Fortune 28


 飛び出した理由は、自分の目で、この世界を見たかったから。



 ひんやりとした空気の中、男は岩肌に手を添えながら進んでいた。いや、下っている、という方が正しいだろうか。
 光源も持たず、見えているのかどうか不思議であるが、彼には壁に生えるコケの毛並みまで視認できているようだった。
 時折ぴちゃん、とどこからか染み出た海水だか地下水だかが雫となり落ちる音が冷たく反響するが、彼は気にする素振りも見せず、ただ真っ直ぐに下へと意識を向けていた。
 そしてやがて下り続けていた足場が途切れ、壁に突き当たった。
 ――まさかこんなものがこの施設に隠されていようとは。
 確かにここは元は岩山で目に見える建造物はそれを囲うように付け足されていったに過ぎないらしい。
 だが……
「地下聖堂の更に下、なんてものがあるとはな」
 呟かれた低い音声は狭く暗いその空間に木霊するように響いた。


「神器……ですか?」
「うん、そう。もうひとつあるんでしょ?」
 けろり、と問いかけるにカイは怪訝な様子だ。
 訓練の合間の休憩中、は彼が団長就任時に下賜された神器、封雷剣をしげしげと見ながら言った。
「大体さ、こんなのこの建物の何処に置いてあったの?倉庫とか?」
 ――至宝である神器が倉庫に押し込められてたまるか。せめて金庫くらいは言って欲しい――等とカイが思っていると、は不意に彼から剣を掠め取った。
 そして徐に目の前にそれを掲げる。
「むぅ!」
「ちょ……っ!?」
 ――ばちんっ!!
「ぅわひゃぁ!?」
「危ない!」
 何を考えているのか、はカイの剣を両手で握りいきなり自身の法力を流し込んだのだ。
 そしてカイが止める間も無く力は弾け、の手の中で小さく爆発が起きたように剣が大きく跳ね上がった。
 カイが咄嗟に剣を掴み暴走しそうになる力を抑え込んだからよかったものの、放っておけば大惨事になるところである。
「何をしているんですか!」
 怒鳴りつけたいわけではないのに、彼女を心配したあまりかつい大声が出てしまう。
 そんなカイには呆けた表情で緩慢に小首を傾げた。
 そのあまりの緊張感のなさにカイは肩に入っていた力が音を立てるようにへなへなと抜けていくのを感じた。
 周りの団員らも、突然の音に吃驚した様子だったが何もないと分かるとそれぞれ自分の訓練に戻っていった。
「あれ……?カイがやってるように電撃飛ばしたかったんだけどなぁ……」
「……それは無茶です」
「何でさ」
「以前にも言ったでしょう、相性があると。
 さんは元々『気』という特殊な属性を使うのですから、雷系のこの武器を使おうとしても上手く発動はできませんよ」
「何だぁそうなのか……ちぇっ」
「そこ、よく分かりませんがいじけないでください」
 どうして電撃を飛ばしたがるのか、できないと分かって拗ねるのか、その理由はきっとカイには理解できない類である。
 彼女の独自性を十分承知している様子で、カイはそれ以上の突っ込みをしようとはしなかった。
 その代わり、ふと浮かんだ疑問を投げかけることにした。
「気……といえば」
「うん?」
さんは何故クリフ様から戦う術を学んだのです?」
 この時世、身を守る力はあるに越したことはない――だが、彼女の強さはその範疇を遥かに凌駕しているものだ。
 どういった経緯で、どういった理由があって今の彼女の強さは形作られたのか。
 実は前々から気にはなっていたこと。しかしきっかけがなくて今まで訊いたことがなかったのだ。
 何処か好奇心の強そうな表情にはむぅ、と乗り気でない顔をして抱えて座っていた膝を脚を投げ出すように伸ばした。
「……学んだっつーかむしろ叩き込まれた覚えしかないんだけどさ……」
 げっそりと青くなったを見て、元団長であるクリフに師事していた経験のあるカイにとっても人事とは思えずにそっと顔を反らした。
「笑ってスパルタですからね、クリフ様は……」
「おーよ。まあ周りがそんなんばっかりだったから慣れざるを得なかったんだけどね」
「周り?」
 の言う『周り』が何処の誰を指すのかが分からずカイはオウム返しに尋ねた。
「確か初めに言ったよな?
 、小さい頃じっちゃんに助けられてそのままばっちゃんのところで世話になってたって」
「ああ……そういえば」
 を聖騎士団本部に連れて来たあの日、団長室にて起こった予想外の再会劇にうっかり色々な感覚が麻痺してしまったせいで自分は聞くべきところを聞いていなかったらしい。
「小っさな町だったせいかな、そこでほとんど町ぐるみで育ててもらって……なんつーかその、そこの人たちがな、ちょっと普通じゃなくてな」
 歯切れの悪い言い方にカイは首を傾げた。
 話がさっぱり見えてこない。
 続きを促され、は今度こそ本当に青ざめた。
「言っていいのかな……まあ問題ないだろ。
 が育ったその町、みんながみんな気の使い手なんだよ」
 ――今何と?
「それは……」
「言っておくけれどジャパンとは関係ない。いたとしてもチャイニーズくらいだったな、アジア系は。
 何かとにかく変な町でな、いろんな人種が居たわけだ。
 で、そこではじっちゃんだけじゃなく町の皆に『育てて』もらったんだよ」
 いやに『育てて』の部分を強調して言う。
 養育、教育、育成――――育てるという言葉は数あれど、彼女の据わった目が意味しているものが一般的な意味からかけ離れていることぐらい、カイにも解った。
「今思い出すと異様だよな……うちのばっちゃんなんかさ、80越えてるくせに笑って手刀一本で薪割るんだぜ?万物の気の流れを読めれば簡単なことだとか言ってさ。
 あと笑えるのがさ、、初めて町の外に出るまで当たり前に戦い方って身に付けるもんだと思ってたんだ。
 そうじゃないって知ったあの時に漸く自分のいる町が変だって気付いたね。
 ……ったく、じっちゃんも何を考えてをそんなところに放り込んだんだか……」
 一呼吸(溜め息以外の何ものでもない)おき、は空を仰いだ。
 隣でカイも呆気にとられたように形のいい口を半開きにしている。
「ま、運よくか悪くかも気を使える素質があったわけでさ。じっちゃんはそれを分かっていてをあの町に連れていったんかな?……そこは分かんないんだけれど。
 で、はっきりしてる記憶の始めでは既にじっちゃん相手に遊び半分に気を使う基礎訓練みたいなことしてたな。じっちゃんが気を溜めて若返るのが面白くってな、よくもう一回やってって強請ってたっけ。
 でもじっちゃんはずっと町にいたわけじゃなくてさ、たまに来ての相手してくれたんだよ。仕事もあるんだろうななんてその頃は思ってたけど、まさか聖騎士団の団長だなんて思ってもみなかったな。
 その後は……そうだ、数年経つ頃にはじっちゃんもあんまり来なくなってな、町の皆に色んな使い方も教えてもらえたんだ。確かに妙な環境だったけれど、今役立ってるから……――と、経緯はこんなかんじだね」
 ははは、というの乾いた笑いが青い空に吸い込まれる。
 彼女が普通じゃないと言うくらいだからと覚悟して身構えたつもりだったが……予想以上だ。
 カイはやや焦点の定まらない目でを見た。
「……何なんですかその町は」
「ははは。に聞くな」
 ……じゃあ一体誰に訊けと?
 そんなことを視線で訴えれば、は困ったようにこめかみを押さえた。
だって町を出るまでそこの異常さには気付かなかったんだ。
 だからそんなに気が珍しいもんだなんて知らなかったし、変に思わなかったから疑問も浮かばなかったんだよ」
 ――もっとも、特訓紛いにしごかれることにはいくらなんでも違和感を持ったが。
「それに町は出たっきり帰ってないからなぁ……」
「出た……というのは何故ですか?厳しかったからですか?」
「まさか。の性格じゃないだろそれは」
 言ってふふ、と笑えばカイも表情を緩めた。
「確かにそうですね。ならば何故?」
「……ちょっとね、色々見て回りたかったんだ」
 秋が近付き遠く感じるようになった空を眺めながらは言う。
 その横顔を見ながら、カイは彼女が初めて語るその話を一文一句たりとも聞き逃さないよう細心の注意を払っていた。
 もう半年以上共にいるというのに自分は彼女のことをほとんど知らないのだと気付き、少しばかり落ち込む気持ちも生じたが、身の上話をできる間柄になったのだと思えば悪い気もしない。
「で、そういうカイは?
 小さい頃とか――ああ、聖騎士団に入った理由とか知らないや」
 聞いてもよい?と身を乗り出してきたせいで近くなった距離にカイは少しだけ動揺してしまう。
 どきりとしたのを隠すように、
「……つまらない話でよければ」
 こほんと態とらしく咳払いし、さり気なく体をずらした。
 も座り直して話を聞く体勢を整える。
 記憶を整理するようにカイは数秒瞳を閉じ、そして瞼を上げると同時に口を開いた。
「私は……十にも満たない頃に住んでいた街と両親を失って、戦火渦巻くそこでクリフ様と出会いました。
 その時は何しろ子どもでしたから、哀しさと悔しさでクリフ様に自分も戦わせて欲しいと縋りつきました。そうしたら案の定、一蹴されましてね。『戦いたかったら自分の力で5年間生き延びろ』と言われました。
 突き放すような言葉ですが、それもクリフ様の優しさだったのでしょうね……わざわざ子供を死ぬと分かっていて戦わせるような方ではありませんから。
 その後、私は言われた通りきっちり五年後、ここの門を叩いたんです」
 考えてみれば、クリフによって自分達二人は出会う機会を得たようなものだと気付く。
 命を救われたという共通点もあるし、奇妙な巡り合わせだ――それには感謝しか感じない。
 もそのことに気付いたようで、面白いことを発見した子供のように笑った。
らお揃いだな」
「そうですね」
 今でもあの日を悪夢に見ることだってある。
 だが、他人から見れば悲しむべき過去であっても、それを彼女と共有できることで距離が縮まるように感じ、嬉しくさえ思ってしまう自分がおかしかった。
「こうやってさんに逢わせてもらえたのだから、神には感謝しないといけませんね」
「そうか?らだったらどうやったってきっとどっかで会っていただろうと思うけどな」
「それは……どうしてそう思うのです?」
「だってもうカイがいるのが当たり前だもん」
 ――今日は不意打ちを食らってばかりだ。
 耐えきれずにカイは顔を押さえてから見えないように横を向いた。
 それは余りにも不自然であったが、だが、はそのことから既に意識が外れていた。
 ぼんやりと、だけどはっとした表情で虚空に視線をさ迷わせている。
 ……そうか、もしソルについていくとしたら……
 どうして今までそれに気付けなかったのか。
 自分のことしか考えていなかったことに情けなさと恥ずかしさを覚えた。
 ゆるりとカイの方を向く。
 彼は自分と反対側の方へ顔を向けており、表情が見えないことがほんの少し寂しかった。
 ……寂しい?何でだ?
 溜め息をつきかけて、頭の中で首を捻った。
 彼を置いて行くかもしれないのに、どうしてこっちが寂しさを感じるのだろうか。
「……――なあカイ、もしが……」
 ぽつりと、気が付けば彼の名が口から溢れていた。
 そして、続けた言葉は――……
「……はい?」
 ……どうやら最後まで聞こえていなかったらしい。
 ややあってされた返事には明らさまにほっとした。
 ――きっと柄にもなく昔話なんかしたせいだ。
 しんみりしてしまって、だからちょこっとだけ気分が沈んでしまったのだ。
 そう結論し、は自嘲するように口許を緩めた。
「何でもないよ。
 ――さて、もう一戦して今日は終りにしよっか」
 腰を上げればカイもそれに続いて。
「お手柔らかに頼みますよ」
「ノンノン。本番で100%出したきゃ練習で120%出せなきゃ駄目ですよ」
「……何ですかそれは?」
「誰かの格言だよ」
 あははと笑い、は手合わせをするための間合いを取ろうとカイに背を向けた。
「――待って」
 ひたり、と肩に重みがかかった。
 歩き出した足を止められた形になり、は背後を振り向く。
 一瞬、真剣な顔つきをしたカイと目が合い息を飲む。
 その一秒後。。
『エマージェンシー!エリア7-D地区にてギアの襲撃を確認!』
 声は各団員のメダルからけたたましい警報とともに聞こえてきた。
 カイはすぐさま司令室に繋ぎ事態の把握をする。
「総員直ちに訓練を中止!第一大隊全小隊は出撃準備を整え発着場で待機!準備を終え次第すぐに出ます!」
 メダルを閉じるなり発せられたカイの指示に従い走りだす団員。
 もカイと目を合わせ、ひとつ頷いて彼らに付随して飛空挺の発着場へと急いだ。