自身、よく分かっていないんだ。
その日の夕刻間際、空いた時間に
はお気に入りの場所に来ていた。
時間があるとき、天気がいいときに来る場所。
それがここ。
建物の南側……崖とまではいかないが急斜面になっていて、他の建築物もなければ人もいない。
だけれど実は建物沿いに寝転がれるくらいのスペースがあったりする。
日当たりがよい上に建物のどの窓からも死角で人目に付かないという絶好の昼寝スポット。
カイも知らないのだろうこの場所が、
のお気に入りだった。
が、今日は初めて先客がいるようである。
壁面に背を預け少しも楽しくなさそうに煙草を吹かしている人影に近付いてゆく。
「こんちはッス」
数歩分離れた所から声をかける。
「……」
「無視かこのやろう!」
は持っていたタオル(枕代わりに使おうとしていた)をぺしっと地面に投げつけた。
「っていうかソル!まーた訓練サボって……カイがキレてたよ?」
カイの名前にソルは露骨に嫌そうな顔を浮かべる。
「……めんどくせ」
「どっちが?訓練?それともカイ?」
「両方だ」
当たり前だろと言わんばかりにむすっとした声が吐き出される。
……本っっ当に面倒くさいんだろうなぁ。
はソルが哀れに思えて曖昧な笑みを浮かべた。
ソルはそのまま壁にもたれ、どこか遠くに視線を向けたまま口を開いた。
「奴の肩持つくせによく逃がしてくれたな」
単語ではなく文章を喋ったことに少々驚きながら(失礼)、
は先ほどのことを思い出す。
「んー、気まぐれともうひとつはソルが大変そうだったから」
そう答えたが、ソルからの返事はない。
もとよりまさか彼の口からありがとうという言葉が出るのを期待していたわけではないので、
は別段気にしなかった。
代わりに、もうその話は終わったことを示すようにソルの口から吹かれ昇っていく煙に注意を移していた。
「ねえ煙草って美味しいの?」
「……別に美味いとは感じねえな」
「は?じゃあ何で吸ってんの?」
座るソルの隣にしゃがみ込む。
するとソルの眼だけがこちらを向いた。
ヘッドギアのせいで普段隠されがちな目が今はしっかりと見えた。
人を寄せ付けまいとする鋭さを湛えた彼の赤茶の瞳を、
は正面から臆することなく見つめ返す。
すると。
ふっ
「……っ!?けほっけほっ」
不意に顔面に吹き付けられた煙に、
は吃驚してせき込んだ。
それにソルはにやにやとした嫌な笑いを向けている。
「ごほ……っ、ぁにすんだこのやろう!」
思い切り吸い込んでしまったため喉から鼻から沁みるような刺激が響く。
は目尻に涙を滲ませキッとソルを睨みつけた。
そんな
にもソルはくく、と笑いを漏らすばかりだ。
「こっんな煙いだけの黒煙が美味いはずない!
ついでに周りにも迷惑だ!美味しくもないなら止めてしまえ!」
びしっとソルを指さし、
は偉そうに言い放つ。
終いには「煙草はな、周りにいる人間の方が害をもらうんだぞ!毒だ毒!」と、説教じみたことを言い出す始末。
だがソルは特に気を悪くした様子は見せずに口元から煙草を離した。
「美味いから吸ってんじゃねえ。一種の精神安定剤だ」
煙草は麻薬に近いからな、とソルは
には目を向けずまるで独り言のように言う。
彼女が黙ったのに気付きそちらを見やれば、何故か驚きを表すように目を見開いていた。
「……意外に繊細?」
へーと声を漏らしながらまじまじと見てくる
にソルはげんなりしたような顔を見せた。
もちろん怒っているのではない。呆れているのだ。
「……お前は何で俺に寄ってくる」
ソルは溜め息をついた。
最近、彼女は自分に会えばついてくるし気が付けば周りをチョロチョロしている。
大体、
が自分のところに来るたび特定のある人間が殺気を向けてくるのだ。
まったくいい迷惑でしかない。
何を考えて、何が目的で自分に懐く様な行動を取るのか。
一体どんな理由が返ってくるのだろう、と、わずかに期待のようなものをもちながら待つ。
だがしかし、
は至極あっけらかんとこう答えた。
「さぁ?」
「……何だそれは」
反射的に口から落ちそうになった煙草を手で押さえる。
「分かんない。面白いからかもしれないし楽しいからかもしれないし」
の曖昧な答えにソルは三度呆れはしなかったが、どこか脱力感を感じた。
だが
は自分から外された視線は特にかまわず、マイペースに言葉を続ける。
「でも、何となく懐かしい……かな」
「……懐かしい、だ?」
意外すぎる返答にソルは再び
に視線を向けた。
「賞金稼ぎだからか」
彼女も元はその世界に身を置いていたというから、それが理由での錯覚なのだろうと予測した。
だが、こちらから問えば
は決まりが悪そうに首を捻った。
「そう……なのかな?」
うーん、と首を傾げたまま唸り、どこか納得がいかない様子だ。
悩み出した
の横でソルも何か思案している様子で静かに煙草を吹かし続けていた。
今度は
に煙がかかることはなかった。
しばらくしてソルの方が先に思考を打ち切ったようだった。
そして、待ってはみたものの一向に答えを出せそうにない彼女に痺れを切らせたのか、 彼は一際大きく煙を吐いて髪を掻きあげ言った。
「感覚でモノ言われても伝わらねえよ」
岩に擦りつけて火を消す。
辛辣ともとれるソルの台詞に、
はあははと空笑いのみを返した。
懐かしいとは自分でもおかしなことを言ったと思う。
でもソルの空気はそう感じさせる何かがある。
それがどうしてか分からなくて、悩んで、考えている内に、
は瞼が重たくなってきていることに気付いた。
ふわふわとした眠気が体中に広がり始める。
それに抵抗する理由もなかったので(もともと昼寝をするつもりでここにきたのを思い出した)、彼女は思考を途中で放棄し、あくびを一つしてごろりと横になった。
ソルがその気配に気付いて横を見るとすでに、彼女は半分舟を漕ぎ始めていた。
「おい……」
まさかこの場でこのまま寝るつもりか。
ソルはぎょっとして彼女に声をかけかけたが、それくらいで
が起きるはずもなく、瞬くうちに眠りの世界へ旅立ってしまった。
その一連の動作のあまりの早さにソルは呆気にとられた。
自分のすぐ脇ですやすやと安心しきって眠る彼女を尻目に、疲れたような溜め息をついている。
無頓着な女だ……これじゃあ坊やも気苦労が絶えないな。
性に合わない奴だが、今だけは同情してやる。
まったく大したお姫様だ、とソルは立ち上がった。
だが足元の
を見下ろし、溜息とともに再び座り込んだ。
がりがりと頭を掻く。
……しばらく寝かしといてやるか。
普段他人に気を使うことなどしやしないソルですら起こすのを躊躇ってしまうほど、
の寝顔はあまりに気持ち良さそうだった。
こんなところを坊やに見つかったら問答無用で雷撃が飛んできそうだがな、と嫌な予想をしてしまい舌打ちをする。
だが見つからなければいいだけの話。幸いここはそう簡単に見つかる場所じゃない。
とりあえず難は避けられるだろうと高をくくり、どうせなら自分もサボりの続きをしようともう一度壁に背を預け息をつき緊張を解いた。
本当にらしくない。
何だかんだで自分もこの少女を邪険にできないでいることに気付く。
要するに気に入っているということだ。
自分にしては珍しいと感心してみる。
……だが。
何かに思い当たったように、ソルの表情が幾分か険しくなる。
彼女には何かを感じる。
具体的に言い表すことのできない何かだ。
もやがかった感覚の気持ち悪さの中、ちくりと頭が痛み、一瞬だけ何かが脳裏に浮かんだ。
……馬鹿馬鹿しい。
ソルは考えかけていたものを消し去る。
これでは棚上げだ。
先程傍らで眠るこの少女に感覚でモノを話すなと言ったばかりではないか。
まったく馬鹿げている。
壁にもたれ掛かかると自然と視線が上を向く形となり、これから沈もうとしている太陽が目に飛び込んできた。
ソルはそれを忌々しく睨みつけるようにして目を細めた。