Fortune 11


 懐かしい空気だなぁ。



 がこの聖騎士団にやってきて早2ヶ月が経とうとしていた。
「朝の礼拝も遅刻しないようになったし~」
 燦々とまだ昇りかけの太陽が輝いている。
 初夏らしい爽やかな日差しに無意識に鼻歌を口ずさんでしまう。
 今日の訓練は午後からであり、昼前のこの時刻は自由時間だ。
 は聖騎士団本部の建物の外壁のあたりをのんびり歩いていた。
 特にすることもなかったのでこうして散歩を楽しんでいるのだ。
 ゆったりとした時間が過ぎる中、今が歴史上最悪の戦時中であるとは考えたくなかった。
 うーっと大きく伸びたところで、の耳が遠くから聞こえる声を拾った。
 ……カイ?
 声の聞こえる場所は下の方、この聖騎士団本部の入り口に当たる護衛の間付近だろうか。
 は手近な柱に手を掛けると身軽に塀を乗り越え、よく見えるところまで一息に外壁伝いに駆け下りた。
 建物と建物とを繋ぐ渡り廊下の上で足を止め、ひょいと身を乗り出して下を見下ろす。
 門の前……いやもう敷地の中にその人物らはいた。
 カイと他の団員二人(服装から見ておそらく守衛だ)、そして彼らと向かい合うように佇んでいる男がいる。
 距離があるここから見ても分かる。
 その身に纏う空気には妙な懐かしさを覚える。
 ……あれは賞金稼ぎだ。
 あの手のぴりつくような威圧感は2ヶ月前までの身近にあったものだ。
 「でもカイが出てってるってことは……ただの不審者じゃないのかな?」
 は何てことはない単なる野次馬根性で下の様子を観察することにした。


「待て。ここより先は関係者以外立ち入り禁止だ」
 カイが一歩前に出てそう指摘すれば、男は実に面倒くさそうに髪をかき揚げた。
 その動作で額の赤いヘッドギアに刻まれた“Rock You”の文字が一瞬だけ露わになった。
 なんとも物騒な言葉である。
「……じじいはどこだ」
 低音のよく響く声がカイに振りかけられた。
「何のことだ?」
 眉根を寄せて男を見上げる。
 この不審者尋問されている男はカイよりも二周りほど大きかった。
 いや、体格に関してならば2倍と見てもいいかも知れない。
 使い込んでいるようなマントの下に隠れてはいるが、布越しでも体格の良さが浮き上がっている。
 その立派な腕を鷹揚に組みながら、男は首をこきりと鳴らした。
「クリフのじじいだ」
 聖騎士団団長クリフ=アンダーソン。
 何百何千という騎士をまとめ上げ、ドラゴンキラーの異名を持つ人間。
 老体ではあるがその戦闘能力、指揮力は凄まじく、カイのもっとも尊敬する人物である。
 それをじじい呼ばわりされ、カイは敵意を隠しもせず男を睨みつけた。
「どんな用があるかは知らないが貴様などをクリフ様に面通しさせるわけにはいかない」
「……あ?」
「即刻立ち去れ」
 カイの物言いに男が目を細めたところだった。
「待てカイ」
 ひょこひょこと建物の中から一人の翁が現れた。
 頭は白いもので覆われているがその足取りはしっかりとしていた。
 何より、眼光が老いとはかけ離れていた。
「クリフ様」
 カイは姿勢を正して向き直る。
 それをクリフは手で制してから剣呑な様子の男に顔を向けた。
「よく来てくれたなソル」
 髭の奥でふっと笑う。
「約束通り来てやったってのにずいぶんなもてなしだな」
 男、ソルは不満を漏らした。
「部下の無礼はわしから謝ろう。すまなかったな」
 そのやりとりに面食らったのはカイだった。
 呆然とした様子でクリフと、ついさっきまで自分が不審者扱いしていた男とを交互に見やる。
「クリフ様の……お知り合いで?」
 カイの問いにクリフは呆れたように溜め息をつく。
「そうじゃ。まったく早とちりしおって……」
「も、申し訳ありませんっ」
 恐縮するカイにクリフは笑みを浮かべる。
「まあよい。こやつじゃがな、先の遠征中わしがスカウトした男での」
 クリフが視線を向けても男は無反応だ。
 それでも気にせずクリフは続ける。
「ソル=バッドガイという。凄腕の賞金稼ぎじゃよ」
 その紹介にカイは先ほどより一層目を丸くした。
「じゃが今日より我が聖騎士団の一員じゃ」
 クリフがぽんとソルの腕を叩く。
 赤茶色の双眸が少しだけ動いた。
 カイはそれが自分に向けられた瞬間、口を開いた。
「私はカイ=キスク、第一大隊の隊長を務めています」
 ほとんど反射的な名乗り方であったが、気後れするわけにはいかないという思いがあったのかもしれない。
 言って右手を差し出す。
「先ほどは失礼しました。これからよろし
 す
 ソルは喋るカイの横を通り過ぎた。
 カイは固まったまま動かない。
「おいじじい。ここはそんなに人手不足なのか?」
 クリフの正面まで移動し、ソルはくっと親指でカイを指した。
「あんなガキが隊長だと?」
 その言葉にカイは体中の血が沸騰したかのように感じた。
「どういう意味だ」
 だが口から出る言葉は冷ややかなものだった。
 敵意を込めてソルを睨み上げる。
「まんまの意味だがな」
「撤回しろ」
「あぁ?」
「貴様などに子供扱いされる謂われはない」
「こりゃ、止めんかカイ」
 矢継ぎ早に飛び出すカイの挑戦的な台詞をクリフが止めに入る。
「しかしクリフ様」
 その制止にカイはソルから視線を逸らさず反応する。
 ぎり、といつの間にか食いしばっていた奥歯が軋んだ。
「……ったく、だからガキだっつってんだよ」
 ぼそりとつぶやかれた言葉。
 それだけで今のカイを逆上させるには十分であった。
「貴様……一度ならず二度までも!」
 ばちり、とカイの周囲の空気が放電し出す。
 まずい。
 危険を察知し、は傍観していた場所から空中に身を躍らせた。
 ソルが何かに気付き上空に意識を向ける。
 一瞬遅れてクリフと他の団員がそちらを見上げた。
 ばさ……たとんっ
 一つに括られたアッシュブロンドの髪が白いケープの上で揺れる。
 カイは目の前に軽い音をたてて降ってきたその人物に呆気に取られたような顔になる。
さ……」
 ずい
「こっの大馬鹿!!」
 至近距離に詰め寄られ、カイは軽く上体を引く。
 彼女のブルーグレーの瞳に映りこむ自分の姿がひどく滑稽に見えた。
 カイの体から法力が霧散したのを感じて、はふう、と息を落とす。
「あのな、イラつき加減も分かるけど頭冷やせ?」
 突きつけていた指を引っ込め、は溜め息とともに肩を落とした。
、お主はまた危ないことを……」
「ワリ、じっちゃん。でもここ壊れるよりはマシっしょ?」
 クリフの呆れた声にもは笑って返事する。
「確かにお主が割り入ってくれなければ危うかったしの」
 この門が、とクリフが肩を竦めると、は更に口の端を持ち上げてみせた。
「ほら、お手柄でしょ?」
 二人はそこで会話を止め同時にカイを見る。
 それにカイはやっと頭に昇っていた血が戻ったのか、一瞬で顔を青くさせ慌てだした。
「も、申し訳ありません!」
 思い切り頭を下げるカイにクリフとは顔を見合わせて苦笑いだ。
 そこでふと、クリフの肩越しに赤茶の瞳と目が合った。
「ご迷惑おかけしまった」
「……」
 がしゅぴっと片手を上げてそう言うと、その男は無言で見返してきた。
「……またガキが増えやがった」
 その台詞にのこめかみが少しばかり引き攣った。
「誰がガキじゃ。一言多いなぁ」
 これ相手じゃカイがキレるわけだ。
 は心の中で溜め息をついた。
「……あれ?」
 記憶がフラッシュバックする。
 この男、以前に会っている。
 じっと見上げ、記憶を辿る。
 ……あ。
「ああ、ギルドで会った無愛想な賞金稼ぎだ」
「あん?」
「2ヶ月くらい前。確か会ってるよ」
 そうだ。
 あれは聖騎士団に入る直前のことだった。
 それであの後街の外でカイに会ったんだ。
 あれ?あの場にはこの男はいなかったのかな。少し時間が経っていたからもう街を移動した後だったのか。
「……あの時のガキか」
 ガキという単語に反応しそうになるがここは耐える。
「どーも、その時のガキです」
 言ってはあることに気づく。
 ……やけに注目されている?
 何だか気まずくて視線を彷徨わせ、もう一度戻す。
 ――やっぱり見られている。
「宿舎にご案内しましょう」
 とソルの間にずいっと出てきたのはカイだった。
 視線が遮られては幾分かほっとする。
「それでよろしいですかクリフ様」
「うむ。任せよう」
「かしこまりました」
 クリフの了承を得、カイはソルに向き直る。
「ではついてきて下さい」
 カイが有無を言わせず歩き出すと、ソルは仕方なしといった様子で気だるげに動いた。
 それにもついていく。
さん、貴女はいいですよ」
「いや、君ら二人だと何やらかすか分からんし」
 間髪入れずそう答えたにカイは先ほどの自身の失態を思い出し、何も言えなくなった。
 諦めて歩き出したカイの後をソル、そしてその更に後ろからがついていく。
 前を歩く二人をは道すがら観察することにした。
 模範的で規律を重んじるカイと、見るからに荒事慣れした色々自由そうなソルという男。
 面白いほど対照的だ。
 それがカイにとっては多分にやり辛いんだろう。
 初めて会うタイプだろうしね。
 一方ソルは無関心そうできっちり痛い突っ込みをしてくるし……相性悪いんだろうなこの二人。
 この先、聖騎士団本部は破壊されずにすむのか……
 刺々しい空気を撒き散らす二人の背中を見つめ、そう不安に思うであった。