Fortune 23


 誰かの意見より、すぐそばの奴の話を信じればいい。



 カイ=キスクが団長に就任したことにより第一大隊隊長が空席となった。
 当初の予定では皆の薦めもありが穴を埋めるはずだったが、本人に「これ以上肩書きは欲しくない」と辞退されたため、別の者が引き継いだ。
 その代わりとばかりにクリフは彼女用にと新しいポジションを用意した。
 ――団長補佐――といっても堅苦しいものではなく、単純に新団長のサポート役として置かれた。


 この団長補佐という立場は第一大隊に属しながらもその扱いは異なっており、隊長のような権限があるわけでもなく、図式で言えば団長直属の部下となるだけであった。
 最初部下という響きには嫌そうな顔をしたが、この新役職を制定した当人である前団長のクリフ老に一言二言何かを吹き込まれた後、快諾したのだった。
 そして、就任式当日。
「……これって結局、肩書きついちゃったんだよなぁ……」
「そんなに落ち込むことですか?」
 人類を守るため結成された聖騎士団という集団の中でも立身出世を望む者はいる。
 そうではなくても役を与えられることは名誉であるとして喜ぶものなのだろうが、の場合は違っていた。
「……面倒くさい」
 そう一言で切って捨てる。
 これが彼女の価値観なのだろうか。
「ま、頑張れカイ」
 ぽんと肩を叩かれる。
 励ましの言葉のはずなのにどうしてこうもやる気が萎えるのだろう。
 肩を落とすカイにはにこにこと笑うばかりだった。


 就任式は元老院とかいうお偉方が列席のもと行われた。
 居並ぶ姿が皆同じようにしか見えない集団をは無感情に見渡す。
 どの顔にも見覚えなどありはしない。
 そんな奴らの許しを得なければ正式に団長になることもできないとはまったくおかしなものだと、はどこか冷めた目でいた。
 (を除く)団員たちが見守る中、その老人の中の一人が立ち上がり壇上を進みだした。
 仰々しいローブから伸びた手に封雷剣を掲げていたが、その不健康そうな貧弱さがなんとも不似合いであった。
 ゆっくりと進む……そこまでのんびり歩くことがどうして必要なのかには理解できない。
 きっとあの老人は腰痛持ちとか膝が悪いとかでそろそろとしか歩けないのだ、と勝手な解釈をした。
 まったく、あまりに時間がかかるものだから余計な考えが浮かんでしまう。
 回りの奴らはよく集中していられるな、と感心さえした。
 そうやってが不謹慎なことを考えている内に老人は聖堂の最深部、内陣の前まで辿り着いていた。
 ローブを翻し参列者の方へ向き直る。
 その動作だけがいやに俊敏で、はちょっと吃驚した。
「カイ=キスクよ、前へ」
 呼ばれて集団から踏み出でる。
 式典という場だからか、カイはいつもの団服の上から真っ青なマントを羽織っていた。
 金髪碧眼ヒラヒラマントときたら次はカボチャパンツかそれとも白馬か。
 どっちも想像すると笑いが込み上げてきそうになるので、必死に考えまいと自制する。
 そうこうしている内に、カイは恭しく老人の前に跪いた。
 頭を垂れるカイに老人は聖騎士団お決まりの文句を並べだす。
 退屈だ、さっさと終われ、とやる気のないはその台詞のほとんどを聞き流している。
 やがて言葉が切れると、剣が高々と掲げられた。
「――今ここに新たな希望が紡がれんことを宣言する」
 内陣の天窓から差し込む光を反射しながら、神器がカイの手に渡った。
 その瞬間歓声が上がる。
 沸き上がる団員たちの中、もつられるように三度だけ手ばたきをした。
 式典終了後、はお疲れ様の声でもかけようかとカイの姿を捜したが、どうやら元老院より激励の言葉を賜るとかで別室にすぐ移動してしまったらしく、会うことはできなかった。
 年寄りの形式好きはよく解っていたので、は諦めて一旦自室に戻ることにした。
 途中すれ違う仲間と軽い挨拶を交わしつつ部屋に向かう。
 そういえばあの場にはソルもいなかった気がする。
 またあの日当たりのいい所ででもサボっているのだろうか。
 何となく彼のことが頭に浮かび、目的地を例のあの場所に変えた。


「……あれ、いないや」
 サボるといえば此処、毎度のように『偶然』会うことが当たり前になっていたので、いないことに少し落胆した。
「何かつまんないな……」
 今日は式典の為、スケジュールとしては夕方に短い時間の調整程度の訓練があるだけだ。
 それまでの暇をどうしてくれようか……
 は数瞬悩んで引き返すことにした。
 今日は生憎の薄曇りで日向ぼっこをする気分にもなれないし、ふらふら出歩いて誰かに捕まるのも面倒で避けたかった。
 結局、部屋でのんびりするのが一番だろうという結論に達した。
 帰り道は多少遠回りになるが人の声のしない方へ足を進めた。
 時間的に日の射し込まない通路を歩きながらひんやりとした静けさに耳を澄ます。
 大勢でわいわい騒ぐのも楽しいがこういうひっそりとした静寂もは好きだった。
 石造り独特のにおいが満ちる通路を進む内、偶然にも行く先に捜していた人物の一人の姿を見つけた。
 ゆっくりと近付いてみる。が、気付いた様子がない。
 いつもは気付かれないようにしてもバレてしまうくらい感覚が鋭いはずなのに、と妙に思う。
 珍しくてじっと観察してみた。
 するとふと、窓の外をぼんやり眺める背中がどこか寂しそうに感じた。
 ……何かあったのだろうか。
「カイ……?」
 遠慮がちに名を呼ぶ。
 すると金の髪の少年がゆっくりと振り返った。
 今はもう式典の時のマントは外していた。
 呼ばれたことでがいることに気付いたようで、小さく笑みを浮かべる。
 でも、少しも笑っていないと感じさせる微笑だった。
 カイの様子がここまでおかしいのを初めて見たは、悟られない程度に眉根を寄せた。
 大丈夫かと聞くのも憚れるような気がしたので、何も訊かずに隣まで移動する。
 それを察したのか、カイも無言で視線を窓の外に戻した。
 何でこんな人気のない場所に一人でいるのか。
 何でそんな表情をしているのか。
 気にはなったが追求するつもりはなかった。
 カイが話さないのなら自分から訊いてはいけないとは思ったのだ。
 壁に背を預け、も同じように何処を見るでもなくぼんやりとし始める。
 昔ばっちゃんもこうして何も言わずそばにいてくれたことがあった。
 確か、夢見が悪くて、でもその内容をうまく思い出せず説明できなくて、悲しくて苦しい感情だけが自分の中でぐるぐると渦巻いていた日だった。
 もし理由を聞かれても答えを形にできなかったであろうあの時、言葉のない空間が有難かったのを思い出す。
 落ち込んだときは下手な慰めをかけられるよりも沈黙の方が本人にとってよっぽど優しかったりもするのだと経験で知っていたから。
 もしカイもそういう状態ならと考え、は石柱に施された彫刻を目でなぞりながらただ隣にいることに決めた。
 この場所は海面が近いのか、波の音が微かに聞こえる。
 風が少し強いのか、木々の葉が擦れる音が幾重にも重なり、自然の音だけが耳に届く。
 夏なのに今日は涼しいな、曇りだからか、と考え始めたところで控えめな声がかけられた。
「……あの」
「……ん?」
 少し掠れたような声。
 は1拍おいてから応えた。まだカイの方へは顔を向けていない。
 窓から吹き込んだ湿った風に前髪が揺れ流れる。
 それを指先で耳に掛け、耳を澄ます。
「……いえ、やっぱりいいです」
「あのな……」
 は思い切り脱力して頭を押さえる。
 辛抱強く待つつもりだったが、カイの煮えきらない様子にやや反応が大きくなってしまった。
 やっぱり、ということは言いたいことがあるのだ。それを。
「言いかけて止めんなって。遠慮してんのか?そんなのいらないよ。
 ……まあ、のこと信用ならないってなら仕方ないけどさ」
「そんなことはないです!」
 いきなり放たれたよく通る声には反射的に振り向いた。
 驚いて目を丸くするにカイはしまったというような顔になる。
「すみません、つい大声を……」
「いやいや今のはの言い方が悪かった」
 ちょっと意地の悪い言葉選びだったなと反省し苦笑する。
「でも、何か困ってるなら相談乗るよ。友達じゃん」
 の台詞に今度はカイが苦笑を漏らす番だった。
 もちろんその意味を分かっていないは首を傾げていたが。
 カイはに先刻とは違う柔らかい笑みを向けてから喋りだした。
「今し方、元老院の方達と話してきたんです。そこで団長としての心構えなどを指南されていたんですが……」
 そう言ったところでカイの声のトーンが落ちた。
「それで?」
 は黙りかけていた先を促す。
 それにカイはひとつ呼吸をしてから続けた。
「……神器を手にし力を振るい、破壊するだけならば……ギアと同じ兵器でしかない、と……」
 ――兵器……?
「……っじゃそりゃああぁぁっ!!??」
 感情に任せ叫ぶをカイは慌てて止める。
「いや、あの、落ち着いてください!」
「落ち着いてられるかアホたれ!!
 ンなクソふざけたこと抜かす馬鹿共はちょっぱでシメちゃる!!」
「ぼ、暴力は駄目です!ちょっと冷静に……!」
「はーなーせーっ!!」
「離したら殴りに行くつもりでしょう!?」
「違う!蹴り潰しにだ!」
「余計悪いです!」
 ヒートアップしたには制止の言葉も意味がない。それにカイは焦る。
 このまま手を離したら本気で元老院のところに乗り込みかねない。
「あーもー!!なんっでカイがそんなこと言われなきゃなんないんだよっ!?」
 なおもぎゃいぎゃい喚き立てるを押さえながら、カイははっとする。
 彼女が怒っているのは、自分の為なのだ――それを悟った瞬間、無性に嬉しさが込み上げた。
「と……とにかく話を聞いてください!
 この話には続きがあるんです!」
 でも喜びに浮かれている場合ではない。
 今はの誤解を解く方が優先事項だった。
「……続き?」
 ぴたり。
 カイの言葉に反応し、はじたばたさせていた手足を止めた。
 ようやくおとなしくなった様子にほっとしたようにカイは息をつく。
「はい。
 ……だが聖騎士団は民草の巌となり、護り、戦うことが使命。それを忘れてはならない、と……そう言われたんです」
 綴られた言葉を頭の中で繰り返し、はようやく意味を理解した。
「……なぁんだ……そうならそうと言ってくれよ……」
 早とちりして怒り損だ、と大きな溜め息をつきカイの肩口にこつりと頭を擡げた。
 突然の彼女のその行動にカイはどきりとする。
 無防備にそういうことをされると、心臓に悪いどころの話ではない。
 自分を信用してくれているのだろうが、こちらの気も知らないで、と少し恨めしい気持ちが生じる。
「……でもだったら何で落ち込んでたのさ?」
 額を乗せていた肩に手を置き顔を上げる。
 は何も気にしていない様子で問いかけてくるが、間近にある想い人の顔を直視して普通にできるほどカイは大人でない。
「いえ、その……」
 気恥ずかしさから、やや視線を逸らしつつ言葉を濁す。
 それがどうやらの目には『言いにくいことを聞かれた時』のように映ったらしい。
「……言えないか?」
 そう言ってしょんぼりとされると、カイとしては罪悪感に駆られ言わざるを得なくなる。
「……分かりました白状します。
 ――あの方達が兵器の話を持ち出したのは単なる例え話、私が方向を違えないための戒めです……それは理解しているんですが……」
 そこまで聞いて何となく、カイが落ち込んでいた理由にも察しがついたようだ。
「うん……でも?」
 次に続く言葉もおそらく予想できている。
 だがそれはの口から言うべきではない。
「……違いがあるのかという疑問を持ってしまったんです……兵器と自分に……
 まったくおかしな話ですよ。護るためなら私自身は矛になっても構わないと思っていたのに……いざそう言われると……」
 自嘲気味な薄笑いが口元に浮かぶ。
 とっくに覚悟し、自覚し、そうなるべく自身を鍛えてきたというのに。
 何を今更周りの声に一喜一憂しているのかと己の未熟さに嫌気がさしてしまう。
 元老院の言葉に傷付いて落ち込んでいたのではない。
 その言葉に傷付いた自分に落胆したのだ。
「――馬っ鹿だねぇ」
「ば……!?」
 突然の罵倒。
 しかも溜め息混じりに吐かれた思いがけないその言葉に、カイは二の句を繋げられなかった。
「そんなことで悩んでたのか」
 はカイの肩から手を浮かしそのまま小気味良く彼の頭をばしっと叩いた。
「あたっ」
「オッサン達の言うことなんか真に受けんなよ。大体なぁ、だったらここは兵器だらけだぞ?
 もちろんだって例外なく、な」
さんは違いますよ」
「ほら、ひとのことだったらそう思うだろ?逆も一緒。誰もカイを兵器だなんて見てないよ。
 それに、自分のことを他人がどう思うかなんて考えるだけ損、自分がどうしたいかとかどうありたいかをしっかり固めておけばいいんだよ」
 叩いた手で今度は頭を撫でる。
 それにカイは少しばかり頬を赤らめて不満げな顔をしていた。
「子供扱いは止めてください」
「一応のが(たぶん)年上だぞ」
「……大して変わらないじゃないですか。16も17も」
「1年は365日、時間にすればン千時間多く生きてんだよ。敬え」
「……そう言うさんは年長者を敬ってるんですか?」
「そこはそれ。年喰っているからって尊敬できるとは限らないよ」
「思いっきり矛盾してますね」
「――ほう、じゃあ何か。のことは尊敬に値しないってか?」
さんの言葉を借りれば、年長だとしても尊敬できるとは限らない、のでしょう?」
「ふっふっふ~言うじゃねぇかコノヤロウ」
「まあ、何処の誰とは言いませんが鍛えられてますし、ね?」
 まじめな話をしていたはずがいつの間にか軽口の応酬に変化していた。
 こうやって無意識の内に彼女のペースに乗せられ掬い上げられるとき、好きだなと思う。
「約束通り助けになるからな。愚痴でも何でも付き合うぞ」
 彼女の笑顔には人の心を溶かす何かがある。
 どこか悪戯げなそれは相手気負わせないような彼女なりの気遣いなのかもしれない。
 その笑みを向けられて、彼女の言葉に気持ちも楽になった気がした。
「……さんはやっぱり凄いです」
「凄いの意味は分からんが……うん、敬っているようだから許してやろう」
 ふふん、とともすれば自信過剰に映るような身振りで胸を張る。
 そんな態度ですら相手を和ませるのだから、本当に凄い。
 さわさわと音を立てながらそよぐ木々に視線を向けている彼女の横顔がとても眩しく見えて。
「……好きになったのが貴女で良かった」
 その視線の先の樹木やその向こうの水面が差し始めた陽の光をキラキラと反射するのを彼女と同じように眺めて。
 の耳には届かないくらいの小声でカイはそう呟いた。