Fortune 14


 信念なんて大層なこと、考えたことなんて。



「そういえば、さんは何て刻むつもりなんですか?」
 問いかけられ、しかしその意味が分からなかったはカイへ首を傾げてみせた。
「何を刻むの?」
 ああ、そういえば自分は彼女に話していなかったのかもしれない。
 うっかりしていたなと反省し、カイは聖騎士達がベルトのバックルに自分の信念やら座右の銘やらを決意を込めて刻みつけることを話した。
 するとは感心し、そして悩みだした。
「あ~すぐには思い浮かばないよ~」
「まあそんなに急ぐこともないですよ。ゆっくり考えて下さい」
「うーん……」
 変なところで凝り性の彼女。
 今も本気で考えを巡らせているのだろう。
 は唸りながらふとカイのバックルに目を留めた。
「カイは何でその言葉にしたの?」
 刻まれた誓いは『HOPE』
 カイはひんやりとした金属製のバックルに触れ、そっと目を閉じた。
「我々が護るべき人々にとっての希望になりたいと、そう思うからです」
 自分の戦う力が守るために使えるならば、全身全霊をもって戦い抜くという覚悟。
 その初心を忘れぬ為に入団したその日に刻みつけたのだ。
 呆れるほどの真人間だと思ったが、は本当に呆れたりはせず、ふっと小さく笑いを漏らしただけだった。
「うん、カイらしいね」
 他の人間がこんなことを口にしたら思い上がりか阿呆なのかどちらかだが、彼が言うと納得できてしまうから凄いと思う。
 照れたように笑うカイにはもう一度笑顔を向けた。
 ふむ……さて、は何て刻もうか。
 改めて周りを見れば、なるほど、皆何か言葉を刻んでいる。
 それぞれにそれぞれの思いが込められているのだろう。
 やや逡巡してから、は口元に手をやりボそりと呟いた。
「CAPRICE……なんて刻んだら怒られそうだなぁ」
さん……」
「冗談だから怖い顔しないでよ。ぱっと思いついた言葉がそれだっただけだって」
 まさかそんな言葉にはいくら何でもしませんよ。
 “気紛れ”なんて言葉を掲げる聖騎士、だって嫌だ。
「ま、変な言葉選べないからね。助言通りゆっくり選ぶよ」
 ちょうど会話の区切りがついたと思われたそのとき。
「……またあいつは」
「へ?」
「すいませんさんちょっと急用ができたので行ってきます」
「?いってらっさい」
 ひらひらと手を振るが、カイは一目散に階下へ駆け下りて行ってしまった。
「何だぁ?」
 何を見つけたのか気になり、カイのいた場所に立って視線の方向も合わせてみる。
 ……すると窓の外、日陰で相変わらず煙草を吹かすソルの姿が確認できた。
「懲りないねぇ……」
 ソルはカイに何度注意されても喫煙を止める気は無いらしい。
 (一応補足しておくが煙草自体は禁止されていない。喫煙場所が定められているだけだ。そしてソルはそれを無視して好き勝手な場所で煙草を吸い始めるから目くじらを立てられている)
 というより、ソルは止める気云々の問題以前に規則を破る事など気にもしていないのだろう。
 はっきり言って無駄なことだと傍観するは、凝りないのはむしろカイの方だと思った。
 あれだけ躱されておちょくられて、よくもまあ毎回怒鳴りつけられるものだ。
 ……主な原因が先日の手合わせなのは分かっているけれど。
 あの時は事故で勝ちがカイの足元に転がり込んできただけのこと。
 そしてカイはそれを拾うことを良しとしなかった。
 実質カイは(本人は認めたくないだろうが)ソルに敵わなかったのだ。
 若年ながら隊長を務めていることもあり、彼には相当なプライドがあったはずだ。
 それをあんな決着にもならない決着で締めくくられてしまっては堪ったもんじゃないだろう。
 結果がこの有様だ。
 手合わせ直後は落ち込んでいたかと思ったが、今では以前にも増してソルにしつこく付き纏ってはことあるごとに叱責をたれている。
 ソルも大変だなぁ……。
 はそんな同情めいた思いでソルを見下ろしているが、落ち込んでいたカイをこうなるように焚き付けたそもそもの原因は彼女だったりするのだから性質が悪い。(もちろん本人は無自覚)
 彼女は友人として当然の如く、沈んでいたカイへの救い舟を出しただけだったのだが……
 「目標にすればいい」というの言葉をカイがどう捻じ曲げて敵意むき出しのライバル心に変換したのかは不明だが、それで彼は意志を固めてしまったようだった。
 そうやって色んなところで意図と意思が噛み合わずに、今の状態となる。
 もしも事情を理解している第三者が今の状態を見た場合、どう見ても、一番のとばっちりは他ならぬソルだと憐れむだろう。
 ……おや。
 ついじっと見てしまったからか、の視線に気付いた様子のソルが顔を上げた。
 見たところカイはまだ到着していないようだ。
 よし、偶にはソルに味方してみようか。
「逃げた方がいいよ」
 声には出さず、くいくいっとジェスチャーで伝える。
 ソルは怪訝な顔を向けてきたが、知った気配が近付いてくるのを感じたのだろう、やれやれといった表情で腰を上げる。
 煙草は壁に擦り付けて揉み消され、気怠げな背中が遠ざかっていく。
 去り際ソルがの方を見ることはなかったが、長い茶色の髪とともに肩口で片手が軽く揺れていた。
 あれが彼なりの礼なのだろうか。
 は見えていないと分かっていたが、ほぼ反射的に手を振り返していた。
「……カイには悪いことしたかな」
 角に消えた彼の姿から視線を上げ、尖塔の天辺ではためく旗を見やる。
 気まぐれでソルの味方をしてみたが……
 急いで走って、今度は何と言って注意してやろうかと考えを巡らせて現場に着いてみればそこはもぬけの殻……だなんて腹立つだろうな。
 悪い悪いと思いつつも、何だかおかしくてくく、と喉から笑いが漏れてしまう。
 こりゃあ午後からの訓練も荒れそうだ。
 訓練といえば、あの調子だとソルは今日も(自主休養という名目で)いないのだろうな。
 その時のカイの悔しそうな顔を想像しながら、は彼が息を切らせて姿を現すのを窓辺に肘を突いて待っていた。
 もしかしたら手引きをしたと疑われるかもしれないが、そこはそれ、知らんぷりを決め込んでやる。
 だってカイのお説教をわざわざ受けようという気にはならないのだから。