さて、そろそろ頃合いだろうか。
体感で何倍も速くなった踏み込みを
は「げ」と声を漏らしながらも寸でのところで避ける。
慣性の法則が適応しないのかこの男は。
巨大な武器を担ぎながら見せた初動の速さとその重量を感じさせない滑らかな動きに賞賛の念を抱く。
伊達に地上の最後の希望と呼ばれる集団ではないということか。
振り切られたはずの刃がすぐさま返され戻ってくるのを
は読みきれず、すぱっとケープが裂けた。
それは皮膚まで届いていたようで、じんわりと血が滲んでくる。
あーもう初日で服破っちゃったよ、と今はどうでもいいことを考えられるのはまだ彼女に余裕があるからか。
時間が経つごとに弱まるどころかより激しさを増す応戦にカイすらも息を呑む。
幾ばくの時間が過ぎた頃。
ふと気を抜いたのか
の軸足がバランスを崩した。
男は一瞬の隙を見逃さず、
目掛けて一閃、振り下ろす。
だが
も辛うじて体を後方に飛ばし凌ぐ。
――が。
がまずったと顔を顰める。
男はその表情を見逃さなかった。
グオンッ!
横薙ぎに唸り声を上げる斬撃。
はそれをまともに体に受け横方向に吹き飛んだ。
……っどがんっっ!!
轟音をたて、壁に激突し岩を崩す。
――昇る土煙、それ以外に動くものはない。
周囲が固まる中、カイが飛び出した。
「
さん!」
あの一瞬、彼女が防御の形を取っていたのは何とか確認できた。
だが、よしんば打撃は防げたとしても無防備な背中から壁に激突したのだ。
常識で考えれば無事で済むはずがない。
レベルの高い応酬に気を取られ助けに入れなかった等言い訳にもならない。
何故こんな惨事が起きる前に止められなかったのか。
カイは瓦礫に手をかけもう一度叫ぶ。
「
さん!」
がらり。
切羽詰った叫びに応えるように、瓦礫が一つ転がり落ちた。
「……あー吃驚した」
場に似合わない、どこか間の抜けた声が下から聞こえた。
がらがらがら……っ
ぺっぺっ、と口に入った砂利を吐き出しながら
が瓦礫の山から顔を出した。
「今のはちょっと危なかった……」
よいしょ、と反動をつけて穴から這い上がる。
その様子はカイの心配をよそにあっけらかんとしたものだった。
「無事……なんですか!?」
カイの声は安堵よりも驚きの色の方が強かった。
無傷、とまではいかないが、激突死してもおかしくないほどの衝撃を受けたにしては軽傷すぎる。
たとん、とカイの目の前に降り立ち、
は乱れた髪と服をぱぱっと簡単に正した。
そしてにかっと笑う。
「あー無事無事。
頑丈だから」
「そんな一言で済む問題ですか!?」
カイの意見はもっともだ。
あれだけ派手に突っ込んであまつさえ壁まで破壊しているというのに、何故五体満足なのか。
「さーって、反撃いきますか」
はまだ何か言いたげなカイを置き去りにし、ひょこひょこと軽い足取りで前へ出る。
彼女が首をこきりと鳴らせば、呆然として突っ立っていた相手が慌てて構えをとった。
彼自身やり過ぎたかと冷や汗をたらしたところだったのだが、予想に反しての彼女の様子に少しばかり怯む。
群衆もあっさりと彼の勝利で終わるだろうという安易な決め付けが覆されたことに息を飲み、注目する。
その中を
はふらふらと無造作に歩きだした。
殺気も何もなく、それがかえって不気味であった。
……右か……左か……
男が神経を研ぎ澄ます。
緊張からか、足元にひんやりとした空気が纏わりつくような感じがした。
次の瞬間
の姿がぶれた。
男は
の姿を追うかのように、ばっと体を反転させた。
そして視界の端に映ったものを追いすぐさま頭上に意識を向ける。
「上か!」
「残念ハズレ」
いつの間にか彼の背後――つまり先ほどから見れば彼の真正面――に
はいた。
男がそれに気付いたのは、反転した視界の中であった。
どざしゃっ!
青い空が目の前に広がり、彼はいくらか遅れて背中に軽い痛みを感じた。
投げられたのだと理解できたのはそのさらに後。
今の一連の動き……
は何も複雑なことなどしていない。
前に進んだだけ。
ただその途中に仕掛けられた彼女のトリックにほとんど全員が惑わされてしまっただけだ。
はどうやったのか、あの瞬間、蜃気楼のような虚像を作り出した。
その錯覚により男は彼女の姿を見失ったと勘違いし、その場所から意識を逸らしてしまった。
後は簡単、背中を向けた彼まで近付き、がら空きの背中を投げ飛ばしたのだ。
ただそれはとんでもないスピードであったが。
その一部始終を理解していたのは当人達を除いてカイだけだった。
の実力の高さを改めて肌で感じ、戦慄とともに感嘆の息を漏らす。
もしかしたら少なからず畏れさえ持ったかもしれない。
にゅ
「どーよ、これで納得いった?」
空との間に現れた無邪気な笑い顔に男は感服したとばかりに目を閉じた。
「……強いなお前」
「まあね。小さい頃じっちゃんに鍛えられたから」
の返答に男は小さく疑問符を浮かべたが「そうか」とさして気にも留めず流した。
だがその言葉の意味を正確に理解したカイは驚愕に目を剥いていた。
「な……っ、貴女はクリフ様に指導を受けていたのですか!?」
少し考えれば解るはずだった。
クリフに拾われ、高い戦いの技術を持つ
。
結びつけるのは容易かったはずなのにそうできなかったのは、余りに色々なことが一度に起こっていたからだろうか。
「うん、そう」
尊大ぶるわけでもなくけろりと返答した
に周りの団員達の表情が面白いほど引き攣る。
……そりゃ強いわけだ。
ていうかそれを早く言え。
倒れていた男も例外なくそう思ったようで、どこか気の抜けた様子で上体を起こした。
がそれに手を伸ばす。
男は苦笑してからその小さな手を取った。
その後、
は一挙にその名を団内に広めた。
数日の内に違う隊の人間にまで顔を覚えられるほどだった。
その理由は女性ながら第一大隊に配属されたせいだけではなく「クリフ団長の秘蔵っ子」とかいう少々誇張された情報が流れていたからである。
そして入団翌日に団内でも有数の実力者である団員を返り討ちにしたこと、それが良くも悪くも噂の真実味に一役買っていた。
……噂の不思議なところとは、当の本人にはほとんど耳に入らないこと。
もちろん今回もセオリー通り、
は自分がそう陰で囁かれていることなど露も知らないでいる。
その為かどうかは知らぬが、彼女は気負うこともなく、いつもの調子で生活していた。
ひとたび訓練となれば目を見張る強さを発揮したが、普段はどこにでもいるような、明朗快活で少しばかり大雑把な普通の少女だった。
そのギャップが周囲に興味を抱かせたようで、
が入団して一週間が経とうとしている最近では、初めは遠巻きに様子を見ていた者たちも徐々に彼女に話しかけるようになってきており、彼女の周りに人が集まる光景も珍しくなくなってきていた。
そんな状況の中、あまり根掘り葉掘り聞かれては
が困るだろうとカイは気を利かせ(たつもりで)なるべく一緒に行動するようにしていた。
結果は彼の思惑通り、自分達の上官がいる場である種果敢な行動を起こせる者はそうおらず、
の周囲が必要以上に騒がしくなることはなかった。
その後もカイは持ち前の責任感の高さからなのか、
の防波堤でもあるかのように出来る限り共にいることを決めたようだった。
としては、入団時に多少のいざこざを起こしたせいでこれ以上問題を起こさないよう自分のことを見張っているのだろうか、とカイの行動に初めの頃は勝手なプレシャーを感じていた。
しかし怒っている素振りが見えないことで一週間ほど経った今では気にする必要はないか、と楽に話をできるようになっていた。
「
さん、ここの生活には慣れました?」
朝食の席でカイがそう質問した途端、
の目が据わった。
「……朝早すぎ」
今まで賞金稼ぎとして日々を自由に暮らしていた
にとってここでの規則正しすぎる生活リズムは順応するのに苦労するものだった。
仕事によっては早朝からの護衛、なんてものもあったが、基本的に好きなときに起きて好きなときに食べて好きなときに寝る生活だったのだ。
きっかり時間通りに全てが動く聖騎士団内で、この短い期間の内、何度時計を壊して回ろうと思ったことか。
「規則正しく生活した方が精神的にも健康ですよ」
「
その点は不健康でいいや……」
げんなりしたように
は欠伸をかみ殺す。
「……あ」
ふと
が眠たげな目を擦りながらカイの背後を見上げた。
カイが振り返れば先日のあの団員が立っていた。
どこか複雑そうな顔をする彼を目に止め、
はぽんと手を打った。
「
に負けた人だ」
「ひでぇ言い方だなオイ!」
そのあんまりな一言に男は情けないことに涙目だ。
だがカイ(自分の部隊の隊長)の手前、すぐに居住まいを正した。
そんな彼の目の前でカイは
に半眼を向けていた。
「歯に衣着せるって言葉知ってます?」
「日本の諺なんて知らないよ」
「知ってるじゃないですか」
「ああ、あとカイみたいのを『揚げ足を取る』っていうことは知ってる」
「喧嘩売ってます?」
「いやいや、
は特売セールで買う専門ですよ」
トントンいいリズムで展開される会話に男はその強面の目を丸くしていた。
突っ込み合いに一区切りがついたとき、カイが懐中時計を取り出し視線を落とした。
ぱちん、という小気味よい音に男は停止していた思考を元に戻す。
「私はこれから会議に行ってきますが……いいですね
さん、くれぐれも揉め事は起こさないでくださいよ」
「だからお前は
を何だと思ってるんだ」
頬を膨らませる
に一度微笑んでから、カイは席を立ち、その場を後にした。
ややあって、男が口を開く。
「……あんな隊長は初めて見た」
「へ?」
さて自分もどこかで時間を潰そうと一歩踏み出したところで、
は振り返る。
「ああやってふざけることもできるんだな」
感心したような声音に
は首を傾げる。
「カイはいつもあんなもんじゃないか?」
突っ込みがないことの方が少ない。
は今まで見て接してきたカイを思い起こすが、やっぱり今の様子のどこにも珍しいことなどなかった。
出会ったときは確かにお堅いイメージだったが……うん、喋るようになったときから今のままだと思う。
あ、でも段々突っ込みが厳しくなってるかも。
「お前のおかげってことか」
「何だよ
が何したって」
「いや、悪い意味じゃねえよ」
男は面白いものを見るかのように
へと視線を向ける。
それがどうやら
には不服なようで、むっとした様子で睨み返してくる。
おかしな奴だ。でもだからこそなのかもしれない。
馬鹿にされているのかと抗議するような目を向けてくる
にかまわず、男はくつくつと笑っていた。