、の心臓が大きく跳ね、そして。
「――ソル……っ!?」
 異様な程の法力の増大を肌にびりびりと感じ、息を飲む。
 力の奔流に髪が波打つように逆立ち、何者の干渉も赦さない、溢れ出す凄まじい殺気は、ジャスティスにも引けを取らない。
 はソルに対し初めて異質な恐怖を抱いた。
 耳元に心臓がついたようにどくどくと脈打つ音が気持ち悪く響き、手足が麻痺したように動かない。
『……ホウ、オ前ハ……』
 耳障りな声質にはばっと上空を見上げた。
『何故ソンナトコロニイル?』
 これがジャスティスの声なのか。
 聞くだけでヤバさが伝わってくる。
 ―――ざっ
 踏み出した音には意識を半分そちらに向ける。
 そして彼の顔を見上げ、目を疑った。
 金色の瞳――
「ソ……」
 が反射的に名を呼ぶ前に、ソルは彼女の視界を遮るようにジャスティスに対峙した。
『クク、ソウイキリ立つナ』
 見下す視線を真っ向から弾き返す。
『……貴様、我ト闘ウツモリカ?勝機ハナイゾ』
「ごちゃごちゃうるせぇ」
 地を這うような低音は波のない水面のように静かで、それがかえって空恐ろしかった。
 いつもより何倍も大きく感じる背中を見つめ、は意識を保てるようにぐっと拳を握り込む。
 ――あれが、諸悪の根源――
 しかし、動きかけたをソルの腕が制止した。
 普段なら意地でも通るところだが、今はそれをさせてくれる気配がない。
 ……かばわれているのか、と理解し彼等との力の差を痛いほど突きつけられた気がする。
 ――が、納得はいかない。
「……ジャスティスッ!!」
 渾身の力を込めて叫ぶ。
 それにはソルも僅かだが驚いたようだ。
 前に出されたソルの腕を押し退きはできなかったが、だがそこから空に浮かぶジャスティスを思いきり睨み上げた。
 だが、それだけ。それだけしかできない。
 叫んで、二の句が繋げられなかった。
 だけれど、引き下がってなんかやらない。
 冷たくなった指先をくい込むほど握り込み、必死に笑いそうになる膝に力を入れ続けた。
『オ前ノ出ル幕デハナイ』
 ギン、と睨まれ――いや、アレにしてみたら流し目程度だろうがを凍りつかせるには十分な眼力だった。
 硬直したはソレの手が掲げられたことなどきっと視えていない。
 鋭利な棘のような指を生やした手が無造作に振られ、眼下の二人に閃光が放たれる。
 じゃっ!
 焼けるような溶けるような音がし、二人がいた場所は地面が大きく裂けていた。
 その音と腹部に感じる圧迫感とすぐ傍にある気配に、ふっと金縛りに近かったものが解けた。
 震える息を吐き出し、熱気を孕む外気を吸い込む。
「……うあ……あんなの喰らいたくないな」
「減らず口が叩けるくらいなら助ける必要はなかったか?」
「……いや、お陰でちょっと頭が冷えた」
 ソルの小脇に荷物よろしく抱えられているは数メートル離れた場所の痛々しい惨状を目にし苦笑いを浮かべた。
 そしてもうひとつのことにも安堵する。
 よかった、の知っているソルだ……目は金なままだけど。どうなってんだこれ。
 攻撃されたことで防衛本能が働きはやや平静を取り戻せた。
 もっとも、恐怖は全て払拭されたわけではないが。
『避ケタカ……マア其クライハ当然ダナ』
「お褒めに預かりどーも」
「お前は何もしてねえだろ」
 しゅたっと片手を上げて答えるにソルの冷静な一言が投げつけられる。
 おかしなことに今はそれに妙な安心感しか生まれない。
「――皆が来るまで持ち堪えなきゃな」
 ソルの腕から降り、はしっかりと地面を踏みしめそして意識を集中させた。
 すると、それに応えるようにして彼女を取り巻く静かな風が起こった。
 が扱う法力は一応は気という括りのものであるが、大気への干渉力を有するという変わり種である。
 その力が彼女を中心に僅かな高気圧帯を発生させていた。
 それを見、ジャスティスのそこだけ生物特有の瞳孔を持つ双眸が感慨深げに細められる。
 風が空気を切る音。
 それが砂塵を転がす音。
 ――数秒の静寂は一触即発の空気。
『……気ガ変ワッタ』
 息苦しい緊張感の中、無感情な音声が風に乗り届く。
「…………は??」
 調息しながら気を練っていたは数秒理解が遅れ、胡乱げな声を漏らす。
 そして見上げる先の脅威はその凶刃を下ろした。
『……我ハ退コウ』