時は22世紀、今より少し未来の時代。
最近またギアが近くに出たらしい。
道を歩けばそんなことを噂する住人たちがそこかしこで目に付いた。
ギアとはかつて100年ほど昔に人の手によって作り出された生態兵器であるとされる。
それらは作り出されて間もなく、自我を持つ個体の出現を機に人類へ反旗を翻し宣戦布告を行った。
その後現在に至るまで、人類対ギアの長い戦争が続いている。
並の人間ではまず近付くことすらできない凶悪な兵器。
世界中が張り詰めた空気の中、それでも人々は強かった。
怯えて生きることを良しとせず、それまで通りの暮らしを続けた。
幸いなことに、ギアの個体数自体は即座に世界中を制圧できるほどのものではなく、世界各地に出現はするものの人類は対抗することが可能だった。
そして世界各国の協力の元、一つの組織が結成された。
その名は聖騎士団――人類の希望を一点に集めた集団である。
彼らの最大の特徴は、強力な法力を有する高い戦闘能力を持つ集団であることだった。
ギアが開発される少し前に公表され瞬く間に世界で運用され始めた新しい魔法理論である法力は、様々なエネルギーとして具現化することが可能であった。
それを戦闘用に極め、常人離れした高い攻撃力・防御力を有する人材が集結したのだ。
しかしそんな彼らでも、100年に及ぶ戦争をいまだ終わらせることができずにいる。
全てのギアを束ねる最強最悪の王、ジャスティス。
それを倒さぬ限り、ギアは滅びないとされている。
人類もいつまでも終わりの見えない戦いに耐えられるわけではない――ジャスティスを倒すのが先か人類が滅ぶのが先か、戦局は激しさを増しはじめていた。
「さーって今日もがんばりますかぁ!」
明るい、というより少々音量の大きい声を張り上げたのは一人の少女だった。
陽の光によく馴染むミルクティーを連想させるアッシュブロンドの長い髪を後ろで簡単に一つにまとめ、肌は長旅でやや日に焼けている。
顔つきは全体的に中性的ではあるがごく平凡、特徴と言えるのは大きめな暗めのブルーグレーの瞳くらいだろうか。
ちなみに額には黒のヘアバンドをしているが、その理由はとある古典ファンタジー小説の女性主人公に感銘を受けた為のオマージュだ。
少年然とした服装と振る舞いをして入るが、れっきとした女性である。
そして彼女は声と同様勢い良くひとつの建物へ向かって歩いていた。
ばたん!と豪快に扉を開ける音が響く。
入った中は昼前の少し涼しい爽やかな風が吹いていた街の通りとまったく正反対な雰囲気であった。
じっとりと蒸し暑いような空気の悪さに薄暗い照明。
いわゆる酒場である。
昼間だというのに酒瓶があちこちのテーブルに乗っかっている。
その中を少女は気圧された様子もなく、ずんずん進んでいった。
店内で酒を煽っていた先客たちも、その場違いな存在の登場に皆一様に手を止めた。
数秒後、顔を赤くして上体をふらふら揺らしていた男がぶはっと汚い笑い声を上げると、その男の周囲がげらげらと騒ぎ始めた。
口笛すら鳴りだし、少女は少しだけ眉を寄せた。
「おーいおいここは子供の来る場所じゃないぜぇ?」
その台詞をしっかり耳で拾いながら、しかし少女は表情を動かさなかった。
なおも笑い声は絶えず、今度は別の男が言った。
「おーおー怖がっちゃってかわいいねぇ」
「ココにはミルクは置いてねえんだがなぁ」
ぎゃははと粗末な木製のテーブルを叩いて騒ぐ男たちに向けて、少女は呆れ顔を隠さずに一言だけ呟いた。
「貧相なボキャブラリー」
ぴしり。
空気が固まるとはこういうことか。
少女は気にも留めずに再び歩き出した。
「まてガキィ!!」
背後の音で、数人が椅子を蹴り飛ばしたのが分かった。
そしてその男達と対照的に、静かに離れた席へ移動していく客もいた。
「大人をおちょくるなんて舐めた真似しやがって!」
「生意気なガキめ!」
ため息をつくように少女は項垂れ、ああもう本当に、お決まりの文句しか言わないんだなぁ、と内心ぼやく。
「今更謝っても許してやらねえからなぁ!」
「覚悟しろ坊主!」
――ぎんっ!
「う……っ!?」
「誰が坊主だって?」
突如鋭い瞳で睨まれた男のうち一人は声を失って冷や汗をかいていた。
「は!てめぇだよ!」
それに気付いていないのだろう、反対側にいた男がいきり立った様に少女に向かって突進した。
が、突き出された彼の拳は空を切り、いなされたと気が付く前に視界が反転していた。
「ぁが……っ!?」
「あらら、飲みすぎじゃない?」
無様にひっくり返って伸びる姿を一瞥し、すぐに興味なさげに視線を外す。
そしてつい先程睨み付けて固まっていた男の方を向く。
「えーと、酔っぱらって転んじゃったこの人のお友達?」
「うえ、いや、その……」
「じゃあそっちの人がお友達?」
「俺じゃねぇ、そいつの連れだ!」
一緒にテーブルを囲んでいたのにあっさり売っちゃうんだなぁ、と呆れを通り越して何だか情けなくなる。
「この人が誰に何を言っていたか聞こえなかったんだけれど、酔いが回って潰れちゃったみたいだからさ、連れて帰ってあげた方がいいんじゃない?」
「お……おう、すまなかったな……」
少女の言い回しから無かったことにしてやるという意味を汲み取ったのか、大の男が自分より一回りも二回りも小さい少女に顔を引き攣らせながら頭を下げていた。
それに満足し、少女もにっと笑う。
そしてちらりと周囲に視線を向ければ、同じく気まずげな表情で目を逸らす奴ばかりだった。
早々に席を移動した奴らは、おそらく
のことを知っているのだろう。我関せずとこちらを見てもいない。
ここでのこういう遣り取りも三回目だしなぁ、と少女は奥の扉に手を掛け、押し開けた。
後ろで男たちの雰囲気が変化したのを感じた。
――賞金稼ぎか!?
小声で言ったつもりだったのだろう、だが彼女の耳にはきっちりと届いていた。
ふっ、と口元に笑みを浮かべ振り返る。
「賞金首の情報があれば買ってもいいよ?」
唖然とした様子の男達に少しだけ気を良くし、少女は扉をくぐった。
「はろーおっちゃん!何かよさそうな仕事ある?」
「ん?……ああ、あんたか。半年振りくらいか?」
「そんくらいかな?ま、またどーぞよろしく~」
けらけらと笑う少女にここの管理者であろう初老の男性は紙切れを1枚差し出した。
「リストだ。だがあんまり目ぼしいもんはないぞ」
「あれ、残念」
受け取って一応目を通してみる。
Resolved……解決済みとなっているものが確かに多かった。
がっくり肩を落としかけたとき、あることに気が付いた。
「……ギアのヤマばっか」
「気付いたか」
「どうゆうことさ?」
小さな窓越しに会話を少し煩わしく感じつつ、少女は先を急がせる。
向こう側の座っている男性は口元のひげを撫でながら、依頼達成者の名を指差した。
「お前さんも聞いたことくらいあるだろ、ギア専門の賞金稼ぎの話」
「あー、単独凄腕のハンターっしょ?」
「ああ、その男が最近この街に滞在していてな。根こそぎと言っていいくらいギア関連の依頼をこなしてるんだ」
「へぇ、すっごいな」
少女も腕前には自信がある分、ギア関連の仕事を一人で受けることの大変さもよく分かっていた。
ギア自体の手強さは言わずもがな、大体が不確かな情報しかない状態で向かわざるを得ない依頼ばかりだから、特に難易度が高くなるのだ。
ついでに言うと難易度が高い割にさほどリターン……賞金額が高いわけでもない。考えれば当たり前なのだが、それを退治したところで誰かの懐が潤うという図式は滅多にないからだ。
それなのに割に合わないその手の依頼を受けるということは、おそらくリスクを相殺できるくらいの相当な実力を持っているのだろう。
そう想像し素直に驚いていると、ふと背後に何かを感じた。
直感的に振り返ると同時、皮袋が眼前に現れた。
「うを!?」
「No.1822047の賞金首だ」
飛び退いた少女の目の前には長身のガタイのいい男がいた。
焦げ茶の髪に赤いヘッドギアが印象的だった。
すす汚れた外套に履きなれているようなブーツ。
ひと目で一般人ではないと分かる雰囲気を持つ男だ。
ヘッドギアのせいでよく目元が見えないが、雰囲気と同じくきっと鋭い瞳をしているのだろう。
あまりにじっと見続けていたのだろうか。
男は剣呑な表情でこちらを向いた。
「何だ」
「いや、カッコイイなと思って」
問われたので素直に答えてみたら、何故か呆れられた。
「ガキに言われても嬉しかねえな」
「誰がガキだって?」
むきぃぃっ!と喚き立てる少女を余所に男は淡々と換金の手続きを進めていた。
「あーもー腹立った!帰る!」
「おー気をつけてなー」
「おっちゃんまで子ども扱いすんな!」
どげし!ずかずかずか……
来た時と同じように(今回のほうが大分乱暴だが)少女は扉を勢いよく開け放って出て行った。
「……旦那、不思議そうな顔してますがあの子も賞金稼ぎですよ」
「……は?」
「見た目はやんちゃな子供ですがね、あの子もギアの討伐に参加できるくらいの腕前はあるんですよ」
「……」
「
って言いましてね、中々いい腕してますよ」
「………ふん」
ほほほ、と笑う初老の男性に、彼、ソル=バッドガイは扉に向けて鼻を鳴らした。