Fortune 22


 これだけは、変わるわけないと思っていた。



 応援に行った先でじっちゃんが怪我を負い帰ってきた翌日。
 は帰還した際の背中の大怪我を見て血の気が引いたのだが、幸い命に別状はなく、今は自室で療養中、経過も順調のようである。
 大抵の怪我ならばの特技というか隠し技の一つでもある治癒法術で治すことも可能だったのだが、いかんせん、これは人のもつ治癒力を高めるのみであり、直接怪我を治せるわけではないのだ。
 回復する際に使われるエネルギーは本人の体力の為、大怪我の人間に使ったら逆に命を危険にさらしかねない。もちろん病原菌も活性化してしまう為、病人にだっておいそれと使えない。
 そして現在、治療班にも法力を使用した治療は不可能であると診断されたクリフは安静を余儀なくされているのである。
 同日の昼も過ぎた頃、は改めてクリフの部屋を訪ねた。
「とんとん」
 両手がトレイで塞がっている為、口でノックの真似事をする。
「入るよじっちゃん」
 返事を聞く前には肩を扉の隙間に差し入れ、よいしょと無理矢理部屋に入り込む。
「ごはんですよ~」
 気の抜けた声とともにかちゃかちゃと食器が鳴る。
 トレイの上には食堂から適当に見繕って持ってきた食事。
 の基準なので少々量は多いが、それなりに栄養には気を使ったようで割とバランスがとれている。
 そしてそのトレイの端にはメロンがちょこんと座っていた。
 彼女曰く、お見舞い=メロンなのだという。
 明るくいつも通り高めのテンションのに、クリフはゆっくりと静かに答えた。
「……か。そこに置いといてくれい」
 こちらに背を向けベッドに腰をかける姿は、心なしか一気に老け込んだ印象だった。
 怪我をして元気な人間はいないかと、は意識的に気にしないようにしてサイドボードにトレイを置いた。
 それを見計らったようにして、クリフがそのままの姿勢で口を開く。
よ、ひとつ聞いてよいか?」
「ん?何?」
 じっちゃんから何か尋ねてくるなんて珍しいな。
 はクリフの背中を見つめ続きを待った。
「お主、カイをどう思う?」
 ……何でいきなりカイのこと?
 はクリフの意図が掴めず、うーんと唸ってから自分なりの解釈で答えを決め、言葉を紡ぐ。
「どういう観点から言えばいいのか分かんないけど……真面目でいい奴だよ。たまに変だけど」
「……あやつは強いと思うか?」
 クリフの質問にはぱちくりとひとつ瞬きをした。
「――ああ強いと思うよ。最近さらに頑張ってるみたいだし。
 ……そうそう、この前からやたら剣をパキパキ折ってんな~と思ったら法力が強くなったみたいでさ、武器が追いついてこないって困ってたよ。
 凄いよね~団内で相手になるのってもうソルくらいじゃないの?」
 まあ後じっちゃんとを除いて、とが自信ありげに付け加えると、クリフはようやく笑った。
「お前も胡座をかいていないで精進せんか」
「へいへい」
 降参しました、というようにはおどけて肩を竦める。
「でもさ、じっちゃん」
「なんじゃ?」
「カイってちょっと頑張り過ぎじゃない?」
 の口から何の気なしになのだろう、ごく軽く綴られた言葉にクリフは僅かに目を開いた。
「何だか無理してる……っていう風には本人見せてないけど、どっか押さえつけてるような縛り付けてるような感じがしてさ、責任感があるのはいいことなんだろうけど、あり過ぎというか…」
 ぽつぽつと零しながらは頬を掻く。
 だが言い終わらない内に頭を振り出した。
「いーや、やっぱ何でもない。の勘違いだな、きっと」
 いらないお節介だよな、と自分の発言は失言だったと反省する。
 そして俯きかけていた顔をぱっと前に向けた。
「それよりじっちゃんどうしたのさ。
 いきなりカイのことを聞いてくるなんて」
 が問えばクリフはから視線を逸らさぬまま一旦瞳を閉じ、ややあってからゆっくり瞼を持ち上げた。
「いや……な。少々決断を躊躇しておったんじゃが……うむ、おかげで踏ん切りがついたわい」
 クリフはすっきりとした表情で、だがどこか寂しそうにへ微笑んだ。
 はそんなクリフにどうしてか笑い返すことができなかった。
 ……もしかしたら、はこの時すでに明日起こることを薄々感づいていたのかもしれない。


 ――そしてその翌日。
 いつもと違う妙な緊張感が漂う集会の場。
 それが終わりに近付いた頃、クリフが突然の引退宣言を口にした。
 それまでの静寂を消し去り、ざわめきがその場に沸き起こる。
 もカイも、それを発した張本人へ愕然とした表情を向けるしかない。
 その喧騒も覚めやらぬ内に、クリフは更に驚くべきことを口にする。
「それと後任には第一大隊隊長のカイ=キスクを――と、わしは考えておる」
 皆が息を飲む中、勅命を賜った人物に集まる視線。
 事前に何も通達を受けていなかったのであろう、カイはその瞬間見事に動揺していた。
 だが流石というかそれも刹那のことで、すぐに平静を取り戻し場内からの注目を総てその身に受け止めてみせる。
 カイのような隊長格は広間の前の方……壇上近くに整列していた為、はそれを少し離れた場所からぼんやりと見ていた。
 昨日のクリフの言葉が蘇る。
 あれは団を率いる者としての限界を感じた故の台詞だったというのか。
 まだまだ戦士としては十分なはたらきができるとしても、上に立つ人間にはそれ以上に確固たる強さが求められる。
 自分だけで手いっぱいになってしまってはいけないのだ。
「老兵は死なずただ去るのみ、じゃ」
 ふ、と壇上のクリフが小さく笑う。
「若い世代に希望を引き継ごうではないか」
 クリフのその一声の後、拍手と歓声が巻き起こった。
 そんな中、だけがにこりともしない。
 カイからもそれは見えていたようだ。
 皆がクリフに賞賛を送る空間で2人はただ黙ってお互いを見つめていた。
 正式な就任式は一週間後行われるという。
 ややあって流れはじめた連絡を聞き終わる前に、はその場からそっと立ち去った。
 それに気付いたカイは自分に話しかけようとしていた他の隊の隊長にも構わず、彼女を追って駆けだした。
 が出ていった扉までは人が多すぎて行けない。
 カイは横手の小さな通用口から外に出た。
 彼女の姿はない。
 だがカイは迷わず走る。
 の行き先は何となく分かっていた。
 おそらく、あの場所――


さん」
 足を止めた場所は西のテラス。
 上を見上げると屋根の縁に腰掛けるの姿があった。
 ぼうっとした表情で空を眺めている。
 カイは自分も彼女のいるところまで登った。
 潮風が吹き服がはためく。
 はカイがすぐ隣まで来たところでようやく彼に顔を向けた。
「……今度から団長って呼ばなきゃならんの?」
「何言ってるんですか……」
 が静かにでも茶化したように言うものだから、カイも思わず力が抜けてしまう。
 そして溜め息を溢してからの隣に腰を下ろした。
 前を向けば遠くに街が見える。
 季節が変わる頃だからか、気温に比べて頬に当たる風が冷たく感じた。
 ――静寂が辺りに降りる。
 お互い言葉もなくただ同じ目線で遠くを臨むのみ。
 今は何故かこの沈黙が心地よかった。
 二人はしばらくそうしていたが、遠くに人の声が聞こえてきたところでの口が開かれた。
「いつかはこういう日が来るだろうと思ってたけど、やっぱりいざ向き合ってみると……何かこう、複雑だ」
「……私もクリフ様はずっと団長でいるのだとばかり思っていました」
 目標とした尊敬の人物。
 その人が去っていくなど信じたくなかった。
 そして。
「カイが新しい団長、か」
 自分がその後任に抜擢されるとは露ほども思っていなかったのだ。
 内示もなく突然告げられた内容を瞬時に理解できず、一瞬固まってしまった。
 しかし、あの瞬間あの場では、示しがつかないからと咄嗟に自分を立て直し、気丈に振る舞った。
 だが本心は不安で堪らない。
 自分のような若輩が皆を率いていけるのか。
 認めてもらえるのか。
 聖戦に、終止符を打てるのか。
「……大丈夫」
 いつの間にか指を握りこんでいたカイの手にの手が重なった。
「じっちゃんのようにならなくたって、カイはカイのまま正しいと思うことをすればきっと大丈夫」
 優しくそして力強く綴られた言葉。
 真っ直ぐ見つめてくる瞳にカイは胸が熱くなり、今にも泣き出しそうな顔になってしまう。
 でもそんな自分は見せたくなくて、逃げるように俯いた。
 そして重ねられていたの手を自分から握り直す。
 それに彼女が笑った気配がした。
 目を閉じて感じるの温もりに強張っていた心が熱を持って溶け出す。
 守っているつもりで守られて、隣で支えてくれるこの人に自分はどれほど救われているのだろう。
 出会って半年足らず、の存在はカイの中でとても大きなものとなっていた。
 ずっと一緒にいられたなら……
 そう無意識に考えた直後、カイははっと息を飲んだ。
 これでは、まるで。
「今まで色んなことで助けてもらったし、今度はがカイを助けるね」
 はにっと笑ってカイへ視線を向けた。が。
「……おい?」
「は……」
 現実に戻ってきたカイは自分を覗き込んでくる顔を正面から見てしまい、思い切り飛び退いた。
 繋がっていた手が勢い良く離される。
「……そこまで驚かれるとこっちも吃驚するだろ」
「え、あ、いやその……っ」
 しどろもどろで尚も後ずさるカイには頭の上に疑問符を浮かべる。
 だがその視線がある一点に留まり、弾かれたようにカイに手を伸ばした。
「カイ!」
「っ!!」
 しかしそこは流石天才といわれるカイ=キスク。
 突然のことであっても、持ち前の反射神経での手を難なく避ける。
 が、それがいい結果だけを生むとは限らない。
「――あ」
「ぅ、わ……っ!?」
 屋根の上からカイの姿が消える――簡単に言えば落っこちた。
 一瞬遅れて聞こえる鈍い衝撃音。
 はそろっと屋根の端に行き下を見下ろした。
「……だから止めたのに」
「……」
 カイは恥ずかしさの余り立ち上がることができないでいた。
 ――すとり。
「ほら、まったく間抜けだなぁ。受身をとるとかできなかったの?」
 降りてきたに手を差し伸べられ、カイは迷った挙句下を向いたままその手をとった。
「こんなんが次期団長で大丈夫なのか……?」
 の誰に言ったでもない呟きというか突っ込みに、カイは少なからずダメージを受けたとか。