楽しいひと時のはずだった。
――闇の中、揺れる影。
身軽に建物から建物へと飛び移る。
その影が屋根の上に着地したとき――
「……真夜中にガキが一人で出歩くのは関心せんな」
「うのわぁっ!?」
叫んでからしまったと口を押さえる。
の立つ場所のすぐ傍、ちょうど団内から影になる位置にその男はいた。
「な、なんでソルがここに……!」
「てめぇこそ何してんだ」
あくまで小声で叫ぶ
にソルはいつもと変わらない声の大きさで問い返す。
それに
はう、と声を詰まらせ大げさと思えるほど視線を泳がせる。
……分かりやすいというか何というか。
「ほう、無断外出か」
「分かってるなら聞くな!」
「いや、確認したまでだ。俺もそうだからな」
「――はい?」
さらっと吐かれた台詞に
は目を点にする。
「どっちもばれたら大目玉だ」
「はあ……」
やたら饒舌なソルに
は生返事を返す事しか出来ない。
上機嫌なのか何なのか、昼間とは明らかに雰囲気が違う彼に戸惑ってしまう。
「そういうわけで行くぞ」
「は……はぁ?」
「何おかしな顔してやがる。ばらばらにいるより固まってたほうが見つかる確率低いだろ」
「いや、まあ、そりゃそうだけどさ。
……それより行くってどこへ?」
「あ?酒場だ酒場」
「――おごり?」
「しっかりしてやがるな……」
「誘ったのそっち。
はゲスト。なら当然でしょ」
「ちっ、分かったから行くぞ」
「あはは、ゴチになります~」
観念したように肩を竦めたソルを確認し、
もニコニコ顔で応えた。
飛び降りるソルについていくように
も音を立てないように降り立つ。
少し行けば城下町だ。(本来騎士団本部は城ではないが、この呼び名が慣用されている)
茂みをかき分け道に出れば、一安心。
駆けてきた足をゆっくりにする。
「今日はいつもと違ってよく喋るね」
「あ?」
「それに付き合いもいいし。何か変なものでも……」
「食ってねぇよ」
「あはは~ノリもいい~」
「お前こそやたらテンション高いじゃねぇか」
「だって楽しいもん」
スキップしだす
にソルは馬鹿にしたような笑みを向ける。
「お前、酒場行ってジュース頼む気じゃねぇだろうな?」
「まーさか。
お酒飲めるもん」
「ほう?」
「……疑ってる目だな」
「疑うも何もガキの言う事だからな」
「ふん、そういうこと言うならソルの財布空にしてやるさ」
後で吠え面かかせてやる、と意気込む
にソルは変わらず馬鹿にしたような笑いを向けるだけだった。
夜の帳などとうに落ちた街中を進み、ソルは迷う素振りは見せず酒場の扉を押し開けた。
その様子から彼がこうやって抜け出して街に降りるのは初めてではないことが伺える。
が呆れとも感心ともつかない溜息をつきその後に続こうと足を踏み出した瞬間。
ばごんっ
顔面に衝撃がきた。
視界に星が飛び、思わずクリティカルヒットを喰らった鼻を押さえる。
「い゛……っ」
「……何してんだ」
「こっちの台詞だ!普通先に入ったら開けて待ってるもんだろ!」
「わがままだな」
「あーわがまま結構!少しは気を使え!」
「やれやれだぜ……おら、来い」
「ぅわっ!?」
呆れた顔のソルにむんずと頭を鷲掴みにされ店の中に引っ張り込まれる。
引き摺られるような格好でたたらを踏み、
は胸中で先ほど以上の溜息を吐いた。
……うーん、どうにもこいつはぶっきらぼうだよな……多少お節介な気はあるものの紳士的なカイとは大違いだ。
ぶつぶつ小声で文句を垂れる
だが、ソルは一向に取り合うつもりはないようだった。
初めて入る店内を見渡す。
城下町なだけあって店自体や客の質はそんなに悪くない。
変な客に絡まれる事はないだろう。
大体、問題がすぐに起きるような酒場では、ソルはとっくの昔に無断外出がばれてカイにこっぴどく文句を垂れられていたはずだ。
でも、長時間居座る気ならクッションでも欲しいところだな、と
は思った。
今
はカウンターにソルと並んで座っている。
ソルがずかずか店内を進みそこに腰掛けたので、
もそれに倣ったのだ。
丸いスツールに座り直しながら、硬いなーこの椅子、と心の中で批評する。
革張りの椅子は質素で、客の長居を避けるための工夫だろうと思った。
隣を見やる。
こうやってすぐ傍で見ると、やっぱりソルは背が高いというか大柄だなと感じた。
「何頼む」
連れてきては貰ったものの放っておかれると思って半分ぼんやりしていた
に、低い声がかけられた。
慌てて店主の背後の棚に目線を上げる。
「あ、じゃあ……
とりあえずウォッカ」
それにソルが少しばかり呆気にとられた。
とりあえずでウォッカを頼むかこのガキは。
「……店主、ウォッカ二つ」
「お、一緒だー」
「お前はもう少し可愛げのあるもん頼めよな」
「可愛いじゃないか。度数が高くて」
「……普通逆じゃねえか?」
「はっはっは、常識にとらわれていたら進歩できないぞ」
「偉そうに言いやがって」
くっ、と喉の奥で笑い、ソルは
の頭に掌をぐりぐりと押しつけるように乗せた。
「……何だこの扱い」
「そりゃお前がわんころだからだ」
「まだそのネタ引きずるか……あー、もしかしてソルは犬派?」
「あ?」
「犬か猫どっちが好きかってことだよ。ちなみに
は猫ー」
言って猫の姿の想像でもしたのだろう、
はにへら、と笑った。
ソルはやや考えてからああ、と納得したように頷いた。
「猫好きは自分の性質が犬だという……やっぱりお前は犬だ」
「うあ、そういうもんなのか」
「俗説ってのも案外正しいのかもな」
「それより
はソルがそんなことを知っていることに驚いたよ」
お茶目な話題出してくれるじゃないかと、
は酒場という場に不似合いなほど屈託なく笑う。
本当によく笑う奴だ。
ソルが
を見てそう思ったとき、目の前に透明の液体が注がれたグラスが二つ差し出された。
差し出した店主の視線が何となく
を気にしているようだが、それも無理はない。
見た目明らかに子供が自分のような決して柄がいいとは言えないような奴(その辺りは自覚している)といて、しかも強い酒を頼んでいるのだ。
当たり前に気になるだろう。
だが当の
はそんなことは気にせず、ゆらゆらと目の前に掲げたグラスの中の氷を揺らしている。
ソルは溜め息をついてからぐいっとグラスを煽った。
「あ゛ー!!」
いきなり大声を上げられ吹き出しそうになる。
寸手のところで堪えて振り向けば、何故か不機嫌な表情の
がこちらを睨んでいた。
「……乾杯しようと思ったのに」
「ンなことかよ……」
何事かと思えば下らない。
2度目の溜め息をついて途端に重たく感じだしたグラスを置く。
「まったく協調性のない奴め」
「……どこかの生真面目野郎を思い出すからその言い方は止めろ」
突然ぐったりとするソルに
は苦笑いを向け、彼のグラスにこつりと自分のグラスを当ててから口を付けた。
なかなかの飲みっぷり。
「本当苦手みたいだね~」
「苦手じゃねえ。うざったいだけだ」
「まあ、しつこいっちゃあしつこいよな……」
カイからあれやこれや仕事を言い渡され監視されているような気分になる最近の仕事場を思い起こし、
は友人のはずなのにソルの言い分を否定できず、視線を遠くへやった。
そこで会話が途切れ、
はもう一口酒を含んだ。
鼻孔に昇る香り、喉に感じる熱さ。
ふと、思ったことが口に出る。
「……ソルは酒場が似合うよな」
しみじみそう思う。
「……そんなに入り浸ってる訳じゃねえよ」
「そうじゃなくて。一人で飲んでても様になって格好いいよな~って」
「……ガキに言われてもなぁ」
ソルの呟いた台詞に
はきょとりとする。次いでおかしそうに笑いだした。
何だと思って横を見ればテーブルに頬杖をつき肩を震えさせる
が目に入った。
ソルの剣呑な視線を受けて彼女は口を開いた。
「いーやー、初めて会ったときと同じこと言われたーと思ってさ」
「……そうだったか?」
「そうだよ。あの時はまさか一緒に飲むようになるとは思わなかったけど」
言ってくつくつと笑う。
あの日、とある街のギルドで初めてソルと会った。
その時に比べ、ソルの纏う空気の鋭さは変わらぬものの、とっつきやすさは感じるようになった。
それでも以前に比べれば、だが。
そんなことをソルに言ったら。
「……お前は変わんねえよ」
「そりゃ
は元から素敵ですから☆」
目を細めるソルに、
はいつも通り軽い口調で返答した。
しかし待てども突っ込みがこないことに彼女が所在なさを感じる横で、ソルは目を伏せやや下を向いた。
ヘッドギアの影になり表情が伺えなくなる。
――もしや愛想を尽かされ呆れられたか……?
が見当違いなことに冷や汗を流していると。
「……ガキの能天気さが羨ましいぜ」
そんな言葉をほざかれた。
これに
は思い切り反論し、更にソルにガキ扱いされ。
端から見ればバイオレンスな行動も飛び出し危険な掛け合いだったが、彼らは彼らなりに楽しく時間を過ごしていった。
「
の部屋の窓入りにくいからソルんとこから入れて」
「……お前元気だな」
「言ったじゃん飲めるよーって」
「だからってなあ……」
ソルらしくなく歯切れの悪い語尾。
視線の先には、封を開けたばかりの酒瓶を一人で空にしたくせにやたらとぴんぴんしている20歳にも満たない少女の姿。
「ンなこといいとして、ほら窓開けてよ」
「……へいへい」
命令口調なのには目を瞑ろう。
酔ってはいなくてもテンションの上がっている彼女に口ごたえをしようものなら……いや、何も言うまい。
がたり、と窓枠の音が明け方の空気に響く。
その音が響いてしまったような気がしてぎくりとするが、見つかる前にさっさと体を中に滑り込ませた。
の後にソルも続く。
窓を閉じ、ほっと一安心。
「うわー、脱走ってスリル満点。病み付きになりそう」
「何楽しんでやがる」
「だって面白かったし。また抜け出すときは声掛けてよ」
「……そうだな……」
ごく軽い気持ちで深い考えもなく
は言った。
だがそれに返ってきた眼の光に息を呑む。
「ソル……?」
朝日とも月光ともつかぬ光にソルの姿の輪郭がぼやけた。
「本当の意味で脱走する――と言ったらついてくるか?」