起きてみれば、何故かバックルに文字が刻まれていた。
あれから三日後。
小型ギアであればダースで現れても蹴散らせるくらいの活力を回復した
。
だが取り戻したはずの気力と体力はすでにかなり磨り減っていた。
もう観念して、という言い方もおかしなものだが、
は腹を括った様子で回復後すぐにFortuneの称号(?)を黙認することを決めた。
ただし本人に向けその名を口にすることは、どこか鬼気迫る様子の彼女自身によって却下された。
担ぎ上げられる類いの妙な扱いをされることは御免であったし、今まで通り普通の仲間でいたいと考えてのことであったが、それは予想外に彼女への好感度を上げる結果となってしまった。
それまでの
といえば、飾らない自然体な人柄で周りに構われやすい性質ではあったが、元賞金稼ぎという経歴の為かどこか気を許し切っていない雰囲気をまとっていた。
それがこの一件以降変わりつつある、というのがその要因である。
棘が抜けたのか角が丸くなったのか、接し方が以前と比べて柔らかくなったのだ。
どこかにあった遠慮や用心深さが薄れ、年相応の少女らしい無邪気さを見せるようになったのだ。
そのお陰か、殆どが年長という環境の中、まるで皆の妹分とでも言える扱いをされるようになっていった。
周りに頼って良いということを学んだ
だったが、頼り方の加減がいまいち分かっていないのか、若干の無防備さが見受けられ、一部の人間はその度に色々とフォローをする為に奔走した。
そう色々と。
例えば馴れ馴れしい態度で近付いてきた数人については、大勢で女性を囲むとは何事だそれでも騎士かと某隊長が戦場さながらの形相で彼らを追い払っていた。
当の本人は、何だか前より皆が構ってくるなぁ、などとどこか呑気な感想を抱きつつ、あの呼び名を与えられた作戦時の様な異様な雰囲気が全く無いことに安堵すらしていたが。
カイには苦労かけるね、と言えば、必要なことですから気にする必要はありません、ととても隊長らしい頼りになる言葉が返ってきて、
は感心した。
そんな中で、彼女を呆れさせる出来事があった。
作戦で損傷した団服を修復に出し返ってきてみれば、バックルにこれでもかと刻まれた FORTUNE の文字。
犯人は分からないのだがそれは大した問題ではないし問い詰めるつもりもない。
何故なら単独犯による犯行とは考えられないからだ。むしろ団全体が結託しているかもしれない。
こういうとこばかり行動力があるよな聖騎士団。
はそれを半眼でじっと見下ろし、だが文句も言わず意外に大人しく受け取った。
もう女神云々を開き直って受け入れた後だったからできたことだろう。
もし彼女が納得していない内にこんなことをされていたら本気で暴れていたかもしれない。
その翌日から例のバックルを涼しい顔でつけて歩いている
を見て、仕組んだ団員たちの方が面食らったというのは余談だ。
そうやって紆余曲折がありながらも、概ね以前と変わらない生活を送っていたわけだが。
「……よお、女神様」
「それはやめてくれ……」
からかい口調のソルに
は疲れきった返事をする。
どんよりとした空気を背負う様子を見るに、相当嫌がっているようだ。
沈む彼女からソルは視線を逸らす。
「神だとは連中の考えそうなこった」
「……否定的だね」
まあソルが神を信じると言うほうが驚きだが。
直接そう呼ばれることを拒んでいてもその名は聞こえてくるわけで、その度に居た堪れない恥ずかしさと信仰心が薄い故の申し訳無さを
は感じていた。
その為彼の馬鹿にした風な言葉にはほっとさえした。
「……偶像にされてお前も大変だな」
――おや。
「ソルが人を気遣うなんて……」
「馬鹿か。嫌味だ」
「あぁぁあ分かっていたさ!それでもボケ倒そうとしたんだから乗れよ!」
「誰が」
「ソルがだよ!……付き合い悪いなぁ」
「……」
ぎゃいぎゃいと騒ぐ眼下の
に対し、よくもまあこんだけぽんぽん言葉が出てくるものだとソルはある意味感心した。
一方呆れられていると知らない
は押し黙った(実際は呆れてものが言えないだけの)ソルに勝ったと心の中でガッツポーズをしていた。
「……ガキくせえ」
「な、今のガッツポーズ見えてたのか!?」
慌てる
にソルの疲れたような顔が向けられる。
彼はもちろんそんなものは見えなかったが、彼女の口元がくっと上がったのを見てどうせそんなことだろうと思っていた。
「女神……とはなぁ、こんな胸も色気もないガキ相手に何を夢見ているんだか」
「うっさい!!わざわざ溜めて言わんでいいっ!!
まったくさっきから何なんだよ!?人を苛めて楽しいかコノヤロー!!」
否定せず叫ぶあたりは本人も自覚しているのだろう。
それにしても中々の荒れようだ。
そろそろ
の相手にも飽きたのか、ソルは溜息を一つ落とした。
「……そういやじじいが次の遠征で出るらしいぜ」
「……え、じっちゃんが?」
ソルがさりげなく(端から見たら大分わざとらしいが)話を変えたことに
は気付かず、むしろ彼の発言に腹を立てていたことさえ忘れた様子で、驚いた顔をソルに向けた。
単純な奴……とここでいいタイミングで突っ込んでしまいそうだったが、それでは元の木阿弥なので耐えることにする。
「まさかじっちゃんが後ろで踏ん反り返ってるわけないし……団長自ら先陣に立つ、ってことだよな……」
以前はどうだか知らないが、少なくとも
は聖騎士団に入団してからクリフが戦場に立つのを見たことがなかった。
「じじいもあれで英雄らしいからな。久しぶりに腕を鳴らしたくなったんじゃねえか」
話題を振ってきたくせにソルの言い方は至極興味が薄い。
はそう感じたが気には留めなかった。それよりも今告げられた内容の方が気になっていた。
彼女はじっちゃんことクリフに幼い頃戦い方の教えを受けたということもあり、その強さは身を持って知っていた。
そりゃあもう痛いほど。
でも、今は一体どうなのだろうか。
「うーん、じっちゃんももう年なんだから無理しなくてもいいのにね」
「本人に言ったら怒鳴られるぞ」
「あはは、それもそうだ」
ソルの尤もな指摘に
はおかしそうに笑う。
先程の怒り顔からすぐに笑顔へと変化した眼下の少女を観察しながら、ころころよく変わる表情だと思った。
自分の強面には自覚がある。だがそれに臆する様子はない。
更にはからかえば期待を裏切らない反応が返ってくるし、逆にこちらがちょっとでも無関心だと喚き立てる……ああ、なるほど。
「――おい、わんころ」
ふとソルがそんなことを言うものだから、どこかに犬がいるのだろうかと
は反射的に辺りを見渡してしまう。
「お前だよ、そこの金髪のしっぽつけたちっこいの」
「……
か?」
「他に誰がいる」
「何でいきなり犬呼ばわりなんだよ」
その呼ばれ方に些か腹が立ちはしたが、ソルが「わんころ」と言う可愛げのある単語を口にしたことが果てしなく不自然で似合わないことに怒るのを忘れてしまう。
ソルは見上げてくるジト目の
を一瞥し小さく笑った。
笑った。この無愛想男が。
そのことにさらに驚いてきょとんとしていると、大きな手が頭に触れ、くしゃりと髪が撫で混ぜられた。
大きい手だな。というか重い。
ぐいぐいと頭が揺れるくらいの手の動きは、撫でるというよりは押さえ付けようとでもしているのかという具合だ。
不器用な手つきだ。そして本っ気で犬扱いしてないかこいつ。
むぅ、と頬を膨らましながらも、
はその手を振り払うことはしなかった。
はっきり言って、嫌じゃないのだ。
そう思う自分が不思議で、どう反応していいか分からない。
されるがままになってやがて手が離れると、何となく寂しいような気さえした。
「……またサボリですか」
「まあな」
すたすたと立ち去ろうとするソルの背に言う。
ソルはいつもと変わらない調子で振り返らずに片手を挙げて答えた。
は髪を撫でつけながら反対方向に歩きだす。
が、4、5歩行ったところでくるりともう一度ソルを振り返った。
「……やっぱやめた」
ここで一発文句でも言っておこうかと思ったが、さっきのことで調子が狂ってしまったようだ。
何だかすっきりしない。代わりにカイでもからかいにいくか。
そしてあわよくばお茶菓子にでもありつこう。
きびすを返し、
はカイを捜しに歩き出した。
「……本気なのか」
誰もいない回廊でソルは呟いた。
するとそれに応えるかのように柱から一本の影が伸びた。
「まごうことなく本気じゃよ」
現れたのは聖騎士団団長のクリフ=アンダーソンだった。
ソルと比較すると半分程度の大きさでしかない小柄な体躯の老人は髭の奥で笑った。
「……そうか」
「止めなんだな」
「止めて欲しいのかよ」
「ほっほ。そんなことはこちらから願い下げじゃよ」
いけしゃあしゃあとクリフはそう宣った。
「儂は生涯現役じゃよ」
その言葉に僅かな陰りがあるのをソルは見抜いていた。
この老人自身、全盛期がとうに過ぎていることは承知の上なのだろう。
老いれば衰える。それが生き物の宿命。
その万物の理に反旗を翻した罪、それこそが……
「ソルよ。お主にも目的があるようじゃが、もう少し力を貸してくれるとありがたいんじゃがの」
突然振られた話の意味することを瞬時に理解し、ソルは露骨に眉をしかめた。
「……じじい、てめぇ」
「お主が何を目的にわざわざ儂の誘いを受けたか、気付かないとでも思ったのか?」
……この老人は……
ソルは頭を抱えたくなった。
知っていて団に迎え入れ、あまつさえそれを阻止しようともしないのか。
「……喰えねえじじぃだぜまったく」
「ほっほ。褒め言葉として受け取っておこうかのぅ」
思いきり疲れた様子のソルにクリフはまだなお笑っている。
「その代わりといってはなんじゃがの、ここにいる間はいい働きを期待しておるぞ?」
「……ヘヴィだぜ」