Fortune 17


 本気の、馬鹿者だ。



 ぴゅんっと空気を撫でるような高い音が背後でした。
「や、お疲れさん」
「ええさんも。……この区画はこれで大丈夫そうですね」
 今の音はカイが剣を振った音だろう。
 ……ん?
「カイ、それ刃が欠けてるよ?」
 刃渡りの光の反射が何かおかしいと思ったら、どうやらひびが入っている様子。
 カイは困ったように剣に目を落とした。
「実はさっき代えたばかりなんですが……」
 のところへ来る前に、すでに一度剣が折れてしまっていたのだという。
 その時は仕方なしに志半ばで眠りについた仲間の剣を拝借したのだが、今の状況ではそうもいかない。
「ふむ。じゃ、カイはこの先援護ってことで」
 はしゅたっと片手を上げそう言うなり、衝突音の聞こえる方へ走り出した。
 カイは慌てて追いかける。
「待ってください!ひとりでは危険です!
 それにこういう事態を想定して素手の戦い方だって心得ています!」
 女性に切り込ませて男の自分が後方支援など騎士道に反する。(こんなことを言ったら彼女は怒るだろうが)
 ……本音は騎士道がどうとかより沽券の問題なのだが。
 だが何よりも、さっきまでのの状態を見てしまっているから尚更不安が大きかった。
 追いついて横に並ぶと、まだ幼さの残る横顔がこちらを向いた。
「……頑固者」
 呆れたのか諦めたのか、はそれ以上は言わなかった。
 突き返されることを覚悟していたカイは軽く面食らう。
 彼女は不服そうな声を漏らしはしたが、どうやら本気で突っ撥ねるつもりはないようだ。
 そのある意味予想外の反応をカイは嬉しく思った。
「何笑ってんのさ」
 カイが口元を緩めた気配が伝わったのだろう、の不機嫌な声が投げつけられる。
「いえ何でもないですよ」
 そう言いながら顔が未だにこにこ笑っているものだから、はやや目元を険しくさせる。
 相手になどしていられない、といった風に頭を振って走ることに集中する。
 まだ怖さが消えたわけじゃない。
 また人の死に会うかもしれない。
 それでもただ見ているだけ、何もできずにいたあの絶望感などもう二度と味わいたくないから、だから。

 駆けつけた場には、多くの騎士たちがいた。
 総戦力で相手をしているところを見ると、これが最後の敵、か。
 は今日見てきたギアよりも二回り以上大きなギアの前に立つ。
 周りの傷つき倒れている仲間の姿に、心臓が揺さ振られるような気持ちの悪さを感じた。
 だが迷いを感じている暇はない。
 カイヘ確認することなく、そのまま戦闘の中に割り込んだ。
 攻めあぐねている騎士たちの前に防御方陣を張り、様子見かのような動きで伸びてくる攻撃を風を操り弾き返す。
 かなり苦戦しているらしく、騎士たちに比べギアの損壊は浅い。
 こうちまちまとした攻撃では消耗戦になりこちらが不利なのは明らかだ。
 ここは大技で一気に畳み掛ける方がいいだろう。
 はギアの間合いから外れた位置で足を止め、カイに声を掛け部隊を下げさせようとした。
 だが。
「またひとりで背負い込むつもりですか!」
 いきなり叱咤され、反発するより何より訳が分からない。
 が戸惑っているうちにひとり、またひとりと紙屑のように仲間が吹き飛ばされる。
 このギアは強力な個体だ。
 球体のようなずんぐりとした見た目のくせに、そこから伸びる幾本もの触手は鞭のように素早く予測不可能な動きをして騎士たちを翻弄していた。
 はそんな状況でわざわざ戦闘を中断させたカイの意図が分からずに歯噛みした。
 そしていつの間にかギアから注意を逸らしていた為に、反応が遅れた。
 骨の軋む音が脊椎から鼓膜に響き、後から痛みが来た。
 ……あー、しくじった。
 よろけて後ろにたたらを踏むと、追撃が襲ってくる。
 避けきれないな、と人事のように感じながらそれでも出来る限りは叩き落とし、いなした。
 4本目、反応しかけたときに痛みに腕が痺れた。
 意思とは関係無しに体が傾く。
 やっば……っ
 まともに攻撃を受けることを覚悟して歯を食いしばる。
 だが、その間に割り込んだ影に閉じかけた目を見開いた。
 ついさっきにも同じようなことがあった。
 あって……
「……駄目だ!」
 フラッシュバックした映像に鳥肌が立つ。
 は目の前の腕を掴もうと手を伸ばすが、それより早くその手が彼女の腕を捕らえた。
 割り込んだのはカイだった。
 間一髪のところで彼女に襲い掛かった攻撃の手を切り落とした。
 そのまま安全なところまで彼女の手を引き下がると、カイは溜め息を落とした。
 安堵から出たものだった。
「無事でよか「よくないよ馬鹿!!」
 カイの胸倉に掴みかかり、は怒号を浴びせた。
「何でわざわざ間に入った!?お前も危なくなるだろうが!!」
 突如噴出したの勢いに押され、カイは掴み上げられたまま、驚いたような目でを見つめている。
「あれくらいじゃ死にはしないんだから!放っておけよ!!」
 がしっ
 カイの手が掴みかかるの手首を締め付けた。
 は痛みに微かに顔を顰め、でも睨むことをやめようとはしない。
「よくそんなことが言えますね……」
 普段より幾分低いトーンの声が絞り出される。
 カイは力任せにの手を外しさらに力を込めた。
「放っておけるわけがないでしょう!?
 助けられたことがそんなに不満ですか!?」
 今度はが目を見開く番だった。
 カイに怒鳴られたのは初めてで、不覚にも驚きで動きを止めてしまう。
 そして次の言葉に、は気持ちの行き場をなくしてしまう。
「どうして守ろうとするばかりで守られることを拒絶するんですか!?」
 ぐっと顔を近づけられ、目が逸らせない。
 は、拒絶――しているのだろうか。
 ただ、には力があるから。
 その力で、が皆を守らなければと、そう思ったのだけれど。
 それは傲慢だった?
「さっきも言ったじゃないですか……もっと頼ってくれと。
 私達だって、貴女がそうしてくれるように、守りたいと思っているんですよ?」
 ……いや違う。
 カイが伝えようとしていることは、そういうことじゃなくて……
 ……ああ、は本当に馬鹿者だったようだ。
 あの時、に向けられた目が、笑みが、優しいものだった理由が、ようやく分かった気がした。
 を庇ったあの人は、何の打算もなく、ただ、仲間のひとりとして、助けてくれたんだ。
 意固地にひとりで頑張る必要はなかった。
 は守らなきゃと、そうできる力がある自分がやらなければいけないと、そればかりで、皆のことを信じて頼ってはいなかったのかもしれない。
 『もっと人を、私を頼ってください』
 さっきのカイの言葉の意味を今やっと理解した。
 ひとりで何もかもをやろうとしたって無理なんだ。
 だから仲間がいるんだって。
 それが分かって、いや、今まで知らずにいたことが恥ずかしかった。
 一度目を伏せてからカイを見上げる。
「……ありがとう」
 大切なことに気付かせてくれて。
 知らないでいても生きていけるだろうけど、知っている方がきっと、いい。
「何か分かった気がする」
 照れたようには笑った。
 カイはそのの表情にぎゅっと胸が苦しくなった。
「でね、もう大丈夫だから」
 は言って握られたままの手首にちらりと視線をやった。
 それにカイは慌てて指を解く。
「す、すみません!痛かったですよね?」
「………………
 あーもーめっちゃ痛いワーきっと骨折れてるよー」
 その長い間は何だ。
 そう突っ込みたいカイだったが、こちらに非があるのは認めざるをえないので堪えるしかなかった。
「よし、じゃあ行きますか」
「ちょっと待った」
 があまりにも普通に戦線復帰をしようとするものだから、カイはつい口調が変わってしまった。
「ここは我々に任せて――」
「カイ言ったよね、放っておけるわけがないって。だって仲間が傷付いているのを見過ごすわけにはいかないよ。
 ……それに、勝機があるのに逃す手はないでしょ」
 カイは一瞬耳を疑った。
 勝機なんてものが、そんなに簡単に見つかったのか。
「いいかい、ちくちく攻撃していたって徒らに時間が過ぎるだけだ。だったら大技でドカンと一発だね……」
「そんな簡単にいけば苦労はしませんよ」
「簡単じゃないって。だから、手を貸してくれるよね?」
 カイは一瞬目を見開いてから表情を引き締める。
「もちろんです」
 カイの快諾には不敵な笑顔を返した。
「OK。
 ――あれはが凍らせる」