輪廻の果て 04





 はあ……何でわざわざ嫌われにいくかなぁ。



 早朝というにはやや遅い時刻、朝一で任務に出発する部隊が食事を終えやや人の波がおさまった頃合いに、は食堂を訪れた。鼻歌混じりの軽い足取りでカウンターに近付き、逞しい腕でフライパンをリズミカルに振る姿に視線を向ける。

「あぁら今日は一人なのクン?」
「おはようジェリーさん。神田に置いて行かれた」

 サングラス越しにも伝わる笑みで歓迎を受け、もつられるようににへらっと笑う。
 その様子がおかしかったのか、ジェリーと呼ばれた男性は二つに結わえた後ろ髪を小さく揺らした。

「アンタまぁた起きなかったんでしょ」
「あはは~起こされた覚えすらないもんで」

 参ったなぁ困ったなぁという表情をしておきながら纏う雰囲気に悪びれた様子がないのはそれがいつものことだからなのだろうか。
 そのあたりの事情を察しているらしいジェリーは軽く肩をすくめ苦笑しながら調理作業に戻っていった。

「今日は何にしようかな……」

 神田曰く、の食事量は胸やけするらしい。
 当の本人は活動に必要なエネルギーを必要なだけきっちり摂取しているという感覚でしかない為、特別量が多いとは思っていないのだが、それは主観と客観の齟齬というものだろうとあっさりと頓着することを止めにした。
 それよりも今決めるべきは何を食べるかだ、とメニューに向き直る。夕べは中華でその前の朝兼昼は和食だったし、どこを攻めようかと真剣な顔つきで視線を走らせる。
 一般的な街の食事処よりもよほどメニューが充実しているここの食堂は素晴らしいと思うが、美味しいものがたくさんありすぎて迷ってしまうという点だけが困りものだった。つい最近、決め切れないが故の思い付きとチャレンジ精神で蕎麦の10人前を頼んだが半分もいかずに辛くなったことを思い出し、そっと目を伏せる。(でも完食した)
 そうして数十秒、がうんうん唸っている間に昨日入団した彼がひょこりと顔を出した。

「アラん!?新入りさん?んまーこれはまたカワイイ子が入ったわねー!
 何食べる?何でも作っちゃうわよアタシ!」

 そうだ、この料理人のレパートリーの多さとスキルの高さによりメニューにない料理さえも注文可能なのがまた悩ましいところだった、と更に悩む要素を増やしながら、は顎に手をやったままゆっくりと振り向いた。

「……ん?アレンか?」
「おはようございますさん」
「うん、おはよう」

 ほんの数歩分しか離れていないというのに、はひらひらとアレンに手を振る。
 その行動が面白かったようで、アレンははは、と屈託なく笑った。

「もう~二人とも和んでないで早く注文してよね!後ろがつかえちゃうわよ!」
「ごめんごめん」
さんもまだなんですか?」
「うん。まだ悩んでるからお先にどうぞ」
「ありがとうございます」

 くいっとカウンターの方を親指で示せば、アレンは少し考えてからぱっと顔を上げた。

「それじゃあ……グラタンとポテトとドライカレーとマーボー豆腐とビーフシチューとミートパイとカルパッチョとナシゴレンとチキンにポテトサラダとスコーンとクッパにトムヤンクンとライス。
 あとデザートにマンゴープリンとみたらし団子20本。全部量多めで」
「……すごーいあんたそんなに食べんの!?」

 一息に言い並べられたメニューの多さにジェリーは目を見開き(サングラスで見えないが表情筋の動きからきっとそうだろうとは思った)菜箸を握りしめた手を震わせている。
 そして、どうやら自分の見込みは当たったようだ、とはにやりと口端を上げた。

「ジェリーさん、も同じので。あ、量は普通でいいよ」

 そう言った瞬間、ジェリーから信じられないようなものを見る目を向けられた。
 そんなに食べるのか、ではなく、そんなに一気に作らせる気か、という視線だとうっすら気付いてしまったが、は笑顔で乗り切ることにした。

「……今度から多めに食材入れなきゃね」

 ほんのりした愚痴を零しつつ調理に向かった背中にを見送ってから、はキョトンとした顔のアレンへ視線を向けた。
 自分で決められないのなら他人を真似すればよいのだ、と先程アレンの顔を見て閃いてしまったわけだが、彼の予想外の思い切りの良さを目の当たりにし愉快な気持ちがこみ上げてきた。

より食べる奴は初めて見たよ」

 くく、と堪えきれない笑いを漏らすに対し、当のアレンは清々しい笑顔を浮かべ、

「僕、成長期ですから」

 と、軽く言ってのけた。
 自分や神田よりも年下で十分子供らしい彼の見た目を考えればそれもそうかとは素直に納得するが、それで納得できてしまった自分がずれていることには残念ながら気付けなかった。
 さて、料理ができるまで空いた席に座って待とうか、とがフロアに目を向けた瞬間。

「何だとコラァ!!もういっぺん言ってみやがれああっ!!?」
「おいやめろバズ!」

 怒声が朝の食堂に響いた。
 何だ何だと声のした方向に集まる視線の中、は嫌な予感がしてならなかった。

「……うるせーな。メシ食ってる時に後ろでメソメソ死んだ奴らの追悼されちゃ味がマズくなんだよ」

 やっぱりな、と和やかな朝の空気が崩れ去ったことを惜しみつつ、は蕎麦に箸を伸ばす彼へ視線を向けた。
 騒ぎが起きた瞬間そちらに駆け寄っていったアレンの背中とを交互に見ながら、疲れた笑いを浮かべる。
 ひと悶着がふた悶着になりそうだと喜ばしくない予想がついてしまい、仕方なしにも気怠げな足取りで騒ぎの中心に向け足を踏み出した。

「俺たちファインダーはお前らエクソシストの下で命懸けでサポートしてやっているのに……それを……っメシがマズくなるだとー!!」

 大柄のファインダーが勢い任せで掴みかかろうとした。が。
 グアッ

「うぐっ」

 逆に神田に首根っこを締め上げられてしまう。

「『サポートしてやってる』だ?違げーだろ。サポートしかできねェんだろうが。所詮お前等はイノセンスに選ばれなかったハズレ者だ」

 首を掴まれた上に持ち上げられた状態の為自重により更に気道が圧迫された状態のファインダーは苦しそうに息を漏らす。

「死ぬのがイヤなら出てけよ。お前ひとり分の命くらいいくらでも代わりはいる」

 がし
 神田が吐き捨てるように言ったとき、彼の腕が掴まれた。

「ストップ。関係ないとこ悪いですけどそういう言い方はないと思いますよ」

 物怖じしない真っ直ぐな瞳で神田を見上げるアレン。
 神田はその少年の登場と行動に対し別段表情を変えず、静かに口を開いた。

「……放せよモヤシ」

 モヤシってあんまりな呼び方だな、と騒動の中に追い付いたは思わず呆れてしまう。
 そう呼ばれた本人であるアレンに至っては小さくないショックを受けているようで、むっと眉根を寄せ神田を睨みつけていた。

「僕の名前はアレンです」

 語気を強め訂正を求めるが、しかし神田はモヤシ発言を撤回する気はないらしい。

「はっ。一ヶ月で殉職しなかったら覚えてやるよ。ここじゃパタパタ死んでいく奴が多いからな。こいつらみたいに」

 口元に薄く笑いを浮かべながら言われた言葉に、アレンは神田の手首を握る左手に力を込めた。
 解放されその場に崩れる男。
 は一歩前に出てその体が床に落ちる前に支えた。

「だからそういう言い方はないでしょ」

 静かな怒気を含みアレンは言う。
 ぴりぴりとした空気を感じてか、遠巻きに見ていたギャラリーの輪が徐々に離れていく。

「早死にするぜお前……嫌いなタイプだ」
「そりゃどうも」

「はいはいはいはい、ふたりともやめーい」

 緊張感のない場にそぐわない様子で口を挟んできた姿に、今までほとんど表情を動かしていなかった神田があからさまに嫌そうな顔をした。

「……お前が出る幕じゃねぇ」
「特別出演でっす。今日一日頑張ろうとエネルギー充填する場で殺気なんか出すな」

 少々口早なのは彼女が怒っている証拠だ。
 それを知っている神田は、更に顔を険しくさせた。

「てめぇもそっちの甘ちゃんの肩持つのかよ」
はいつでも平和主義者。とりわけ今は食事という平穏を守ろうとしているだけだ」

 言いながら横手に立っていたファインダーに彼らの連れだろう自分が支えている男を引き渡す。
 そしてしゃがみこんでいた体を起こせば目線が近くなった神田に思い切り睨まれた。
 しかしは怯むどころか逆に強い視線を返した。

「……君ら全員頭を冷やせ」

 神田とアレン、そして今しがた支えていた男をゆらりと見渡す。

「まず神田。言いたいことは分かるが考えが極端すぎる。気を使う必要はないが気遣いはしたほうがいい。
 次にアレン。売り言葉に買い言葉でどうする?止めに入ったんだろ?なら冷静になりなさい。
 ファインダーの貴方たちもだ。仲間の死を悼むのは大切なことだが時と場所を考えるべきだと思う。人が大勢いるところじゃ周りも気になるし気に病むだろう?」

 まるで諭すかのように綴られた言葉に、あれほど騒がしかった食堂内に静寂が降りた。
 事の成り行きを楽しむかのように見ていたギャラリーを含め、お互い気まずげに顔を見合す。
 そんな中、神田だけは誰にも視線を向けずむっすりと明後日の方向を見つめていたが。

「――あ、いたいた!神田!アレン君!あとも!」

 このまま静かに収束していくだろうと思われた矢先、高く澄んだ声が飛び込んできたことで事態は動いた。

「10分で飯食って指令室に来てくれ。任務だ」

 外の廊下からこちらを覗く姿は科学班班長のリーバーだった。その後ろに最初の声の主であるリナリーもいた。

「はーい了解です」

 リーバーの言葉にすぐ反応できたのはだけであった。
 同じく指名された神田とアレンは、一瞬遅れでそれぞれ了承の意を表す。

「じゃあよろしくな」

 言って去っていった二人を見送ってから、はぱん、とひとつ手を打った。

「さあ、みんな戻りましょう」

 それを合図にしたかのように、野次馬と騒ぎの元となったファインダーの彼らはその場を離れていった。
 離れ際、神田に食ってかかった大男がに向け「すまなかった」とばつが悪そうに告げ、それには小さく笑って目礼した。

「……ったく朝から気分悪りィ」

 そりゃこっちの台詞だよと、溜め息混じりに席に腰掛け直す神田へはひきつり笑いを向けてしまう。
 蕎麦が伸びるとか何とかぶつぶつと聞こえるような小言を言っている神田からそっと目を逸らし、は騒ぎの間も調理に集中してくれていた厨房のプロフェッショナルな様子に敬意を感じつつそろそろできる頃かな、と期待の表情でカウンターを眺める。

「あの、さん」

 ふと掛けられたアレンの声には振り向く。

「何だまだいたのかてめぇ」

 しかし彼女が口を開く前に神田が声を上げた。

「いちゃ悪いですか。というかあなたに話しかけたわけじゃないんですけど」
「ああ?」

 を挟むように再び険悪モード突入。

「あ~……君らの話聞いてた?」
「さっさとどっか行けよ。視界に入るな」
「ずいぶんな言い方ですね。同じ食堂にいるんだから仕方ないじゃないですか」

 を無視して言い合う二人。はつき合いきれんとばかりに頭を抱えその場から立ち去ろうとした。

「あ、さん待って下さい!僕も行きます!」

 その行動を素早く察知したらしいアレンがに走り寄り、隣に並んだ。
 子犬のように後をついてくる様子は可愛いものだとは思うが、置き去りにした神田のどす黒い空気の方が気になって仕方ない、とは知らず半眼になってしまう。

「……どうぞ君たちは喧嘩を続けてくれ」
「神田なんかどうでもいいです。それより一緒に食事しましょう」

 アレンに目を向けることなくは言った。
 いっそ突き放すような言葉だったが、アレンは笑顔を消すことなくついてくる。
 その反応に、あれ?もしかしてこの子って結構厄介な子?とは思い当たってしまうが、何だか確信を持ってしまうと怖い気がしたので気付かなかったことにした。
 一方、アレンの言葉の直後に神田の殺気を含んだ視線が背中に突き刺さったことで、そちらを無視することは許されないと悟る。

「……何か文句言いたそうですね」
「なんもねェよ」

 アレンよ、殺気を向けられたのは君じゃない、だから喧嘩腰になる必要は無いんだぞ、と内心思いつつ、しかしそもそも何故神田はに殺気を向けてくるんだ、仲裁がそんなに気に入らなかったのか、と彼の行動を図りかねている内に、二人の言葉の応酬は段々と刺々しくなっていく。

「――じゃあ行きましょうさん」

 そろそろ時間が心配になり始めた頃合いでアレンが先を促したことで、神田の視線が一層冷たくなる。
 は背筋に冷や汗を感じながら、表面は平静を保とうと笑顔を貼りつける。理由は不明だが神田はアレンではなくに対して怒りを向けてきている。原因を究明すれば上手い対処方法が見つかりそうだが、そんなことをしている暇はなさそうだ、とは対応しあぐねていた。

「?どうしたんですかさん。行きますよ?」

 動かないを不審に思ったのかアレンがの腕に触れた。

 がたんっ!

 後ろで椅子の倒れる音。そして膨れ上がる殺気。
 ぎろり、と音がしそうなほどの勢いでアレンを睨みつける神田。
 は殺気の対象が自分からアレンに移ったことで、ぱっと後ろを振り返った。
 その様子にちらり、と神田の視線が一瞬に戻る。

「……ちっ」

 神田は舌打ちをし、食器も椅子もそのままに乱暴な足取りで食堂から出ていってしまった。
 今日はいつもより機嫌が直るのが遅いな、とは溜め息を一つつくと、肘あたりに掛かっていたアレンの手をどかした。

「君たちが喧嘩をするのは自由だが、周りを巻き込むのは感心しないよ」

 おそらく、アレンの行動はわざとだ。言ってしまえば、神田を煽るために自分を巻き込んだのだ、とは呆れの思いでアレンを睥睨する。
 それに気付かれたと察してか、バツが悪そうにアレンは目線を下げた。

「すみません」

 まったく、可愛らしい見た目に反してなんとどす黒い。
 が更に溜め息を漏らすと、アレンは途端にしゅんとした様子を見せるが、何だか心に響かないのは自分の心が荒んでいるからだろうかそれとも別の理由だろうか、と遠い目をしてしまう。

「じゃあ、気を取り直して食事にしよう」

 いつも間にかカウンターからはみ出ん勢いで並べられた料理たちを、二人は近くのテーブルに移動させた。
 長テーブル丸々一つに山盛られている料理の品々。それらを二人で片っ端から平らげていく姿は異様な光景だったと、その夜コックのひとりが話していたというのは余談である。
 そして数分後、食事が終盤に差し掛かった頃。

「アレンさ」
「何ですか?」

 二人は食べながら喋るという妙技を見せていた。

「なんか発言はやめた方がいいぞ」
「?」

 首を傾げるアレンを見て、もう忘れたのかとは呆れた。

「さっきの神田に言った台詞。ああいうのはいただけない」
「……」

 黙り込んだアレンにはふっと表情を緩める。

「言われた方は嫌だと感じるし、言った方もあとあと後悔する。例えば今嫌いでもこの先仲良くなりたいと思ったときとかね」

 かちゃりと食べ終わった皿を重ねる。

「……仲良くなるとは思えませんけど」

 小さく零された不満そうな声には笑う。

「そうかな」
「そうです」

 マンゴープリンを口に運びつつはアレンを見やる。

「あいつはアレだからね。取っつきにくいけど悪い奴じゃないよ。
 無理に仲良くはならなくてもいいけれどさ、まずは歩み寄ってみたら?」

 そう言って困ったように笑うに対し、アレンは少しだけ気落ちした表情を見せた。

「……神田のことよく分かっているんですね」
「いや、あいつほど分かりやすい奴もいないぞ」

 言いながら、完食したが席を立ち何枚も重ねられた食器を軽々と持ち上げ返却していく。

「そうなんですか?あんなに捻くれていそうなのに」
「はは、単純だよ思いっきり」

 の口から何気なく語られる神田の人物像は、つい先程殺気を撒き散らしていた様子とは違って聞こえる。
 アレンは神田にも一目置かれているらしいこのという人物に尊敬に近い思いを持ちつつ、自分よりわずかに高い位置にある横顔を見つめた。

「……僕もさんのような人になりたいです」
「おや、どうしたんだ突然」

「まだまだ未熟だなと思い知って」
「いいんだよ、これから成長できるってことなんだから。子どもの特権さ」

 大人ぶられたことが不服なのか、アレンは口を尖らせる。
 その様子にはまた笑い、アレンの分の食器も下げ始める。
 大雑把なようで気遣いが出来て、周りが見えて、他者に優しくできる人。
 姿かたちは全く違うというのに自分の最愛の人物と重なる目の前の人物に、アレンはどこか落ち着かない気持ちを感じ始めるが、突如時計を見て慌ただしく部屋を飛び出していったに呆気にとられ、それもすぐに霧散した。

「急ぐんだアレン!あと1分しかない!」

先程までの年長感はどこへやら、焦った声で急かす様子に苦笑してから、アレンも駆け足で彼女を追いかけた。